劇場版『ラブライブ!サンシャイン!!』再考録 “普通の少女たち”が示した希望、本作が遺した功績とは?
誰もがμ'sのように世界に変革をもたらすような存在になれるわけではない。では、そうでなければ、少女たちの軌跡に意味はないのか? いや、そんなはずはない。たとえ世界は変わらなくても、「明日は今日よりよくなるはずだ」と信じて一歩踏み出せば、目の前の小さな世界は変えられるのかもしれない。そのための勇気は、いつだってあなたの胸の中にあるのだと本作は訴えかけてくるのだ。
そんな本作のテーマと、Aqoursが得た気づきが『ラブライブ!シリーズ』に与えた影響は計り知れないと筆者は感じている。μ'sは間違いなく、等身大の普通の少女たちだった。しかし、世間の評価と功績が彼女たちを伝説にし、スクールアイドル、ひいては『ラブライブ!』という作品を神格化したと感じる。ゆえに、2作目として現れたAqoursが、どこまでいっても“普通の少女たち”だったことに意味があったのだ。
Aqoursの物語はどこまでも普通で、無数にいるμ'sから夢を受け取ったスクールアイドルのひとつでしかないのかもしれない。だが、それでいい。μ'sのように世界を変える偉大な存在でなくても、たとえどんなに小さな輝きだったとしても、それを大切に思える自分がいればいい。変革をもたらすような眩しさだけがスクールアイドルの輝きではないのだと、本作は普遍的な物語と気づきをもって示した。そして現在に至るまで、どのようなスクールアイドルのあり方も自らの輝きで肯定してくれている。本作が、μ'sの物語の後に生まれた意義とは、スクールアイドルの普遍性を自らの輝きで再度提示した点にあると私は信じている。
スクールアイドルは今も、憧れを抱くような眩しさと、「自分もできるかも」と思わせる共感力を内包した存在であり続けている。そしてその一端には、確かにAqoursの存在と彼女たちの等身大の物語があったのだ。
そんな尊い物語が、4DX上映で五感へ訴えかける形で帰ってきた。フィナーレライブを経て一区切りをつけた今だからこそ、すでに視聴済みの人でも、今までとはまったく違う見え方を体験をできるかもしれない。当時とは違う沼津の景色も含め、彼女たちの輝きを改めて胸に刻み込んでほしい。