布袋寅泰、hide、BUCK-TICK……アーティストに愛されたフェルナンデス 日本ロックシーンへの功績

世界中で愛されるZO-3とサスティナー

 フェルナンデスの技術と発想力、デザインセンスが結集した名器、アンプとスピーカーが内蔵されたエレクトリックギター“ZO-3”が発売になったのは、1990年3月のことである。当時の開発コンセプトは「花見で弾けるエレキギター」。国内生産としては、アンプとスピーカー内蔵ギター自体は1964年にテスコ(TEISCO)が“TRG-1”を発売しているのだが、ZO-3はその丸みのあるキュートで小型なシェイプとそれを表すキュートなネーミングセンスが人気を博し、さまざまな派生モデルやキャラクターコラボを展開。2018年時点でシリーズ累計35万頭以上の売上を記録し、「世界で一番売れたギター」とも称されている。海外での販売モデル名は「NOMAD」(ノマド)であるが、ZO-3の愛称は多くの国で知られている。

 ZO-3の1990年の初回ロット数は300頭だったというが、1991年には3万、1993年に10万頭販売を達成している。そのセールスヒットの裏にはテレビ効果があった。1990年の『第41回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)で「おどるポンポコリン」を披露したB.B.クィーンズの“インチキおじさん”(当時は覆面ユニットであり、近藤房之助であることは伏せられていた)が手にしていたギターがZO-3だったのである。そして、忌野清志郎だ。口下手な彼はトーク番組であっても、テレビ出演の際にはZO-3をよく手にしていた。清志郎がきっかけでZO-3を知った、手にした現在の40〜50代は数知れず。さらに、たけし軍団のグレート義太夫と柳ユーレイ(柳憂怜)も様々なバラエティ番組でZO-3を抱えていたし、1993年に放送されていた伝説のギター番組『寺内ヘンドリックス』(フジテレビ系)では、エド山口が「一億二千万総ギタリスト計画」と題し、ZO-3を片手に街へ繰り出したのである。

 また、そのサウンドのチープさを逆手に取り、あえてレコーディングでZO-3を使用するアーティストもいた。有名なところでは、当時Red Hot Chili Peppersのギタリストだったデイヴ・ナヴァロが弾く「Walkabout」(アルバム『One Hot Minute』収録/1995年)だ。「あえて電池切れかけ状態で弾いた」という、壊れかけのラジオのようなファズサウンドが同曲のギターソロでは聴くことができる。

 フェルナンデスで忘れてならないのは、弦振動を自由にコントロールするために開発された「サスティナー」だ。スイッチをオンにすれば電池の限り永続的な弦振動を得られるシステムである。1991年に布袋モデルと今井モデルにプロトタイプが搭載された。布袋の「FLY INTO YOUR DREAM」(『GUITARHYTHM II』収録/1991年)はサスティナーによって生み出されたと言っていい曲であるし、hideはX JAPAN「ART OF LIFE」(『ART OF LIFE』/1993年)においてYOSHIKIの要望によるバイオリンのようなロングトーンを再現するためにはサスティナーが不可欠だったと語っている。その後、サスティナーはロバート・フリップ(King Crimson)、エディ・ヴァン・ヘイレン(Van Halen)、スティーヴ・ヴァイ、ジ・エッジ(U2)など、世界中のギタリストに愛用されている。

布袋寅泰「FLY INTO YOUR DREAM」ライブ映像(『Rock’n Roll Circus』より)

 また、飛び道具エフェクトペダルの代名詞である、米・DigiTech社の「Whammy」(ワーミー)を世に知らしめたのもフェルナンデスの功績だろう。ピッチシフターのインターバルを、エクスプレッションペダルでリアルタイムにコントロールできるワーミーは、1989年の登場時にはその斬新すぎる機能ゆえに受け入れられない側面もあったのだが、1991年に日本で発売されると同時に布袋、今井、hideが愛用し、一気に広まったのである。BUCK-TICK「Ash-ra」(『COSMOS』収録/1996年)の怪しくトリッキーなフレーズはこのワーミーとサスティナーの合わせ技だ。当時DigiTech社の輸入代理店を務め、前衛的なギタリストを多くモニターとして抱えていたフェルナンデスだからこそのものだろう。

ジャパニーズロックの発展とともにあったフェルナンデス

 アーティストシグネチャーモデルにとどまらず、布袋モデルの廉価版とも言うべき“TEJ”、テクニカル派に好まれた“FR”、初心者向けモデルといえば“FGZ”、ベースは“FRB”に“SWB”……といった幅広いラインナップがあった。家庭用のアンプやシールドケーブルにストラップ、弦、そしてポリッシュ類や工具などメンテナンス用品も充実していた。ギターやベースを始めるにあたって必要なものは、すべてフェルナンデスで完結できたのである。

 ジャパメタ、バンドブーム、ヴィジュアル系……こうして振り返ってみれば、ジャパニーズロックシーンはフェルナンデスとともにあったと言っても過言ではない。たとえ楽器を演奏しなくともロック好きであれば、多くの人がフェルナンデスのギターやベースのサウンドを聴き、目にしてきたに違いないはずだ。そして、それは偉大なプレーヤーが残した音源や映像を通じてこの先も受け継がれていくことだろう。

布袋寅泰、提供楽曲に表れるギタリストの枠を超えた作家性 井上陽水、藤井フミヤ、亀梨和也ら手がけたコンポーザーとしての歩み

亀梨和也が8月18日にリリースする2ndシングル表題曲「Cross」は自らの作詞に加え、布袋寅泰作曲ということで大きな話題となっ…

hide、自由な発想で追い求めた“ロックからの逸脱” 現行ポップスにも通ずる音作り&自己プロデュースの斬新さ

現在「Z世代」と呼ばれるわれわれ若者世代であっても、日本に生まれ音楽の世界に分け入っていくなかで、必ずどこかにその残像を認めるこ…

関連記事