岡田奈々「私は本音で生きる」――AKB48卒業からソロデビューまでの激動 “本当の自分”と決意を語る
出来事があればあるほど物語は作りやすい、「これも人生だな」って
――岡田さんに限らずですが、スキャンダルが出ると世間は容易に人を傷つけますよね。まるで自分が100%正しいかのように。
岡田:うん、そうなんですよね。びっくりするほどバッシングを受けました。
――どのようにして当時は精神を保っていましたか?
岡田:私は、それこそ携帯のメモにすごい文字数の言葉を打っていました。いつか歌詞に使えるんじゃないかと思って。そうして、自分のなかの気持ちを整理していましたね。
――当時から作詞へのモチベーションが高かったんですね。だから前を向けた。
岡田:そうなんですよ。いろいろな曲の作詞をしたいなと思っていた頃でもあったので。でも、やっぱり人生なので、出来事があればあるほど物語は作りやすいじゃないですか。曲もそうで、「これも人生だな」と思いながら作りました。
――その次に書いた曲は?
岡田:「Green Bird」。元AKB48の道枝咲ちゃんに向けた曲です。彼女は、8人兄弟の長女なんですよ。だから、家族の誰かひとりでも新型コロナウイルスに感染してしまったら自分が活動ができなくなってしまうということで、コロナ禍でのライブや舞台の本番中は、私の家で一緒に暮らしていたんです。私の声が出なくなってしまった時期も、筆談の相手をしてくれたり、ご飯を作ってくれたり、本当に献身的にサポートしてくれた大切な後輩で。そんな彼女に向けて、「咲ちゃんを守るのは私!」という思いで書きました。
――この曲も、身近な人に向けた思いが歌詞を書くきっかけになっているんですね。
岡田:〈あたたかい君よ 咲き誇って〉と〈導く場所〉は、それぞれ咲ちゃんの苗字と名前からとっています。この曲のテーマは、“エメラルド”なんです。慈愛に満ちた宝石と言われていて、咲ちゃんのイメージにぴったりだったんですよね。
――中盤は、比較的穏やかな楽曲が続きましたが、残る曲はヘビーなものが多いですね。
岡田:「Green Bird」の次に書いたのが「終焉のカウントダウン」で。週刊誌に載って以降、信じられないくらいバッシングを受けたんですよ。「死ね」「消えろ」「芸能界からいなくなれ」「クズビッチ」って。その時の正直な気持ちをこの曲に。「死ね」と言われても死ぬわけない――というか、「死ね」と言っているあなたの精神状態は大丈夫ですか? って。ボカロ風にアレンジしてもらって、アップサウンドでいっぱい〈「死ね」〉と〈「死にたい」〉を繰り返しています。
――ここまで書きたくなるくらい、ムカついていた?
岡田:「なんでこんなに『死ね』って言われなきゃいけないんだろう?」って。「人に『死ね』と言ってはいけません」と教わるじゃないですか。だから、「どんな教育を受けてきたんですか?」みたいな。どうしても怒っちゃいましたね。
――でも、ある意味、怒りに変えられたのはよかったですよね。そこで心が折れてしまう人もいますから。
岡田:うん、そうですよね。ムカつく気持ちができたからこそ、この曲も生まれました。この曲を歌うことで、きっと鬱憤を晴らせる方もいらっしゃると思うし、ちょっとでもストレス発散になったら嬉しいです。
――では、その次に書いたのは?
岡田:「ネット弁慶の皆様へ」です。方向性としては「終焉のカウントダウン」と似ていますね。バッシングを受けた時、SNSのフォロワーが突然3000人くらい増えたんですよ。そのほとんどが捨てアカウントで、「嘘つき」「裏切り者」「クズ」「死ね」「消えろ」「結局男が好きだったんだろ」「妊娠してるんじゃない?」と本当にいろんなことを言われて。つまり、その人たちは、みんな顔を出して直接言うことができないネット弁慶の方々なんだなって。そういう人たちに向けて書いたメッセージソングになっています。
――こちらも、怒りがバシバシ伝わってきます。
岡田:ネット弁慶の方々の心ない言葉で「命を絶ちたい」と本当に思ってしまう人もいるのに、当の本人たちは捨てアカウントというすぐに逃げられるような場所からモノを言うんですよね。それが本当にムカつきました。だから、私が感じた素直な思いを歌詞にして、「私は顔も知らない、会ったこともない人たちに攻撃されて死ぬような弱い人間じゃない」「私は私で強く生きていきます」と意思表示をさせてもらいました。
――〈何故なら恥じるような生き方をしてないから〉という歌詞も響きます。
岡田:当時、傷つけてしまったり、迷惑をかけたりした方が大勢いて、それはとても反省しています。だけど、そこも含めて“岡田奈々”なんです。私はオープンに生きてきた人間です。隠したくなかったけど隠れてしまっていた部分があって、でも自らそれを隠すようなことはしていないんです。恥じるような生き方はせずに、生きてきたつもりなので、こうやって書かせてもらいましたね。
その次に書いたのが「望まれない朝」でした。YouTubeでも活動されているシンガーソングライターの水野あつさんに作編曲をお願いして。どんな曲にするかを話し合った時に、「暗いけど希望のある曲がいいね」という話になって。この歌詞は、1日で書けたんですよ。
――ほかの曲も2〜3日で書いたと聞きました。それでも早いなと思っていましたが、1日とはさらにスムーズですね。
岡田:書きたい歌詞がパッと思い浮かぶような素敵なメロディだったんですよね。やっぱり水野あつさんは天才だなと思いました。歌詞に込めたのは、月曜日の朝のような憂鬱な気持ちと、その先にあるものです。頑張っても報われないし、終わりがこないと思っていたけど、周りを見渡してみたら自分のことを大事に思ってくれる人がきっとひとりはいる。そんな希望も込めています。私にも、憂鬱な時に助けを求めると快く会いに来てくれる友人や家族がいるので。
――そんな歌詞が、難なくスラスラ言葉にできたというのも、身近な人を大切に思う岡田さんらしいエピソードですね。
岡田:まさか1日で書けるとは思わなかったですけどね(笑)。唯一、(作詞に)3日以上かかったのは「声を失った人魚姫」です。ボーナストラックにした英語バージョンも含めると、半年近くかかったんじゃないかな? 英語詞は、元AKB48メンバーでネイティブの野澤玲奈ちゃんに監修してもらいながら、ずっと試行錯誤していました。順番的にも「望まれない朝」のあとくらいに書き上がったと思います。
――「望まれない朝」はどのようにして作っていったんですか?
岡田:私、今年の1月からライブハウスツアーをやっていたんですけど、突然なんの前ぶれもなく声が出なくなってしまったんです。その時に書いた曲ですね。上咽頭炎という病気で、1週間点滴を打ち続けてなんとか回復したんですけど、点滴生活はキツかったし、この先自分の声がどうなるのかわからなかったし、とにかく怖かったです。その時の恐怖やそれでも負けないという強い思いを込めました。
――特に印象的なのは、Dメロ。掛け合いになっているんですよね。
岡田:そうですね。私、AKB48の村山彩希ちゃんとすごく仲良しなんですけど、彩希ちゃんは私がライブステージに立つたびにメッセージをくれるんです。「あなたは大スターだ」「だから自信を持って歌っておいで」って。なので、彩希ちゃんからもらった言葉を使って構成しています。
――そして、残るは「Mayday」ですね。
岡田:これは、完全に心の闇を書いた曲です。命を絶ちたいと思う人の気持ちを代弁しているような曲になっています。
――ということは、岡田さん自身がそういう気持ちになってしまったことも?
岡田:ありました。それこそ、AKB48を卒業する1カ月くらい前ですかね、「ダメかもしれない」と思って自暴自棄になって。お酒をガンガン飲みながらこの歌詞を書きました。
――とてもしんどい時期だったんですね。そういう曲は、レコーディングも大変そうですが。
岡田:大変でした。その時のことがフラッシュバックしますからね。なので……あまり感情を出さずにちゃんと歌うことが大切なんですよ。
――出しすぎてもいけないと。
岡田:そうなんです。こういう歌詞の場合、出しすぎちゃいけないから難しいです。特に今回のアルバムなんて、自分の感情が全部入っているので大変ですね。特にレコーディングがしんどかったのも「Mayday」です。「助けて」という信号を出したまま、助けがこない曲なので。でも、落ち込んだ時は暗い曲を聴いて、心を落ち着かせるという方もいらっしゃると思うから。そういう方に向けた曲になっていたらいいなと思います。
――初めて作詞した「この世から僕だけが消えることが出来たら」は、今から2年前の感情を歌詞にした楽曲で。それから現在まででこれだけの歌詞ができたのは、あらためて驚異的ですね。
岡田:それだけ、この2〜3年間が激動だったんですよね。別れもあり、出会いもあり、いろいろなことがありましたから。