日食なつこ×あいみょん対談 6年ぶりに語り合うアーティストとしての幸せ

 日食なつこの活動15周年を記念した対談企画。音楽とお笑いという別ジャンルだからこその共通点と相違点が大きな反響を呼んだ千鳥・ノブとの対談に続く第2弾は、同じシンガーソングライターのあいみょんがお相手。2015年に愛知のフェスで初めて共演し、メジャーデビュー前のあいみょんの企画ライブに日食が出演するなどして交流を深めてきた2人だが、対面してじっくり話をするのはこの日が6年ぶりだったという。曲作りやライブについてはもちろん、SNSとの向き合い方、プライベートの過ごし方、住環境にまで及んだ対話から、2人の表現者がこれまで何に抗い、何を願いながら歩んできたのかが浮かび上がってくる、そんな対談になったように思う。(金子厚武)

インディーズの時のあいみょんから受けた影響

――お二人が実際に会って話をするのは2018年にあいみょんさんの企画ライブに日食さんが出演して以来、約6年ぶりだそうですね。

日食なつこ(以下、日食):そのとき私が2デイズ初日の出演で、翌日のために事務所さんから届いたお花をちゃんと飾っておかなきゃいけないのに、あいみょんが花が好きだからって、めっちゃ抜いて帰ってて。

あいみょん:いまだにやってます。大体抜いて帰るか、スタッフさんに「お花持って帰っておいてください」って言ってますね。

日食:あれが私があいみょんを見た最後です。

あいみょん:花泥棒(笑)。

日食:今日あいみょんをお呼びしたのは、当時からあいみょんのあり方はすごいなと思ってたので、会ってなかったこの6年くらいの間で、あいみょんがあいみょんなりの立場で見てきた景色がどうだったのかを知りたかったし、あとは単純に「元気かな?」っていうのもあって。

あいみょん:うれしかったです。元気です。

――そもそもの出会いは2015年に開催された愛知の『篠島フェス』だったそうですね。

あいみょん:あのフェスすごかったですよね! 楽屋が合同楽屋みたいな感じで、しらす丼食べ放題で。あのとき私マネージャーさんと2人で行ってたんですよ。まだメジャーデビュー前、インディーズのときだったので。

日食:あのときのステージをちらっと見たら、〈死ねー!〉って叫んでる女の子がいて、なんかすごい女の子がいるなと思ったのが私のあいみょんデビュー。確かそのときに「CDよかったら聴いてください」って、声をかけてくれて、それから気になってて。

――その5カ月後のあいみょんさんの初めての自主企画『いざ、尋常に』に日食さんが出ていますね。

あいみょん:覚えてます?

日食:覚えてるよ。ちょっと待ってもらっていいですか? 小道具があるので(席をはずす)。

あいみょん:怖いですね……私全部美しい記憶に塗り替えてるので、恥ずかしいことあったらどうしよう……。

日食:(戻ってきて)これ覚えてる? 毛筆で対バン相手の名前を書いて、くれるっていうのやってて。

あいみょん:すご! 字が若い。今はもうちょっとしなやかに書ける自信があります。

日食:今もやってるの?

あいみょん:こういうパフォーマンスはもうやってないですけど、毎年書初めはやってるので、今はこんなに筆圧強めな字体じゃないですね。

日食:これが衝撃だったのよ。服装も……。

あいみょん:あー、やめてください!

日食:ガチの書道の大会みたいな恰好(袴姿)で、毛筆を持った少女が勇ましく出てきて、私の名前を書き、お客さんがワーってなって、私が出ていくっていう。

あいみょん:やばすぎ。

日食:それでライブが終わったあとに、「良かったら」ってもらったのを私大事にとってて。普通に嬉しかったし、「こんなホスピタリティ高いパフォーマンスしてくれる人、他にいる?」と思って、それが衝撃で。今日はこれを見せたかった。

日食なつこ

――日食さんを企画に呼んだのは、『篠島フェス』でライブを観たのがきっかけですか?

あいみょん:篠島が大きいきっかけになったと思いますね。使ってる楽器は違いますけど、同じ女性のシンガーソングライターっていう、そのご縁は感じてましたし、当時はまだ集客もないから、ワンマンライブはできなくて、初めて自分がホストになって対バンをやったのがそのときで。

日食:すごくいいホスト具合だったんですよ。言われてやってる感じが全然しなかった。大体「ステージで毛筆やります」っていうアイデアを20歳のおなごが出すかって。

あいみょん:私いつもやけに書道に自信満々なんですよ(笑)。

日食:そのパフォーマンスもすごく楽しそうだった。

あいみょん:当時はお客さんがいっぱい入ってるライブハウスを経験することも少なかったので、対バン相手のみなさんのおかげでお客さんがいっぱい入ってる状況が楽しかったんだと思いますし、当時はまだメジャーデビューもしてなかったので、多分キャラ探し中やったと思います。「書道家シンガーソングライター」で行こうと思ってたのかもしれない(笑)。

日食:あの頃会うたびにいろんなことをやってたイメージで、バンドがついてたりもするし、泣かせる曲をしっとりやってる日もあれば、篠島の青空の下で〈死ねー!〉って叫んでる日もあるし、かと思えば書道家をやってみたり、何かをやりたい欲が無限にある人なんだろうなと思っていて。今でこそ「あいみょんと言えばこう」っていう看板があるけど、あの時代まだその材料が散らばっていて、すごい面白い女の子だなと思ってた。

あいみょん:それを近くで見てくださってたのがすごいありがたいです。

日食:で、当時からめちゃくちゃ喋れる人だったわけですよ。私は対極で、全く喋らない人だったから。

あいみょん:クールなイメージは最初からありました。作られてる楽曲も込みで、クールで、めっちゃ賢い人、みたいなイメージ。だから性格とかも真逆なのかなと思ってましたね。

日食:あいみょんを見て、「こんなにやりたいことをストレートに出していいんだ」っていうのは結構衝撃だったんですよ。なかちゃんさん(マネージャー)とあのときから一緒にやってて、ずっと2人で何かを揉んで生み出そうとしてるのを見てて、あいみょん自身に何かをやりたいっていう欲がすごくあるんだろうなっていうのは思ってて……そうしたら、そこからすぐにスーッと天に昇って……天に昇ってはおかしいか(笑)。

あいみょん:死んでる死んでる(笑)。

日食:もうね、上の方に行かれたわけですよ。私いろいろあいみょんに聞きたかったけど聞けずにここまで来ちゃったことがいっぱいあって、当時から書道をはじめやりたいことがいっぱいあったと思うんですけど、そのうちのいくつを実現でき、いくつを諦め、いくつにまだ手をつけていないまま、今の場所にいるのかなっていうのを、聞ける範囲で聞きたい。

あいみょん:インディーズのころって、もちろんレーベルのスタッフさんもいたんですけど、わりかしアイデアの出しっこはここ(あいみょんとマネージャー)だった気がするんですよ。だからこそ、とにかく模索模索で、めっちゃ失敗したグッズとかもありましたよ。死ぬほど売れ残るっていう(笑)。

日食:差し支えなければ。

あいみょん:紙ナプキンとか。

日食:やっぱりあいみょんはすごいんだよなあ。普通はなかなか「そこ行こう」ってならないところを何のためらいもなく行くことがすごい多かった気がする。

あいみょん:「見つけてもらわなきゃ」っていう感じだったんですよね。音楽もそうですけど、まず「こういう人間がいる、こういうことをやってるやつがいる」っていうのを見つけてもらわなきゃ、みたいな気持ちがあったので、「何か取っ掛かりになるようなものがないとな」とは思っていて、それで書道をやってみたりとかしてたのかもしれないです。

日食:ZINEを作ったりとかもしてたよね?

あいみょん:クラウドファンディングでフリーペーパーを作ったりもしました。そういう残るものをいろいろ作ってた記憶はあります。とにかく私のことを知ってもらおう、みたいなことをひたすらやってはいて、でも写真を撮るのはもともと好きだったので、フリーペーパーやZINEに自分が撮った写真を載せたりしたのは、今にも繋がってる気がします。

あいみょん

日食:今も継続していることとか、今も続けて好きだったりすることがほとんどなの?

あいみょん:書道もいまだに好きですね。もうステージでやろうとは思わないですけど(笑)。だから、もとから好きなことをあの頃からやってて、写真もいまだに好きですし、グッズを一緒に考えて作るのも昔から好きでした。ただあの頃よりもスタッフさんの数が増えたので、できることが増えたって感じです。

――日食さんはどうですか? これまでやりたかったことのいくつを実現できて、いくつをあきらめてきたのか。

日食:私は逆にやりたいことが何もないというか、曲を作って歌えたらそれでオッケーだったから……あれ、どれくらい離れてるんだっけ?

あいみょん:私は今29歳です。

日食:4つ差か。私が当時24歳とか25歳だから、20歳になったばっかりの子がすごい発信力だったのはやっぱり衝撃で、全然年下って感じがしなかったんですよね。兄弟がすごくいるっていうのは言ってるんだっけ?

あいみょん:言ってます。こすり続けてます(笑)。

日食:それも影響があるのか、当時から精神的な成熟がすごい人だったんですよ。あいみょんがいろいろ展開して、散らかして、楽しそうにやってるのが羨ましいなと思って、私も今でこそ自分でグッズを考えたりしますけど、それは結構あいみょんに焚きつけてもらった感じなんですよね。だから、全然年下とも思ってなくて、なんならちょっとお姉ちゃんぐらいに思ってて。

あいみょん:音楽以外に何か自分の活動に繋がらんかなっていう趣味とかはなかったんですか?

日食:趣味が音楽だったから、それが仕事になっちゃって、結局休みの日とかも曲を書いてるのが一番楽しかったりして。あいみょんは休みの日とかどうしてるの?

あいみょん:私はどっちかっていうとインドアで、外に出ても結局建物の中に入るというか、美術館とか映画館とか本屋さんとかに行きがちで、思いっきり太陽の下ではしゃぐ、みたいなことはほとんどないです。ほんまに一番リラックスできるときは……家でずっと寝てるときですかね。なんにもしないとき。

日食:そうなんだ。人間味が残ってるね。

あいみょん:連絡全部無視する、みたいなことですかね(笑)。でも私基本的に多趣味すぎて、多分当時からとにかくいろいろやってみたいっていうのがあって。それこそ大家族だったので、あんまり習い事とかもできなかったですし、やってみたくてもできなかったので、今やったらできそう、みたいなことをやってみる感じでした。

日食:当時からマルチタスカーというか、複数の歯車を同時にすごい勢いで回転させてる子っていうイメージがあったので、私もこういうふうにしてみたいと初めて思って、毛筆まではいかなかったけど(笑)、グッズも自分で考えるし、企画も自分から発信するようになったんです。昔から「しっかりしてるね」とか言われてたでしょ?

あいみょん:家族の話をした後だと、「通りで、6人兄弟の次女だね」みたいなのはありますけど、自分がしっかりしてるとは自分ではあんまり思わないですね。逆に、日食さんの方がしっかりしてそうですよ。

日食:私? 全然よ。

あいみょん:ご兄弟いらっしゃいますか?

日食:一応姉がいて、末っ子気質だから。

あいみょん:私次女なので、上に姉もいるし、下に弟も妹もいるんです。だから家族のなかでいろんな立ち回りをしなきゃいけないというか、妹にならなきゃいけないときもあるし、お姉ちゃんにならなきゃいけないときもある。あとお姉ちゃんと妹が子供を産むのが早かったので、結構早めにおばさんにもなったから、家の中で自分の役がいっぱいあったというか。当時は嫌でしたけど、それが今思えばよかったのかなって。

日食:そういう家族の中でのあり方がこういうキャラの強い弾き語りの人を生み出したんだろうなって。で、その『いざ、尋常に』が終わった少し後くらいから、スイカを持って寝っ転がってるあいみょんの写真が渋谷に出始めて、この子えらいことになり始めてるなって。

あいみょん:『君はロックを聴かない』のタイミングのアー写ですね。

日食:その後くらいに多分私のライブを観に来てくれて、(渋谷)La.mamaでツーマンをやって、花を引っこ抜いて帰っていった(笑)。

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