Pay money To my Painが残したものとは何だったのか? ドキュメンタリー映画『SUNRISE TO SUNSET』を観て

 Pay money To my Painのドキュメンタリー映画『SUNRISE TO SUNSET』が公開された。

 2004年に結成され、2006年にメジャーデビューを果たしたPay money To my Pain。2012年12月30日、ボーカルのKが急逝し、そして2013年12月30日にバンドは活動休止となった。そこから10年という節目の今年、ドキュメンタリー映画が公開された(「Filmarks」の「11月第3週公開映画の初日満足度ランキング」にて1位を記録)。映画では、PTPメンバーやスタッフ、PTPを敬愛するバンドマンのインタビュー、これまで公開されることのなかった貴重な映像、そして2020年に行われた『BLARE FEST. 2020』でのPTPの一夜限りの復活ライブの模様が収められている。

『SUNRISE TO SUNSET』©2023 Warner Music Japan Inc.

 公開初日の11月17日に行われた舞台挨拶では、メンバーが映画を初めて観た際の印象を「Kに出会ってから本当に漫画のような映画のような波乱万丈の人生だなと思っているんですが、本当に映画になるんだなと思いました」(T$UYO$HI/Ba)、「すごくいいバンドやなと思いました。苦しかったり寂しかったりした思い出が強かったけど、(映画になって)結成当時くらいから見た時に、すごくバンドらしいことをしてたんやなあって感動しました」(ZAX/Dr)、「記憶のなかで封印しているものを思い出して。最初観た時は画面が観れないというか、泣いてるわけじゃないんだけど、いろんな記憶を直視するのが難しい部分もあったりして。今日ようやく客観的に観れた。一生懸命がむしゃらにやってきてよかったなと思いました」(PABLO/Gt)と語っていた。

 また本作を監督した茂木将は、制作について「心がけていたのは、自分で脚色をしないこと。唯一あるとすれば、“PTPが残したものは何か?”をコンセプトに全員にインタビューをした」とコメントしていた。そこで本稿では“PTPが残したもの”を考えてみたいと思う。というのも、実際に私は本作を観て、PTPの作った道について思いを巡らせたからだ。

 劇中でも触れられているが、PTPは今でこそロックバンドをジャンル分けするうえでのひとつのカテゴリーとなっている「ラウドロック」を、おそらく初めて冠されたバンドだ。彼らはニューメタルやハードコアを踏襲し、自由かつ大胆な解釈により生み出した音楽で2006年にメジャーシーンに登場した。ボーカルのKがアメリカに住んでいて、常にライブを観ることのできるバンドではないことなど相まって、その名前と魅力は瞬く間にライブハウスに広まり、全国のリスナーはもちろん、多くのバンドマンにも愛されるようになった。その後の活躍は皆が知るところとなるわけだが、その名をさらに押し上げたのは2011年に行われたHi-STANDARD主催の『AIR JAM 2011』だろう。BRAHMANやLOW IQ 01 & MASTER LOWといったいわゆる“エアジャム世代”のバンドと並び、PTPはステージに立った。目には見えずともどこかに境界線のあったメロディックパンクと「ラウドロック」は交わっていく。「ラウドロック」という新カテゴリーとして先陣を切りつつ、さまざまな境界線を取っ払っていったのもまたPTPだった。

 そして2023年。SiMが主催フェス『DEAD POP FESTiVAL』を、ROTTENGRAFFTYが『響都超特急』(『ポルノ超特急』)をそれぞれ“今年も”開催し、ONE OK ROCKとMY FIRST STORYが東京ドームでツーマンライブ『VS』を行った。2023年に限って挙げたが、coldrainも主催フェス『BLARE FEST.』を開催しているし、「ラウドロック」にカテゴライズされるバンドが日本武道館、横浜アリーナといった大きな規模の会場でライブを行っていることもそう。今挙げた以外にも、皆、各地でのイベント出演や自身のツアーなどに奔走している。PTP含めラウドロックバンドに憧れ、影響を受けて音楽を始めたというバンドやアーティストも次々と登場してきている。PTPが残した「ラウドロック」の道は着実に耕され続けているのだ。もちろん、PABLO、T$UYO$HI、ZAXは今もそれぞれの音を鳴らしているし、PTPの音楽はこの先も残り続ける。

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