PEDRO、新体制で奏でる“生活が続いていく素晴らしさ” 3人で語り合う再スタートの経緯&アユニ・Dが一番綴りたかったこと
PEDROが活動再開後の第1弾シングル『飛んでゆけ』を8月23日にリリースした。
2021年12月22日の活動休止から約1年半、アユニ・D(Vo/Ba)、田渕ひさ子(Gt)に加えて、ヒトリエのゆーまお(Dr)を加えた3人編成で再スタートを切ったPEDRO。BiSH解散翌日の6月30日には新代田FEVERにてシークレットライブ『午睡から覚めたこどものように』を開催し、あわせて2021年11月リリースのアルバム『後日改めて伺います』全10曲にデジタルシングル「さすらひ」を加えた全11曲を、この3人で再録したアルバム『後日改めて伺いました』もリリースされた。
ニューシングルには、アユニ・Dが活動休止中に書き下ろした表題曲、そして田渕ひさ子が作曲、アユニ・Dが作詞を担当したカップリング「手紙」の2曲を収録。8月から11月にかけては全24公演の全国ツアー『PEDRO TOUR 2023「後日改めて伺いました」』も開催中だ。
リアルサウンドでは、アユニ・D、田渕ひさ子、ゆーまおの3人へのインタビューが実現。新生PEDROについて、いろいろと話を聞かせてもらった。(柴那典)
「“本当に僕がやっていいの?”みたいな感じでした」(ゆーまお)
――まず、先日の新代田FEVERでのシークレットライブについての話を聞かせてください。BiSHの東京ドームでの解散ライブの翌日だったわけですが、終わっての感触はどうでしたか?
アユニ・D(以下、アユニ):ものすごく素直な気持ちで言うと、技術面が足りなかったっていう個人的な反省ばかりでした。でも、数年ぶりにバンドとしてステージに立って、それが新代田FEVERというPEDROが誕生した場所で。東京ドームの約5万人キャパの次の日に、300人キャパのライブハウスでライブをするっていうのは史上初なのではないかなっていうくらい、自分の人生においてかなり面白い日でしたね。
――田渕さんはいかがですか? 活動休止から久しぶりにPEDROの再始動でしたが、ライブを終えての感触は?
田渕ひさ子(以下、田渕):前の日の東京ドームを観させてもらってたんで「本当に次の日なんだ」みたいな不思議な実感でした。あと活動休止前はコロナ禍で声出しもなかったんで、久しぶりにPEDROのライブをお客さんの前ですることができて、一緒にライブを作るみたいな感じで、とても楽しかったです。
――ゆーまおさんはいかがでしょうか。加入の経緯については後ほどお伺いするとして、まずはライブでの実感はどうでしたか?
ゆーまお:とりあえず結論から言うと、やってみないとわからないっていうところからで。3人でリハーサルしながらも、どういうライブになるのか、どういう風にお客さんに伝わっていくのかっていう空気も含めて、蓋を開けないとわからないよねって言いながらやってたのはあります。当日のライブをやる瞬間までみんな僕のことを知らない状態だったんで。始まる前はお客さんと一緒に新代田FEVERの前で煙草吸ってました(笑)。
――遡って、そもそも活動再開に向けての準備はいつぐらいからだったんですか?
アユニ:準備は活動休止した時点からずっとやってました。表に立ってなかっただけで、制作とか、どういう風にやっていくかを練る会議とかはずっとやってました。
――活動休止の間もPEDROというプロジェクト自体は動いていたと。
アユニ:そうですね。解散に向けて最後の1年半はBiSHに集中しよう、BiSH人生を全うしようっていう理由で活動休止していただけなので。解散翌日からPEDROを再開して、PEDROのアユニ・Dとして生きていけるようにPEDROチームとしてもずっと準備してくださってて。自分としてもそこに向かって進んでいた感じです。
――実際にこの3人という体制が走り始めたのっていつぐらいでした?
アユニ:去年の夏?
ゆーまお:そう、去年の8月頭ぐらいですね。アルバム再録に向けてのリハがあったんですよ。それが初めてです。
――そもそも、ゆーまおさんにドラムをお願いしようというのは、どういう経緯で決まったんでしょうか?
アユニ:個人的に、中学生の頃からヒトリエが大好きで。学校生活が結構苦しかったんですけど、登下校中ずっとヒトリエの音楽に救われたりしていて。で、wowakaさんと対談させていただいたり、イガラシさんにベースを教わったり、いろんなところでヒトリエが大好きってことをずっと言ってたんですよ。そしたら今回、毛利(匠太)さんは活動再開の時点では一緒にできないっていう話になって……なので、ドラムを探すしかないってなった時に、ゆーまおさんとやりたいですという話をしました。ちょうどレーベルの担当の方がゆーまおさんと飲み友達だったんで(笑)、そこからアプローチしてくださった感じです。
――ゆーまおさんとしてはその話を受けてどうでしたか?
ゆーまお:僕に話が来るというイメージはなかったです。事情とかも全然知らなかったですし、そもそもレーベル担当の方は飲み友達なんですけど、その人から具体的に仕事をいただくことがあると思っていなかったんで。お話をいただいた時は飲んでる時だったんですけど、「本当に僕がやっていいの?」みたいな感じでした。
――結果的に、NUMBER GIRLのギタリストと、ヒトリエのドラマーとバンドを組むという、アユニさんにとってはスーパーバンドが形になった感覚があったんじゃないでしょうか。
アユニ:本当に夢のようですね。ずっと尊敬している方とこんな風に再会できるっていうのは、幸せなスタートができているなって感じます。
「アユニさんがちゃんとPEDROの中核を支えている」(田渕)
――まずは『後日改めて伺いました』のレコーディングに向けた準備から始まったということですが、3人で合わせてみての最初の感触はどんな感じでしたか?
ゆーまお:そもそもPEDROはアユニちゃんが歌とかベースをステップアップしていく場所だったと聞いていて。けど最近は忙しくてあんまり弾けてない、だからすいませんみたいなことを事前にアユニちゃんから言われていました。でも、やったら全然そんなことなくて、ガツガツくるなっていう印象で。あと僕もNUMBER GIRLが好きなので。田渕さんのギターと合わせて「オルタナがそのままやってきた!」みたいな。正直感動してました。
――当然ヒトリエのルーツとしてもNUMBER GIRLは大きいわけですもんね。
ゆーまお:そうですね。自分が学生時代からずっとイヤホンで聴いてきたものがそこにあるみたいな感じでした。不思議なんですけど、そのまんま田渕さんでしたね。
――田渕さんとしてはこの3人で合わせてみての感触はどうでしたか?
田渕:私は年が一番上なんですけど、あんまり引っ張っていくタイプでもないので。でも演奏しながらの探り合いもありつつ、やっぱりゆーまおさんは技術もあるし音も良くて、楽器同士のコミュニケーションにもすごく長けてらっしゃるので。心配はしてなかったんですけど、やっぱり素晴らしいミュージシャンだなって思いました。あとは、アユニさんがちゃんとPEDROの核を持っていて、必要なことはちゃんと言葉で伝えてくれるので。やっていけそうな感じがしました。
――アユニさんはどうですか?
アユニ:まず私は、ドラマーは毛利さんとしか曲を合わせたことがなかったので、初めてPEDROの曲をゆーまおさんと合わせた時に、同じ曲をやっていても全く違う曲に聴こえるっていうか、「なんだこれは!?」って新しい世界がいきなり広がった感触があって。「こういう風にするとこうなるんだ」とか、自分もすごく学んだ日でしたし、これはもう未来に光しかない、自分も頑張らねばって思ったのが印象的でしたね。あとはやっぱり、ゆーまおさんもヒトリエ以外にたくさんサポートをやってらっしゃるので、私のことを観察して、どういう音楽にしたいかっていうことを、技術面でも、精神面でも向き合ってくださったので。もう、そういう意味では初日からバンマスという感じでした。
ゆーまお:そんなことはないです(笑)。
田渕:バンマスですよ(笑)。
ゆーまお:いやいや。初ライブの時にも、2人からバンマスって言われて。今初めて言いますけど、違いますよ。
田渕:そこをなんとかお願いします!
――(笑)。シークレットライブの映像を観て、思ってる以上にバンド感があるなという印象でした。同じところで育ってきた、同じものを聴いてきた人たちが集まってバンドになるのはわかりやすいんですけど、PEDROは世代も通ってきた文化も全然違う3人が集まった3ピースバンドで。でも、ちゃんと同じものを吸収してきた感じがある。不思議ですね。
ゆーまお:本当に、不思議な組み合わせですよね。
――そしてもう一つ。もし最初にPEDROが始まった時にこの3人が集まったとしても、このケミストリーにはならなかった気がするんですよね。「BiSHのアユニ・Dがソロでバンドをやります、ベースもこれから弾きます」っていう段階で田渕さんとゆーまおさんがいたら、もっと2人が支える形になって、アユニさんを盛り立てるみたいな役割になってたかもしれない。でも今のPEDROは3ピースバンドとして、ちゃんと三角形になっている感じがするというか。田渕さんはアユニさんをずっと見てきたので、この感覚って実感としてあるんじゃないでしょうか。
田渕:そうですね。やっぱり、アユニさんがちゃんとPEDROの中核を支えてるというか。歌やベースをステップアップして、みんなで一緒に進んできたっていうのはすごくあるかもしれないです。おっしゃるように、最初からこの3人だったら「支える」方が大きかったかもしれないですね。