絢香は今なお進化し続ける――圧倒的な歌声の現在地、ライター3名が綴る『Wonder!』クロスレビュー
絢香がニューアルバム『Wonder!』をリリースした。これまで幾度となく転機を迎えながら、そのたびに音楽によって自らを更新してきた彼女が、デビュー20周年を目前にした今あらためて音楽に向き合い、完成した傑作である。普遍性を持つそのメロディと、ここにきてより強さを宿した歌声は言わずもがな、ポップス、ジャズ、R&B、ゴスペルなど音楽のすべてを軽やかに横断するセンス――。これまでのキャリアを礎とし、次なるフェーズへの確かな一歩を刻む作品となった。
リアルサウンドでは、伊藤亜希氏、上野三樹氏、黒田隆憲氏(※五十音順)のライター3名がそれぞれの視点から『Wonder!』を紐解くクロスレビューをここにお届けする。(編集部)
天賦の才、テクニック、熱量を併せ持った非常に稀有な存在(伊藤亜希)
アルバム『Wonder!』は、絢香の音楽的な好奇心と柔軟な表現力が色鮮やかな粒となり、結実した作品である。このアルバムの魅力は、曲ごとにクオリティを保ちながらも、彼女の歌声から溢れ出てくるフレッシュさだ。ポップスを軸にしながら、フォーク、カントリー、R&B、シティポップ、ソウル、ジャズ、ゴスペルなど、ジャンルの横断が作品性のひとつになっているが、この多様性を統合しているのが絢香の“歌声”である。楽曲ごとにアプローチを変えているのはもちろん、発声のコントロールで声音の印象まで変えてしまうあたりは、個性に直結する天賦の才、変化に富んだテクニック、歌への熱量を併せ持った非常に稀有な存在だ。
作品の冒頭を飾る「Wonder!」は、ゴスペル風の分厚いコーラスと洒脱でポップなメロディが特徴の爽快なミディアムチューン。絢香はコーラスとぶつからないように、ビブラートなどのスキルを封印気味にし、メロディに対してストレートに歌っている。さらにフレーズの入りを音符にジャストで明瞭に発音することで、言葉の輪郭を際立たせ、歌詞がしっかり聴こえるアプローチに徹している。そんな中でも、ゴスペルならではのコーラスとの掛け合いを入れたりと、ルーツの中に遊び心を見出しているのもナイス。絢香が歌を存分に楽しみ、謳歌している様子が浮かぶ。まさに、アルバムの幕開けにふさわしいナンバーだ。
対照的にアップチューンの「You're where I wanna go」では、スキルの宝庫のようなアプローチで歌唱している。バックトラックは音数も少なく、どこか無機質で、そこにホーンセクションやコーラスアレンジでR&Bティストを加えているが、音像としては空間が多い。その空間を埋めているのが、絢香の表現力である。リズム重視の細かい譜割りが続く中、ビブラート、ファルセット、フェイクを織り交ぜたウィスパーボイス、地声と裏声の切り替え、音を滑らかにつなぐ部分とあえてつながずきって歌う、母音の強弱など、数え上げたらきりがない。しかし本曲での絢香の真骨頂は、サビでの地声に寄せたシャウトだ。主にロックなどで使われる発声だが、絢香はその歌声で、バックトラックにはないジャンルを付け加えている。この曲が、ブラックロックを彷彿させる仕上がりになっているのは、サビの絢香の歌声があってこそだ。
「アソブココロ」では、平メロの語尾をスウィングさせるように処理し、ファンキーなリズム感を出し、サビでは喉を開きトーンで倍音を響かせる。高音域でも、ワンオクターブ下の低音のような揺らぎを加えるのは、デビュー当時からの得意技。幽玄なバラード「Versailles - ベルサイユ - 」では、クラシカルな旋律を、ブレスを混ぜた発声で歌唱し楽曲の土台を担っている。ネオソウルやブラックコンテンポラリーなどを彷彿させるメロディーが特徴のミディアムチューン「Dreaming」では、同じブレス混じりの声でも、空気の中に溶け込むような柔らかいアプローチで聴かせている。音階をつないでいく滑らかさもグルーヴになっていて、スタンダードジャズを聴いているような感覚になる。ファルセットとブレスを同時に出しているんじゃないかと思う部分(正確には瞬時で切り替えているのだと思うが)もあり、絢香の高度なテクニックが繰り広げられる一曲だ。
アコースティックギターと絢香の声だけで始まる「ひまわりの帰り道」では、トーンのきれいなクレッシェンドで、ノスタルジックな風景を描き出していく。全体を通してあまり抑揚をつけずに歌うことで、逆に心情の深さが滲み出てきて、絢香のシンガーソングライターとしての原点回帰を感じる。キュートでどこか牧歌的なバックサウンドに、ハスキーな声をぶつけた「ずっとキミと」では、平メロとサビのアプローチの違いで、楽曲にストーリー性を持たせている。サウンドと歌声のコントラストが、曲の愛嬌を目立たせている。エレクトロなトレンドライクなトラックと、絢香のクリアなファルセットから始まる洒脱なナンバー「Feelin' goo-good」では、英語は日本語のように母音を強めに出し、日本語は英語のように子音を強く出すことで、言葉の垣根を無くしている。言語がシームレスになったぶん、楽曲のリズムが強調され、大人のディスコチューンに仕上がっていて、ライブでも盛り上がりそうだ。
太いグルーヴで引っ張るファンクナンバー「Me & You」では、絢香が歌だけでなく、リズム感も抜群にいいことがわかる。バラード「花束じゃなくキミといたい」は、歌詞に注目したい。サビ前のブリッジで〈愛〉から始まるフレーズが6行続くが、その<愛>という言葉を、ほぼ同じ発音と発声で歌唱している。しかも、フレーズ入りの瞬間のクレッシェンド以外、ほぼスキルを使わず、クリアな声で響かせている。<愛>という言葉が何度も続くからこそ、声での演出をあえて排したのだろうと考察する。だから、絢香がここで歌う<愛>は、切実で、ピュアで、自然に聴き手の中に入ってきて、心の中で愛を問う。そして「Versailles - ベルサイユ - Piano version」を最後に、アルバム『Wonder!』は幕を閉じる。
絢香のポテンシャルは、楽曲ごとに歌唱アプローチを大胆に切り替えながらも、決して散漫にならない点にある。アルバム『Wonder!』は、歌声の可能性の地図のような作品だと思う。ファンやポップス好きはもちろん、歌うことが好きな人にこそ、聴いてほしいアルバムである。