堂本剛、“道なき道”を切り拓いてきた表現者としての想い Travis Japan 松倉海斗ら後輩の背中を押す言葉
DOMOTOの堂本剛が、6月9日放送のラジオ『DOMOTOのどんなもんヤ!』(文化放送/以下、『どんなもんヤ!』)に登場し、Travis Japan 松倉海斗との交流について言及した。
かねてより、雑誌などのインタビューで“憧れの先輩”を尋ねられると、必ずと言っていいほど堂本の名前を挙げていた松倉。デビュー前にはYouTube企画「Travis Japan【質問に答えます】NGナシの全力回答!喋りすぎ注意」(2019年1月31日公開)で、カラオケの十八番が堂本のソロデビュー曲「街」であると明かし、Travis Japanのメンバーからも「どの場面でも歌う」と納得する様子が見受けられた。
同年夏のコンサート公演『Summer Paradise 2019』では、松倉の提案によって、堂本が剛 紫名義でリリースした「FUNKAFULL FUNKAFULL」をTravis Japanで披露し、ファンの胸を熱くさせた。
そんな松倉の堂本への愛情がしっかりと本人にも届いていることは、『どんなもんヤ!』でも、ファンと共有されてきた。2021年10月25日放送回では、堂本が「海斗とかね、いろいろ気に掛けてくれてよくしてくれるんですけど。本人にも伝えたんですけど『曲使って遊んでくれていいよ~』って」と語り、器の大きさを見せた。
そんなふたりが、ついに食事に出かけていたことが明らかになった際には、『どんなもんヤ!』には「具体的にどのような話をしたのか」という質問のメールが届いた。堂本は「なんの話、したかな?」と記憶を手繰り寄せながら、「まだ食べれます、まだ食べれます」と見事な食べっぷりを見せてくれた松倉に対し、「めちゃくちゃ食べてくれたので気持ちよかった」と率直な感想を述べた。
さらに、松倉は2024年4月10日放送の『よるのブランチ』(TBS系)で、「繊細な想いを楽曲に乗せて表現するっていう姿に憧れて『自分もそういう人になりたいな』と思って、ギターとか始めた」と、堂本の存在が自ら作詞作曲をするきっかけにもなったと語っていた。食事の場では、そんな音楽談義にも花が咲いたようで、「楽器を弾くにあたってのいろんなクエスチョン」があったそう。その疑問に答えたり、音楽を作ることの難しさと楽しさについて、堂本なりの視点でアドバイスをしたという。
「いや、でも、それ僕できるかな」と返す松倉に、堂本は「やったらいいねん、とりあえず。こういうソフトを買って、こういうふうにしてまず始めることが大事やから、そうやったらいいねんで。やっていくうちに覚えるから」と、まさに背中を押すような言葉をかけたという。そして堂本は、「自分もいろんな壁を乗り越えなければいけなかったから」「みんながやっていることではなかったがゆえに、いろんな空気のなかで僕はやってたなと思うし」と、かつての風景を思い返すように心情を口にした。
今でこそ、アイドルがグループ活動と並行して自身の表現を模索することは珍しくなくなった。だが、堂本が「街」でソロデビューした2002年当時、アイドルグループ/ユニットのメンバーが自ら作詞作曲を手掛けてソロアーティストとして歩み出すことは、少なくとも当時はあまり例のないことであった。
「自分がどういうふうに光り輝いていくかっていうのは、人それぞれだし。アーティストを選択したいっていう人もいるだろうから。人生の何時間かだけアーティストをしたい人もいるだろうし、ずっとアイドルしたい人もいるだろうし。それは人それぞれだと思う」と、“アイドル”という言葉で一括りにされそうになる、一人ひとりの思いについても言及。
そのなかで、自身が道なき道を歩み始めた背景には、後に続く後輩たちへの思いもあったという。「後輩が『自分も同じようなことやりたい』っていう話のときに、僕が(先に)やっておいてあげたら、前例があるから。周りのスタッフさんも動きやすいかな、とかね、いろんなことを考えながら。もちろん自分のためにもやってましたけど」と、自らの歩みが後輩たちの次の一歩のきっかけづくりになることを願っていたようだ。
自分のままに歩む。それは、決して孤独な挑戦ではなく、いつか同じように挑みたいと願う誰かに勇気を与える軌跡にもなる。そんな、時間をも超えた絆を感じさせる利他的な視点があるからこそ、堂本の紡ぐ歌は、どれだけ時代が移り変わっても色褪せることなく、次世代の心にも響くのだろう。
「機会があったら、望まれているなら、つながりたいな」。堂本のその言葉は、松倉だけでなく、今、彼の切り拓いた道を歩む後輩たち、そしてこの先に出会うまだ見ぬ誰かへも向けられているように感じた。






















