家入レオ×麻倉もも、互いの声を信じ合うから歌えた希望 中学時代の交流から初コラボまで

 アーティストの家入レオと、声優・シンガーとして活躍する麻倉もものコラボシングル「希望の名前」が2月21日にリリースされた。実はこのふたり、地元・福岡での中学・高校時代の同級生。教室で彼女たちが夢を語り合った日から時が経ち、ひとつの曲を共に完成させた。この曲は、大切な思い出と、たどり着いた今と、これからの未来を、ひとつに繋ぐような光を放つポップなアップナンバー。家入の真っ直ぐでしなやかな声と、麻倉のひたむきで輝く声は、決して似ていないからこそ互いを照らし合っている。今回のインタビューでは、ふたりが親友になったきっかけや思い出、「希望の名前」に込めた想いを語ってもらった。(上野三樹)

「ももちゃんは自分の胸の中で夢を育てていて素敵」(家入)

――おふたりは中学・高校の同級生だそうですが、どんなきっかけで親友になったんですか。

麻倉もも(以下、麻倉):中学1年生のときから高校まで何度かクラスが一緒だったのですが、仲良くなったのは何がきっかけだったんだろうね?

家入レオ(以下、家入):たぶん私が話しかけたんだろうね。音楽部っていうミュージカルの部活があったんですけど、ももちゃんは中学1年生のときから入っていて、私は途中から入ったんです。『サウンド・オブ・ミュージック』を、ももちゃんがお姉ちゃん役、私がその弟役をステージでやって、そこで距離が縮まったかな。

麻倉:そうだね。音楽部に途中から入ってくれたのは、私がスカウトしたからなんです。そのときはまだそこまで仲良くなってなかったと思うんですけど、「絶対いいよ、入ろう!」って結構強引な勧誘をしました(笑)。そもそも彼女が歌手になりたいということを知っていましたし、教室で歌ってる姿も見ていたので、音楽部に入ってくれたら素敵な舞台が作れると思っていました。

家入レオ

――ということは、初めておふたりがステージで共演したのは、かなり前のことになりますね。

家入:14歳のときだから……!?

麻倉:15年も前だね(笑)。

――麻倉さんは中学時代からミュージカルに興味があったんですか。

麻倉:はい。小学校のときに中学受験をしようといろんな学校を見て回った中で、学園祭で音楽部がミュージカルをやっているのを見たときに「私、この学校に入ってこの部活に入りたい!」って親に言ったんです。自分が舞台に立ちたいという以上に、みんなでひとつのステージを作り上げる姿に感動したんですよね。キラキラしてて楽しそうだな、私も一緒にやりたいなって。なので、入学してすぐに入部届を出しに行きました(笑)。

――そうだったんですね。学生時代に家入さんはアーティスト、麻倉さんは声優という夢があったということですが、お互いにそういう話もしていたんですか。

家入:私は小さい頃から母に「想像できるものは現実になっていくよ」って教えられて育っていたので、夢を言葉にすることにあまり抵抗がなくて。なので入学した当初から「私は歌う人になりたい」と言って自分で作った曲を、ももちゃんをはじめいろんな人に聴いてもらったりしていました。学生あるあるだと思うんですけど授業中に手紙を回したりするじゃないですか(笑)、その延長で書いた歌詞をみんなに回してもらってコメントを書いてもらったりしていました。

――すごいですね、ぜひ参加したかったです(笑)。

家入:あはははは! よく恥ずかしげもなくやってたなと思うんですけど、そんな中で私の夢をももちゃんが知ってくれて。あるとき、ふたりでいたときに「実は私、声優になりたいんだ」っていう夢をももちゃんが教えてくれました。

麻倉:私は音楽部の部員の子や先輩に「いい声だね、声優さんになったら?」って言われて。それをきっかけに声優という職業に憧れを持つようになりました。私はあんまり自分のことを人に話すタイプではなかったんですけど、レオちゃんとふたりのときは他の友達には話さないような真剣な話をしていることが多かったんです。なので言いやすかったし、聞いてほしかったのかなと思います。

麻倉もも

――他の友達とは違う、特別な仲だったんですね。

家入:私は人に夢を言うことで自分に発破をかけるみたいなところがあったけど、ももちゃんは自分の胸の中で夢を育てていて素敵だなと思っていました。私たちの学校は、中学から大学まである女子校だったので、1回でも人間関係につまずいたら10年間も友達がいないことになるんだな、と思ってすごく怖くなって。努めて明るく学生生活を送っていたなって振り返ってみると思うんですけど。「誰にも嫌われちゃいけない」っていう私の中にある怖さを、ももちゃんは感じ取ってくれていたのかなと思います。ふたりになったときに、変におどけなくてもいいっていう安心感がありました。

「レオちゃんの一言をきっかけに、私も何かしなきゃと思った」(麻倉)

――その後、家入さんが上京して高校を転校されて。

家入:はい。私は高校2年生のときに東京の芸能科のある学校に編入していて、そこではすでにいろんなお仕事をしている方が多かったので、私自身も学校の中でどこか“家入レオ”として過ごしていました。でも、ももちゃんと過ごしていたときは自分はまだ何者でもない存在だった中で、音楽部に勧誘してくれたり、私の声を信じてくれた人なんです。

麻倉:レオちゃんが転校するときに、そのときは声優という夢をほぼ諦めていた私に、「ももちゃんも頑張ってね」って言ってくれたんです。その一言をきっかけに、私も何かしなきゃと思って、今所属している事務所のオーディションを受けました。なのでしばらくは、レオちゃんは夢のために上京してデビューもしていて、私は福岡の地元で彼女の活躍を画面越しに見ているという関係でした。そのあと私が事務所に入った頃に、レオちゃんが福岡のキャナルシティ博多でリリースイベントをするタイミングがあって。同級生のみんなで観に行ったらレオちゃんと話をすることができました。そのときに「事務所に入ったよ」って言おうとしたんですけど、まだレッスンを受けているだけなのに、なんか恥ずかしいなと思っちゃって、言わなかったんです。いつか自分で自分を認められたときに連絡して、話したいなって決めました。でもレオちゃんは周りに教えてもらって私の近況を知ってたみたいで(笑)、それで連絡を取り合ったりしていました。

――麻倉さんも上京されてから、会う機会などありましたか。

麻倉:最初、新宿で会ったよね。

家入:懐かしいね。同級生から「ももちゃんが東京で頑張ってるよ」っていうのを聞いて、ご飯食べた。

麻倉:そのときお互いにまだ駆け出しで頑張ってる時期で、そんなに頻繁に会えるような状況ではなくて。たぶん20歳前後だったと思います。

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