ケンドリック・ラマーとキリスト教 哲学者 柳澤田実が読み解く『GNX』の核心

 「闘い」と「愛」を包摂するこのアルバム独自の世界観が決定的な仕方で示されるのは6曲目の「reincarnated」だ。前半部の折り返しとなっているこの曲が、アルバム最後の曲、「gloria (with SZA)」と呼応する。敬愛する2Pacの「Made N****z」をサンプリングしたこの曲で、ケンドリックは、イザヤ書14章(※4)を引きながら、先達のブラック・ミュージシャンたち(ジョン・リー・フッカー、ビリー・ホリデイ)と自分は全員、神になろうとした高慢さから堕天した天使、ルシファー=悪魔の生まれ変わりだと歌う。「Alright」ではケンドリックを誘惑するLucyと呼ばれていた悪魔が、「reincarnated」ではケンドリックの正体として描き直され、物語はさらに驚くべき展開をする。

 ヨブ記(※5)の冒頭を思わせるようなVerse3で、ケンドリック=ルシファーは神との直接対話をしている。その中で彼は、高慢さ(プライド)、「闘い」への愛を神に指摘され、さらには音楽を使って人々の思考をコントロールしてきたことを非難される。ケンドリックは神に対し、「敵を生み出したことを恥じる」と告白し、「自分たちの力を取り戻すために、悪魔の物語を書き直した」と宣言して、曲を閉じる。

 まるでビーフを恥じているかのような告白の後に続く7曲目は、『第59回NFLスーパーボウル』のハーフタイムショーのラストを飾った「tv off (feat. lefty gunplay)」だ。このアルバムのストーリーラインの中から「闘い」が無くなることはない。しかし「reincarnated」がアルバムの折り返しに挿入されることで、「闘い」は異なる様相を帯びてくる。この曲のなかのケンドリックとの対話で神は、「あらゆる個人はお前の別のバージョンに過ぎない。お前のなかに許しがないのに、彼らはどうやって許すことができるのか」という意味深なことを述べる。この“分身”の発想はキリスト教の世界観には存在しない。そもそも「生まれ変わり」というアイディアも、ヒンドゥーや仏教などインド系の宗教のものだ。

 おそらくこの着想をケンドリックは、米国でよく知られているアンディ・ウィアーの「卵(The Egg)」(2009年)から得ている(※6)。この印象的な短編で、主人公は、この世界に存在する人々は全て自分の生まれ変わりであることを神から知らされる。したがって「誰かを犠牲にするとき、それは自分を犠牲にすることになる」し、「人に親切をするとき、それは自分への親切となる。今まで経験された、そしてこれから全人類に経験されることとなるうれしい思い、悲しい思い、これを全て君が経験する」のだ。ケンドリックが、ウィアー流の(ニューエイジ的な折衷とも言える)世界観を踏襲しているとするならば、結局のところケンドリックが歌う愛も闘いも全て、自分自身との関係のなかで生まれているということになる。homie(仲間)もenemy(敵)も全て、別のタイムラインを生きる自分自身なのである。

 アルバムのラストソング、再びSZAがフィーチャリングされた「gloria (with SZA)」で、ケンドリックは創作することの葛藤を、Gloriaという女性に擬人化された自分のペンへの愛憎に託している。ペンは自分の右腕であると同時に「聖人(saint)」であり「罪(sin)」だとケンドリック歌う。「reincarnated」の内容と照らし合わせるならば、ケンドリックはこのペンで「悪魔の物語」を書き直す作業、言い換えるならば、罪に満ちた物語を書き直す作業を続けていて、それが彼のリリック(詩)なのだと言えるのかもしれない。Gloriaは実際にケンドリックが使っている万年筆の商品名とのことだが 、キリスト教の文脈では「神の栄光」を意味する。堕天使・ルシファーを自認するケンドリックは、自分の生まれ変わりたちの葛藤を引き受け(※7)、神の栄光へと到達することを信じ、語り続ける。

※1:https://www.harpersbazaar.com/culture/art-books-music/a62568151/kendrick-lamar-sza-interview-2024/
※2:アルバムを通して繰り返しリフレインされる「誰も自分のために祈ってくれない(Ain’t nobody praying for me)」というケンドリックの嘆きに親戚の祈りが呼応し、「悪意」を選ばなかった彼の先達たちによって、今日のケンドリックがいることが明らかになる仕掛けになっている。
※3:ケンドリックは「高慢さ(pride)」に頻繁に言及するが、キリスト教において「高慢さ」はあらゆる罪の端緒である。
※4:旧約聖書に収められた預言書、イザヤ書では当時隆盛していたバビロニアについての預言が語られているが、14章はキリスト教の文脈では、悪魔となった堕天使・ルシファーの物語として読まれてきた。
※5:ヨブ記は旧約聖書に収められた、義人ヨブに数々の試練が与えられる物語である。この物語の冒頭で、神のもとに悪魔がやってきて、ヨブを試すように神を誘惑する場面がある。この悪魔と神の関係は必ずしも敵対的ではなく、悪魔の悪行さえ神が救済のために利用しているようにも読めるが、ルシファーとして描かれたケンドリックと神の関係もそれに類似している。
※6:米国人の友人Karen Ashとの会話のなかで、この短編を教えてもらった。
※7:思えばこの「分身」という発想は、「I am. All of us.(俺は俺たち全員)」というエピグラフで始まる「The Heart part 5」のMVで端的に表現されていた。

■リリース情報
ケンドリック・ラマー『GNX』国内盤
発売中
解説・歌詞・対訳付き
価格:¥3,300(税込)
発売リンク:https://umj.lnk.to/KL_GNX_CD
配信リンク:https://umj.lnk.to/KendrickLamar_GNX

<収録内容>
01. wacced out murals
02. squabble up
03. luther (with sza)
04. man at the garden
05. hey now (feat. dody6)
06. reincarnated
07. tv off (feat. lefty gunplay)
08. dodger blue (feat. wallie the sensei, siete7x, roddy ricch)
09. peekaboo (feat. azchike)
10. heart pt. 6
11. gnx (feat. hitta j3, youngthreat, peysoh)
12. gloria (with sza)

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