なきごとの音楽は“直感”を“確信”に変えていく 混ざり合いの中で生まれた新たな代表作『マジックアワー』
なきごとのメジャー1st EP『マジックアワー』が最高だ。ポップとロックを織り交ぜながら絶えずオリジナリティをアップデートしてきたなきごとだが、柿澤秀吉(秀吉)、須藤優(TenTwenty)、高田真路(chef’s)といったアレンジャー陣が揃ったことも相まって、今作ではサウンドがさらに進化。ジャズを取り入れ、鍵盤やストリングスといった多彩な楽器が鋭いギターと戯れつつ、時には削ぎ落としたシンプルな音像で鳴らすことも厭わない。キャッチーな歌メロと、型にハマらないサウンドの自由さ。そんな真の意味での“ポップとロック”を体現するのが『マジックアワー』の魅力であり、とりわけ「愛才」は新たな代表曲だと言えるだろう。言葉遊びを交えながら、愛や日常への眼差しをユニークに切り取った歌詞にもますます磨きがかかっており、イマジネーションを刺激される。充実の作品でメジャーデビューを果たした水上えみり(Vo/Gt)、岡田安未(Gt/Cho)の2人にじっくり話を聞いた。(信太卓実)
孤高よりも“誰かがいるからこそ思う気持ち”を歌っている
ーー『マジックアワー』、素晴らしいEPでした。愛を歌ったピュアな5曲が揃った気もするんですが、普段なかなか言えない心の奥底を歌っているという点では、なきごとらしさが全開になったEPだなとも思っていて。どんな手応えですか。
水上えみり(以下、水上):私はあまり上手に話せないことを曲にして昇華するという書き方をしているので、やっぱりそこが自分のクリエイティブなんだなと思いましたね。ただ、今までみたいに内側を向いて孤高のまま書いているというより、誰かがいるからこそ思う気持ちを歌っている気がしていて。日頃から書いていた曲やドラマタイアップの曲、3年前からずっとリリースしたかった「明け方の海夜風」まで入っているんですけど、メジャー1st EPってたくさんの人に出会える機会なので、誰かと一緒にいることや一緒にいたい気持ちについての5曲が揃ったのはよかったなと思いますね。
ーーそういう曲を書けたのはどうしてだと思いますか?
水上:ドラマ(『それでも俺は、妻としたい』/テレビ大阪・BSテレ東)のタイアップに向けて「愛才」を書いたのが去年の10月くらいで。もっと前から“幸せ”や“好き”って何だろうとか、よく考えたりしていたんですけど、去年のそのタイミングでは“愛”について今一度考えていたんです。(ドラマで描かれていた)夫婦のことだけじゃなくて、恋人や家族や友達への愛、あとは作品に対する愛も含めて見つめ直していたので、「愛才」とか「0.2」にはそういうカラーが強いイメージですね。
「短夜」は最後に出揃った楽曲でした。エンディング主題歌になったドラマ(『彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる 2nd Stage』/MBSほか)は、シーズン1でカップルになった子たちが同棲を始めて、お互いを大切に思うがゆえにすれ違い、触れたいけど触れられないもどかしさを可愛らしく描いた作品だと思っていて。それもあって「短夜」は恋人の曲っぽく聴こえさせているんですけど、実はなきごとのファンに向けても書いているんです。今まで叶えてきた夢がいっぱいあるし、これから先で叶えたい夢もある。それを叶える日に〈あなた〉と一緒だったらいいなとか、〈あなた〉の過ごす日々の中でなきごとの音楽を楽しめる時間がもっと続いたらいいなっていう気持ちも込めて、「短夜」を書きました。
ーー「短夜」は曲調に大きな起伏があるわけではないからこそ、メランコリックなニュアンスからだんだん温度の高まっていくギターが、情景をより引き立てているなと思いました。
岡田安未(以下、岡田):1番では音数を控えめにしながら、サビでワッと前進させて、ちょっとずつ音数を増やしながら後半にかけてもっと刻んでいって。クレッシェンドなギターをイメージして弾きました。
ーー「愛才」もドラマのストーリーに沿いながら、「目の前にいる人たちと混ざり合いたい」というなきごとのリアルな感覚が歌詞に滲んでいる気がしますが、いかがでしょう?
水上:そうですね。〈ここまで来たがあの日のまま〉とか、歌詞の節々が私たちの積み重ねてきたものとリンクしているので、ライブでもそう聴こえたら嬉しいです。基本的にはタイアップに寄り添うんですけど、その曲をずっと歌っていくのは私たちだから、なきごととしてちゃんと届けられる曲、長く愛してもらえる曲にしたいとも思っていますね。
ジャズをふんだんに取り入れた演奏面の新たな引き出し
ーー「愛才」はリリックもサウンドも新鮮で、今までとは違うトライアルをしていこうという気概もあったんじゃないでしょうか。
水上:ドラマに提出する前の段階から6〜7曲くらい書いていて、最後の最後で「ちなみにこんなのも作ったんですけど、どうですか?」って出した曲が「愛才」だったんです。この曲は「もう、やっちゃえ!」みたいな気持ちがあって(笑)。今までで一番多いくらいに韻を踏んでいて、ダジャレとか聞いたことある謎謎っぽいフレーズがたくさんある中でも、ちゃんと真意を突く感じというか。しかもアレンジャー(chef’s 高田真路)がなぜか頼まれるのは今回が最後だと思っていたらしくて(笑)。全然そんなことないんですけど、不思議とみんなの「詰め込んじゃえ!」が入った曲になりました。
ーー〈絡まり合って〉のところで一気にジャズになったり、ギターロックだけではないエッセンスがどんどん入ってきていますよね。
水上:ここまでギターがジャズセッションっぽくバッキングで動くのは今までなかったです。泣きのギターソロが入るところはなきごとっぽいんだけど、全体としては新しい。ちゃんと引き出しを開けられているなって思います。
ーーまさに。「たぶん、愛」もアレンジ面でジャズの色合いが強まってきていますけど、ピアノやストリングス、シーケンスなどいろいろな音が楽曲に入ってくる中で、岡田さんのギターの聴かせ方も変化しているんじゃないかと思いました。そこはどうでしょう?
岡田:確かに「こっちの楽器の音価が短いからギターは長めにしよう」とか、逆に「音価の長い楽器がいるからギターはもっと細かくしよう」とか、結構考えていました。どの曲でもやってきてはいたんですけど、今回はそういう部分をより求められたのかなって思います。いろんな楽器が入ることで、今まで通りのギターを弾いちゃうとうるさい気がするなと思って、リファレンスになりそうな曲を聴いて考えたりとか。「たぶん、愛」は2番のジャズセッションっぽい部分をどうしようか悩んだんですけど、シンプルにキーに合わせたペンタ(ペンタトニックスケール)で、ドラムとリズムセッションしてる感じで弾いてます。
ーー岡田さんは以前、ご自身のギターについて「音に乗る感情を読み取ったものと、歌詞の感情を読み取ったものに二分される」と話していましたが(※1)、リズムセッションしたりすることで、新しいギターの色合いを見出したり、刺激を得ることってありました?
岡田:どうだろう……これまで生きてきて、たくさん演奏したり聴いてきた音楽が常に反映されてるんだと思うので、私としては今を一生懸命生きてる感じなんです(笑)。でも確かに、いろいろな楽器が入って、アレンジャーによるアレンジが加わったことで、アプローチできる幅はすごく広がったなと思います。より自由に演奏できる瞬間も増えてきたなって。
水上:いい意味で、前に出るところは出る、支えるところは支えるギターになっていると思います。初期の頃は“ギター!”って感じの強い演奏が多くて。もちろんそれはかっこいいし今も残ってるんですけど、それ以外のアプローチの部分で、自分なりにどう打ち返そうかをすごく考えてるんだろうなって。あと、これは完全に私の主観なんですけど、私が好きな『moon』というゲームに、洞窟の中でMDショップをやっているヲタクのキャラがいるんですよ。そいつは人がいないところで急にギターを弾くんです。でも見つかると弾くのをやめちゃうんですよね。「たぶん、愛」のアウトロのギターって、なんかそのヲタクみたいだなと思って愛らしく聴こえてきて(笑)、お気に入りです。いろいろな楽器が鳴ってる中で、すごいギターを弾いているのにみんなに隠れていて、だけどキラッと光っていてかっこいい……。クラスの隅っこにずっといるんだけど、ちゃんと輝いている人みたいな(笑)。
岡田:(笑)。
水上:全然悪い意味じゃないんだけどね。
岡田:でも、そのキャラクターの気持ちめっちゃわかるな。私も1人で弾いているときに誰かに見られたら演奏やめちゃうと思うし。「たぶん、愛」のアウトロも、みんなが静かにしている中で自分だけが目立つんじゃなくて、みんながワーッと鳴らしてるからこそ、私も弾けるのかなって。曲によると思いますし、「短夜」とかのギターの人格は“陰”ではない気がしてるんですけど……私本来の性格としては、その洞窟にいるヲタクみたいな感じですね(笑)。
〈幸せの副産物〉が生まれるまでのストーリー
ーー「明け方の海夜風」は3年前の曲ということでしたが、なぜ今作に入れようと思ったのでしょうか?
水上:港っぽい海のイメージが私の中にあって、夏のリリースがあったら入れたい曲だねとずっと話していたので。やっと夏が来たぞって感じです(笑)。
ーー〈幸せの副産物〉という歌詞はどんなきっかけで出てきたんですか。
水上:アルバム『パトローネの内側で』(2021年)を作ったときに「不幸維持法改訂案」という曲を書いたんですけど、ちょうど『人間失格』(太宰治)とかを読んで幸せについて考えるようになっていた時期で。“しあわせ”って、“仕を合わせる”なのか、はたまた“幸”の方の幸せなのか……って言葉の裏を考えていた頃の名残だと思います。それも学生時代にとある体育教師と話したことが私の人生ですごく大きくて。その教師曰く、「絶望の中で生きているだけだと幸せを知らずに済むから、その絶望の中で生きていることが幸せである」みたいな、「むむ!?」って思うことを言っていたんですよね。でも私としては、絶望を生きる中で掬い上げた1つの幸せよりも、幸せを生きる中にある絶望こそ、大事にすべきものなんじゃないかなって。つまり、絶望すらも受け入れられるとしたら、〈幸せの副産物〉としての絶望なのではないかと思って、それを定義したくて書いた歌詞ですね。
ーーその“幸せを生きる中での絶望”を、自分なりに実感した瞬間があるということなんでしょうか。
水上:うーん……人から言われたりされたことに対して、「あれって私に幸せを味わわせるための絶望として与えていたのかな?」「その理由づけみたいなものだったのかな」とか考えるようになっちゃったんですけど、結局「わざわざ誰かが絶望を与えることによって生まれる幸せって何?」とも思って。それよりも、自分が幸せだなと思っている中で生まれた1つの歪みや絶望の方が、よっぽど意味があるというか。なので、幸せも絶望も、誰かに握らせるものじゃないし、自分の中にあることが健康的だなって思うようになりました。あの頃の教師の言葉が軸になって、『人間失格』を読んだことがきっかけで改めてそれについて考えるようになったという感じです。
ーーなるほど。自分は「明け方の海夜風」を聴いて、誰かを想ったり大切な人と過ごす幸せな時間には、明け方が来るように終わりが来てしまうけれど、それすらも受け入れられるとしたら、それこそが〈幸せの副産物〉なんだなって思いましたし、今作で歌われている“愛”の解釈とも重なる部分があるなと思っていました。
水上:そう聴いてくれてありがとうございます。めっちゃそうだなって思います……!