Ms.OOJA 15周年インタビューVol.1 百貨店店員からプロシンガーへーーヒットと実力不足のギャップに悩んだデビュー期

成長と変化の軌跡

 デビュー前、平日は百貨店で働き、週末は名古屋のクラブで歌うという生活を送っていたMs.OOJA。「その頃でも私は十分楽しいなと思っていました。ファンの子に写真を撮ってくださいと言われる経験も初めてで、嬉しくて」と語るMs.OOJAだが、「何かしらの形で歌い続けられたらいいなと思っていたけど、27歳くらいになった時に歌だけで食べていくのは難しいかもしれないと思って」と続ける。「その時に『誰かに頼るのではなく自分の力で今いる場所で1番にならなきゃ、今よりもいい場所には行けない』とマインドを切り替えたんです。そうしたらメジャーデビューの話をいただけて。その切り替えがよかったのかなと思う」と振り返った。そして、2011年に『It's OK』でメジャーデビュー。以来15年間、200曲以上を発表してきたMs.OOJA。アップテンポからバラードまで、さまざまな楽曲があるが、どの楽曲にもそれぞれの良さがある。どんな人でも、必ず“お気に入りの1曲”が見つかるはずだ。そして、その中にはMs.OOJAというアーティストを知る上で欠かせない楽曲もある。そこで、各年ごとのキーとなる曲を本人にピックアップしてもらった。その楽曲とともに、Ms.OOJAと15年を振り返る旅に出よう。

2011年「Life」

Ms.OOJA - Life

ーーデビュー曲ではなく、「Life」だったのが少し意外でした。

Ms.OOJA:「It's OK」と迷いましたが、「Life」にしました。というのも、2月に『It's OK』でデビューをして、3月に東日本大震災があって、4月に『Life』をリリースしたんですね。そのタイミングでメッセージ性の強いこの曲を出せたことが大きかったな、と。全国のラジオ局でパワープレイをしていただけたこともあって、全国を回る怒涛の日々を送っていました。それに、「『Life』でファンになりました」という方も多いんですよね。あとは、MVにももえり(桃華絵里)さんに出ていただいているのですが、15年前って読者モデルやキャバ嬢が雑誌を盛り上げていて、音楽業界でもプロモーションに起用することが多かったんです。「Life」のMVもそういった時代背景を映していて、“THE平成”を感じられるのもいいなって。

ーーこの年はどんな1年でしたか。

Ms.OOJA:本当に訳がわからない1年でした(笑)。とにかく忙しくて。なおかつ、まだ名古屋に住んでいたので東京まで通っていましたし、シングル4枚とフルアルバムをリリースして、プロモーションでいろんな場所に行って。他にも雑誌やフリーペーパーの撮影やラジオ、テレビなどもありました。初めてのことばかりでとにかく目まぐるしい日々でした。今思い返しても、ヤバいレベルの忙しさです。ただ、ずっとやりたかったことだったので嬉しかったですね。当時はSNSではなくアメブロが主流で、アーティストさんたちがブログを書いていたのを見ていたので「アメブロで見てたやつ! これがメジャーか……」という(笑)。忙しいけど楽しみながら働いていた記憶があります。

ーーその頃の自分を客観視すると、どう見えますか?

Ms.OOJA:「バタバタしてんね!」(笑)。「がむしゃら」という言葉がピッタリ。ものすごく一生懸命でした。だからなのかな。思っていたよりも世の中の反響がないとも感じていて。メジャーデビューをしたら、世界が一気に変わると思っていたんです。今は積み重ねが大切とわかるのですが、あの頃はすぐにすべてが変わると思っていたんですよね。だから、「あれ?」みたいな。そのギャップを感じた1年でした。

2012年「Be…」

Ms.OOJA「Be...」Official Music Video(Full Ver.)

ーー「Be...」は大ヒット作品です。そういった意味で挙げてくださったのでしょうか。

Ms.OOJA:そうですね。「世間の反応が薄い」という状態を変えたというか、私が想像していた“世間の反応”をくれた楽曲です。2012年の2月にリリースしたのですが、この1年間はずっとそういった反応を感じられていました。アルバム『HEART』も、オリコンのデイリーランキングで1位になったんですよ。しかも初めてのツアーも即完になって、「ついにきた!」と思っていました。テレビの力もすごくて。『スッキリ』(日本テレビ系)で特集をしてもらって、生歌唱をしたんですね。その帰りに新宿で買い物をしていて、下着コーナーの店員のお姉さんが「『スッキリ』見ました」と声を掛けてきてくれて。「メディアの力、すごい!」と思いましたね(笑)。

ーーまさに「勢いに乗る」という状況だったのですね。

Ms.OOJA:でも、実力が足りなかったんでしょうね。世の中の動きと自分の実力が見合っていなさすぎて。しかも、この頃もまた一気に忙しくなったんです。2012年はほとんどホテル暮らしだったんじゃないかな。「Be...」がラジオのパワープレイになったので全国のラジオ局に行っていたのですが、ホテルからホテルに移動していた状態ですね。食事もほぼ外食で、ラーメンばかり食べていました。一番大事な時期だったのに、顔がまんまる(笑)。移動の車でもいつもぐったりして寝ていて、ニンニク注射も打っていました。

ーー壮絶な日々……。

Ms.OOJA:アーティストとしての状況として、忙しいのはいいことじゃないですか。そういう意味ではどんどん状況が良くなっていましたが、とにかく不安で。たとえば、ツアーのチケットが売り切れても、私としては歌に自信がなかったのでライブをやるのがしんどかったんです。もちろん、歌うことは好きなんですよ。でも思うように歌えていないという思いがあって。不安があったピッチが改善してきたと思ったら、次はリズムがわからなくなったり。「もっと上手に、優雅に歌いたいのに、なんで?」と、1曲1曲を悩みながら歌っていました。その状況はずっと続いて、楽になったのはこの2~3年ですね。当時は、ライブをする度に修行だという気持ちでいました。

ーーMs.OOJAさんはデビュー前にも長く歌ってきた期間がありますよね。その頃は歌の自信があったと思うんです。何がきっかけで不安になってしまったのでしょうか。

Ms.OOJA:そう、デビュー前は自信があったんです。当時のクラブという場所の特性でもあるのですが、自分の声がほとんど聞こえないんですよ。なので、歌で魅せるというよりも、いかにかっこよく見せるかが重要でした。だから自分の歌声があまり見えていなくて、自信満々だったんだと思います。でもメジャーデビューをするとイヤモニを作ったり、ライブの時にライン音源を録音したり。ライン音源って、マイクを通していない声を直接録音したものなので、すごく生々しいんです。それを聴いて「うわ、こんなに下手くそなのに大丈夫なの?」という気持ちになって。今まで見えていなかったことが見えるようになって、自信がなくなっちゃったんですよね。なので、当時はピッチがいい、歌がうまいと言われても不思議でしょうがありませんでした。

ーーあぁ、なるほど……。

Ms.OOJA:多分、初期の頃にライブを見にきて、「なんだよ、全然上手くないじゃん」とライブに来なくなっちゃった人もいると思うんです。今では1回のライブで心を掴まなくちゃいけないとわかりますが、当時はそんな余裕もなくて、申し訳ないけど課題ばかりでした。そういう方に、今もう一度見に来てほしいなと思います。

2013年「30」

Ms.OOJA「30」Official Music Video(Full Ver.)

ーー2013年もまだ不安は続いていた状態ですよね。

Ms.OOJA:2013年は本当にどん底でしたね。2012年に『Be...』、アルバム『HEART』、カバーアルバム『WOMAN -Love Song Covers-』を出して、ありがたいことにものすごくヒットしたんですね。で、2013年にピックアップした「30」を出したのですが、初年度の「あれ? 反応薄いな」に戻っちゃったんです。自分の実力が足りていないと肌感覚的にも思っていたので、悪い予感が的中してしまったな、と。

ーーそれが2013年という年。

Ms.OOJA:今思えば「30」もそうだし、この年に出した『MAN -Love Song Covers 2-』もそこそこヒットしていたんです。ただ、2012年の反響を知ってしまったから、勘違いしちゃうんですよね。嬉しいと捉えられなくなっていて「全然ダメだ」と思っていました。ツアーも前年と同じ会場でやったのにチケットは半分くらいしか売れない。それなのにツアーは続行されてしまうという。メンタル的にはボロボロでした。しかも、同じ時期にデビューしたたくさんのアーティストさんが、1~2年で契約が終わってしまうのを目の当たりにしていたので、「私は何年契約が続くんだろう」と不安もありました。何もかも辛い時期でしたね。

ーー自分だったら、と考えるとアーティストの道を諦めていたかもしれないと思ってしまいましたが、Ms.OOJAさんはこの状況を乗り越えていらっしゃるわけですよね。

Ms.OOJA:そうですね。この頃にはもう30歳になっていて、ある程度社会経験もあったので、「会社員には絶対戻りたくない」と思っていたんですよね。当時はすごく頻繁に百貨店でバイトをしている夢を見ていて。いまだに見ることはあるのですが、当時毎日のように見ていたかも。

ーーそんな時期の曲からは「30」をピックアップしてくださっています。

Ms.OOJA:「30」は渾身の1曲だったんです。すごく自信があって、評価も高かったのに、「Be...」と比べてあまり広がらなくて。でも、今になって「30」を評価してくださる方が増えているんです。それに「30」があったから「40」も作れたし、心から「作って良かった」と思える曲なのでピックアップしました。

2014年「また恋をすることなど」

Ms.OOJA「また恋をすることなど」Official Music Video(Full Ver.)

ーー辛い時期を経た2014年は、「また恋をすることなど」を挙げてくださっています。

Ms.OOJA:2013年に相当くらったので、2014年は「地に足つけてコツコツやるぞ」という思いでスタートしました。曲の制作をたくさんしていて、根詰めて1人でスタジオにこもって歌詞を書いていたんです。お風呂も何もないスタジオでひたすら歌詞を書いて、朝になって「できました」みたいな。廃人状態で制作をしていた中で「また恋をすることなど」が出てきて、すごくいい曲だったのでもっといいものにしたいと思ったんですよね。それで、「この曲は誰かに書いてほしい」と古内東子さんに依頼をしました。出来上がった歌詞を見たら、むちゃくちゃ良かったんですよ。しかも、「誰かに依頼した歌詞を歌っても、私はちゃんと表現ができる」とも思わせてくれたのでこの曲を選びました。2014年に出した『COLOR』というアルバムの「Orange」もPushimさんにお願いをしていて。人の手を借りて、より良い作品にしていくことを学びました。

ーーずっとご自身で楽曲を制作してきていることを考えると、誰かに依頼をすることにハードルを感じたり?

Ms.OOJA:それがまったく抵抗がありませんでした。デビュー曲の「It's OK」って、自分で書いていないんですね。自分で書くよりも、他の人が書いたほうがいいものができるんだったらそっちのほうがいい。なので、「また恋をすることなど」でよりMs.OOJAを届けるために誰かにお願いする方法があると改めて知れたのは、大きな変化でした。

ーーMs.OOJAを広げるためにどうすればいいかを客観的に考えられるって、いい意味ですごく大人の感覚ですよね。

Ms.OOJA:そうかもしれません。もちろん私自身がMs.OOJAをやるのですが、私も外から俯瞰で見てどうすればいいのか戦略を一緒に考えたいと思うようになったんでしょうね。アーティストでもあり、スタッフでもあるという感覚が少し持てるようになったのが2014年でした。

ーーご本人的にすごくいい一歩を踏み出せたんだなと感じますが、当時周りからはどう見られていたと思いますか?

Ms.OOJA:「クラブ出身のR&Bシンガー」みたいな色が少し薄くなってきていたのかな。というのも、この頃からメイクがだいぶナチュラルになってきて、歌もそこまでR&B色を出さなくてもいいかなと思ってきていたんです。もっと自由でもいいんじゃないかなって。それこそ「また恋をすることなど」の時もナチュラルメイクになっていたので、イメージが変わったと思います。あとはライブもそうですね。DJからバンドでやるようになりました。それが作品にも影響し始めていたのかな。グラデーションのように変わっていく一歩目みたいな年でした。

2015年「翼」

Ms.OOJA- 「翼」

ーー「翼」はどういった理由で選ばれたのでしょうか。

Ms.OOJA:この曲は、初めて映画のタイアップで書いた曲です。2015年はアルバム『翼』とカバーアルバムの『THE HITS ~No.1 SONG COVERS~』をリリースしているのですが、「翼」はロックテイストだったので自分の中では新しかったんですよね。「Ms.OOJAっぽくないかな? 大丈夫かな?」と思いながらリード曲にした記憶がありますが、新しい扉を開いた1曲だったので選びました。

ーー当時は「ロックテイストをやろう」と思っていたのですか?

Ms.OOJA:いや、自然とこういう曲ができました。いろんな曲を作っていて、今までもロックっぽい曲はありましたが、全面に押し出すことはありませんでした。新しいチャレンジだったので不安はありましたが、「こういう一面も見せたいな」、「幅を広げたいな」という思いで出した記憶があります。

ーー2014年とはまた違った変化ですね。2015年はどんな年でしたか?

Ms.OOJA:この年は『水曜歌謡祭』(フジテレビ系)という番組が4月に始まったのですが、そこに水曜シンガーズとしてレギュラー出演をしていました。生まれて初めてオーディションを受けて合格して。コーラスをしたり、メインで歌ったり、毎週水曜日1時間の生放送に出演して、翌日木曜日に次回放送のリハーサルをやるという日々でした。部活みたいですよね(笑)。でもそのおかげでいろんな歌手の方にお会いできたし、今もその時のご縁が繋がっている方もいらっしゃいます。毎週テレビにレギュラー出演することは、私にとっても革新的なことでした。

ーー今も繋がっているのは財産の一つですね。

Ms.OOJA:本当に。その番組で歌っていた曲を『THE HITS ~No.1 SONG COVERS~』に落とし込んで、リリースもできましたから。あとは、すごく勉強にもなりましたね。私、ハモりがまったくできなくて、基本的にメロディーラインしか歌えないんです。ハモりの音程を覚えたら歌えるのですが、すぐつられちゃう(笑)。でも水曜シンガーズはコーラス隊でもあるので一生懸命覚えました。今井マサキ先生が教えてくださって練習して、毎週新しいラインを覚えてコーラスをして。なかなか濃厚な1年でした。

2016年「あなたに会えなくなる日まで」

Ms.OOJA 「あなたに会えなくなる日まで」(Epilogue ver.)

ーー2016年は「あなたに会えなくなる日まで」をピックしていただきました。

Ms.OOJA:この曲は、初めて親に向けて書いた曲です。前年にマネージャーのお父様が亡くなって、自分もそういう歳になったんだと感じたことをきっかけに、このテーマで曲を書いてみようと考えました。親がいつまでも元気でいてくれるのは当たり前じゃないと実感した1年だったので、この曲を選びました。

ーーMVのファンの方による親子おんぶ企画も素敵でした。

Ms.OOJA:あれも良かったですよね。企画がないとなかなかやらないと思うので、皆さんと思い出を一緒に作れたらいいなと思って。それと、両A面として「You Are Beautiful」という曲があるのですが、この曲あたりから曲作りのスタイルが変わったのかな。いわゆるセッションというか、コライトというか、そういうスタイルになったことでより主観の強い曲を作るようになりました。「あなたに会えなくなる日まで」は従来通りの作り方でしたが、時期的には制作のやり方が変化した時代でしたね。

ーー制作スタイルの変化は何がきっかけだったのですか。

Ms.OOJA:Ryosuke "Dr.R" Sakaiとの出会いが大きかったです。Sakaiさんとは昔から一緒に制作をしていましたが、その場で0から1を作ってフルパッケージにしてしまうというスタイルをし始めたのはこの頃。今までは産みの苦しみを感じていましたが、曲作りがすごく楽しいものになりました。2016年はそんな1年でしたね。

■Ms.OOJA 15周年特設サイト
https://msooja.jp/page/15th/

■リリース情報
Ms.OOJA初の演歌カバーアルバム
2026年春リリース予定

■ライブ情報
『Ms.OOJA 明治座公演2026』
会場:東京明治座
日時:2026年6月7日(日)
開場:17:00/開演:18:00

『Ms.OOJA OFFICIAL FANCLUB EVENT 〜おじゃファミ会 vol.5〜』
<全曲リクエストライブ>
来場の方々からMs.OOJAがステージ上で抽選をして、当選された方がMs.OOJAに歌って欲しい曲を(Ms.OOJA名義でリリースしている曲に限る。)リクエスト頂き、その場で歌う。おじゃファミ会Liveだけの特別企画です。

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