単身渡韓、3畳一間で追った夢 aespa、ILLIT……振付師RENANがK-POPシーンで成功を掴むまで

振付師 RENAN、3畳一間で追った夢 

 aespaの「Armageddon」に「Whiplash」、ILLIT「Magnetic」、ENHYPEN「Brought The Heat Back」――2024年に世界の音楽シーンから注目されたこれらの楽曲のパフォーマンス制作に、日本出身のダンサー/振付師が携わっているのをご存知だろうか。

 K-POPシーンの最前線で活躍する、新進気鋭のダンサー/振付師 RENAN。およそ8年前、高校卒業と同時にK-POPアーティストになることを夢見て単身で韓国に渡った彼女は、日本人での前例が少なかった「韓国で表現者として身を立てる」という道を、自らの力で切り拓いてきた。

 今回、そんなRENANにインタビューを企画。RENANのこれまでの歩みをたどりながら、ダンスやコンサートの制作秘話、そして夢を追う人へのメッセージなどをたっぷりと語ってもらった。(市岡光子)

転期になったaespaとの出会い「事務所にとっては大きな賭けだった」

――2024年に大ヒットとなったaespaの「Armageddon」と「Whiplash」。この2曲の振り付けに、RENANさんが携わっているそうですね。

RENAN:「Armageddon」は1曲を通して振り付けを担当しました。「Whiplash」ではメインディレクターとして、自分も含めた3人の振付師のアイデアをまとめる立場で携わりました。

――aespaとは、いつから仕事をするようになったのですか?

RENAN:2023年12月に開催された『2023 Melon Music Awards』の舞台演出が最初です。彼女たちの所属事務所であるSM ENTERTAINMENTとは、それまでにも何度かお仕事をしたことがあるのですが、事務所だけでなくメンバー自身が私への振り付け依頼を望んでくれたということで、aespaとの仕事が実現しました。

――1曲をすべて振り付けした「Armageddon」は、どのように完成させていったのですか?

RENAN:アイデアの源泉は、2023年11月にリリースされた「Drama」のパフォーマンスでした。実は私、もともとaespaが大好きで、よくMVなどをチェックしていたんです。「Drama」がリリースされた直後、パフォーマンス映像を観て本当に衝撃を受けました。ダンスの構成が優れていたのはもちろん、メンバーやダンサーの立ち位置を工夫することで、ぐっと深みのある、おもしろいパフォーマンスになっていたからです。

aespa 에스파 'Drama' Performance Video

 「Armageddon」の振り付けの話をいただいたとき、真っ先に思い浮かんだのが、「Drama」のパフォーマンスをさらにパワーアップさせたものをつくりたい、ということでした。「Armageddon」は楽曲が始まると最初にKARINAさんが出てくるのですが、登場した瞬間に彼女の存在感だけで視線を奪って、最後まで飽きずに観てもらえるような振り付けにしたい――そう思いながら、心の底からワクワクしてつくり上げたのが、あのパフォーマンスなんです。

aespa 에스파 'Armageddon' Dance Practice

――メインディレクターとして携わった「Whiplash」は、どのように振り付けを完成させたのでしょうか。

RENAN:「Whiplash」は楽曲の特徴から、ヴォーギング(腕と足を大きく使いながらモデルのポージングをイメージしたダンス)をイメージして振り付けを仕上げていきました。ファッションショーをイメージして全体をつくっていったので、1番では各メンバーをひとりずつ目立たせるようにして、2番では全員で魅せるような構成にしています。

 サビで首に手を当てて腕を動かす振り付けがあるんですが、実はこの部分は、私ともうひとりの振付師のアイデアが奇跡的に被った部分なんです。事前に打ち合わせなどはせずにそれぞれが案を披露したところ、ほとんど同じポーズでサビの振り付けアイデアが上がってきたので本当に驚きました。

aespa 에스파 'Whiplash' Dance Practice

――「Whiplash」は、曲の終盤でGISELLEさんが手を挙げながら美しいポーズを決める“SUPER GISELLE TIME”(スーパージゼルタイム)も大きな話題になりました。

RENAN:この部分の振り付けは私が担当したのですが、日本のメディアも含めて多くの方に注目していただけて、本当にありがたいです。ダンサーとして、自分のつくった振り付けをたくさんの方に良いと感じてもらえる機会はそう得られるものではないと思うので、すごく嬉しい経験でした。

――aespaの2度目のワールドツアー『2024 aespa LIVE TOUR - SYNK : Parallel Line -』では、振り付けや演出の考案に加え、パフォーマンスディレクターも務めたと伺いました。

RENAN:そうなんです。K-POPシーンでは特に力の入るコンサートにおいてパフォーマンスディレクターを初めて務めたので、ツアーの準備に充てた1カ月間は本当に大変でした。

――パフォーマンスディレクターは、具体的にどのような仕事を担うのですか?

RENAN:コンサートで展開する様々な振り付けや演出の整理と意思決定です。メンバーにどのタイミングでリフトに乗ってもらってどこまで移動させるのか、ステージのどの位置に立ってもらうのかなどを、一つひとつ細かく決めていかなければなりません。披露する二十数曲の演出と進行を考えて、整理して、すべて覚えて、それをメンバーや現場のスタッフに指示を出す必要があるので、試行錯誤を重ねながら必死に自分の役割を果たしていきました。

 今思えばもっとやれることがあったような気もするのですが、いずれにしても、私に新たな挑戦の機会を与えてくださったSM ENTERTAINMENTには、本当に感謝してもしきれません。正直、事務所にとっては大きな賭けだったと思います。私は日本人で、韓国の方から見れば外国人。しかも、キャリアをしっかりと積んだ方がパフォーマンスディレクターを務めることが多いなかで、私はまだ20代です。文化の違いや経験の少なさからディレクションがスムーズに進まない可能性もきっと考慮されたと思うのですが、それでも声をかけてくださったことが、本当にありがたいことだなと感じています。

単身渡韓して目指した“K-POPアーティスト”という夢

RENAN

――そもそもRENANさんは、いつからダンスを始めたのですか?

RENAN:3歳です。名古屋のダンススクールに通いながら、中学までは楽しくダンスを学んでいました。アーティストになることを目指して本気でダンスに取り組み始めたのは、高校生の頃です。

――何かきっかけがあったのですか?

RENAN:大きなきっかけは、少女時代やKARAのパフォーマンスを観て、歌やダンスの実力の高さに感激したことでした。当時の日本には、ああいった“歌もダンスもビジュアルも完璧なグループ”が少なかったように思います。だからこそ、幼い頃からダンスをやっていた私にとっては衝撃が大きくて、いろいろなK-POPアーティストのステージを観るなかで、「私も韓国でアーティストを目指したい」という想いを強くしていきました。

――少女時代やKARAをはじめ、様々なK-POPアーティストの影響を受けて、韓国での活動を目指すようになったのですね。

RENAN:今もそうですが、ガールズグループだけでなく、ボーイズグループも含めて、K-POP全般が好きで。そのなかでも特に、SM ENTERTAINMENTは自分もオーディションを受けたことがあるくらい、事務所として丸ごと大好きです。SM ENTERTAINMENTに所属するアーティストから受けた影響は大きいかもしれません。『SMTOWN LIVE』に行ったこともありますし、母と一緒に東方神起のライブに行ったこともあります。東方神起のライブは、始まってすぐに「うわ! すごい、この人たち!」と思ったのを今でもよく覚えています。

――K-POPアーティストに憧れてから、実際に渡韓したのはいつ頃ですか?

RENAN:韓国に来たのは約8年前、高校を卒業してすぐの頃です。最初は今のようなダンサーではなく、アーティストを目指していたので、いろいろなレッスンやオーディションを受けていました。

――芸能事務所の練習生として渡韓したわけではないのですね。

RENAN:そうです。完全にひとりで韓国に渡って、アーティスト活動を始めるきっかけを探していました。事務所に呼ばれて韓国に行けば、会社が様々なケアをしてくれますが、私は自ら渡韓したので、全部自分で何とかしていました。最初の頃は、日本でたくさん勉強した韓国語も全然通用しなくて、本当に大変でした。

――RENANさんが渡韓した頃は、まだK-POPアーティストを目指す日本人は珍しかったように思います。なぜ、あえて韓国に行くという決断をしたのでしょうか。

RENAN:2つの理由があって、1つ目は、K-POPや韓流ドラマ、韓国語など、韓国の文化が純粋に大好きだったからです。2つ目は、一度きりの人生なのだから、叶えられるか分からないほど大きな夢に挑戦してみたいと思ったからです。日本であのままダンスを頑張っていたら、おそらく5年後には、何かしらダンスに関わる仕事ができたと思います。でも、そうやって“予想できる未来”にすんなりと到達するのは、全然おもしろくないなと感じてしまって。韓国人から見た“外国人”が韓国で成功した事例がないのなら、私がその第一号になれたらと思いました。渡韓という決断は周囲の人から驚かれましたが、私は意志が強いタイプなので(笑)、「絶対に韓国で成功するから見てろよ!」という強い気持ちで挑みましたね。

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