山口連続殺人放火事件の真相は煙りのように……『つけびの村』が浮き彫りにする、噂話の怖さ

  つけびの村ーー筆者が本書のタイトルとして冠したその名前は、2013年(平成25年)に起きた山口連続殺人放火事件の際に、現場に貼られていた「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と記された貼り紙からきている。

 山口連続殺人放火事件とは、山間部のいわゆる限界集落で起きた放火殺人事件。わずか8世帯12人の住む集落で、5人の村人が殺害された。事件の起きた地域は顔見知りの老人ばかりが住む小さな農村であり、犯人もまた地域内に住む男性であった。この事件は、あまりにも奇妙かつショッキングな内容から、多くの人々の記録に深く刻まれた。実際、犯人に死刑判決が出てもなお、インターネットの世界ではこの事件に関する書き込みは多い。

 動機となったのは、住民トラブルといわれている。犯人のワタルは幼少期を同地域で過ごした後、職を求め上京。若い労働者が都市部では『金の卵』と称えられていた時代である。その後、44歳で両親の介護のために帰郷。以後、近隣の家の修繕などもしていたが、事件まで定職につくようなことはなかった。

 都会から舞い戻ったワタル、そして生まれ育った地域の中で、派手な暮らしを知ることもなく、毎日地道に農業(や林業)に従事してきた地域の住民たち。双方の間で少しずつ、しかし確実に意識の差が生まれはじめ、やがて大きな事件へと発展することとなる。住民トラブルのきっかけは、住民内での噂話だった。ここに住む人々はみな、華やかな娯楽を知ることも少なく、老いてもなお粛々と農業を営みながら暮らし続けてきた。忍耐強い生き方だと思う。ただ、その閉鎖的な環境の中で生活するストレスからか、この地域ではみんな、誰かを悪者にし、悪評を流すことで日々の不満の憂さ晴らしをすることが常態化していた。

   この地域の古老の話として、文中にこんな言葉がある。

   根も葉もない、何の根拠もなしに、みんなその、誰かがひとりを叩き上げて悪者にしてしもうた、ちゅうことじゃ。うちは全く身に覚えのないことで、親父もわしも、村八分にあったちゅうことじゃね。(P196)

 決して楽ではない生活を続けてきた住民たちは、誰かにちょっとした嫉妬を感じたり、秩序を乱す原因になる感じると、それを非難し囃し立てた。噂には尾ヒレがつき、やがて、さも真実であったかのように狭い地域内を駆け巡り、文字通り「村八分」な状況が形成されていく。

  古老の話は、さらにこう続く。

   ここの地域の特性じゃな、これは。特性ちゅうのは……貧乏人の揃い、ちゅうたら大変失礼じゃけど、ここは、そんなに裕福な人が少なかったために、自分中心にしかものを考えられんかったちゅうことじゃな。(P196)

 この地域で「村八分」のターゲットになったのは、なにも犯人のワタルだけではない。みんながみんな、誰かしらのことを噂していたというのである。他人の悪口を噂することで、日常の鬱憤を解放をする。古老は地域の特性というが、SNSや掲示板等、ネット上で匿名の誹謗中傷や炎上といわれるような状況はいまや珍しいことではない。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆している著者は幾度となく、遠く山口県にある現地に足を向け、住民たちへのヒアリングをもとにこの事件の、また噂の真相を少しずつ明らかにしようとする。

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