supercell、ハチ、sasakure.UKらが作り上げた音楽×イラスト文化の歴史 ボカロ・ニコニコ動画視点で考えるMVの発展
ここまでをVOCALOIDにおける楽曲映像文化の前半タームすると、これ以降が後半のボカロキャラを用いない楽曲映像文化のタームとなる。ある意味この形式の先人もwowakaではあるが、彼の場合はある種の特異点として扱う方が正しいかもしれない。
特に2011年以降の主流は初音ミクを筆頭とするボカロキャラを動画内に用いず、完全なオリジナルキャラの人物描写がメインの映像文化である。現代のネット発アーティストなどに見られるイラスト/アニメのPV・MV文化と地続きになるこのスタイル。背景に最盛期における“ボカロ曲≠キャラソン”の認知定着もあり、徐々にボカロキャラの登場しない楽曲映像も増える中、潮流の決定打はおそらくじん(自然の敵P)による「カゲロウプロジェクト」、及びHoneyWorksによる「告白実行委員会シリーズ」などのメディアミックス楽曲への支持だ。
これらは曲の歌唱自体はVOCALOIDであるものの、歌詞や映像で紡がれる物語は各ボカロPの創作したオリジナルストーリーのため、必然的にキャラとしてのボカロの存在感は動画内に薄くなる。時を同じくしてボカロ曲のキャラソン脱却により、VOCALOIDのキャラクター的概念は失われ始め、初音ミクらは単なる電子楽器という本来の製品認識へ回帰した。一説にはこのキャラクター性の喪失が衰退期を招いた要因のひとつともされるが、楽曲映像の傾向にもそれが如実に表れたわけである。
とはいえ、その後の衰退期もシーンで活動し続けたクリエイターが居たことは周知の通り。しかしn-bunaやOrangestarといった当時を支えた面々の楽曲映像を見れば、完全にこの頃にはボカロキャラを動画内で扱うことが主流ではないと見て取れる。それはつまり同時にVOCALOIDのキャラクター性や、機械の持つ永続性にまつわる悲哀・無常さといった物語的側面に魅力を感じていた人々が大勢去ったこと。同時にその衰退の様子から、そんなリスナーの数が想像以上にシーンに多かったことをも示している。
その後2016~2017年にシーン再興の兆しが見え始めた頃。頭角を現し始めたナユタン星人やバルーン、Eve、かいりきベアやぬゆりといったメンバーの共通点として興味深いのは、全員が動画投稿を始めたのが2010年以降であることだ。つまりボカロ曲=キャラソンの認知が色濃かった時代や、VOCALOIDのキャラクター性が反映された楽曲映像をリアルタイムに知らない面々ばかりなのだ。そのためVOCALOIDがただの機械でしかない認知が常識となるのも必然。さらに当時の主力となる音声合成ソフトが、衰退期に登場しキャラクターとして扱われた時代がほぼ皆無のflower(v flower)だった点も加味すれば、ソフトをキャラとして見る発想が全くないことも頷ける。
ボカロキャラを使用する映像の形式が廃れた一方、“楽曲の映像作風・絵柄をある程度固定する”ヒットノウハウは、上記の面々を見ても分かる通り有効な手法として残り続けた。その点からもハチ・wowakaの両名が、いかにボカロカルチャーという極小な場所に留まらない有能なブランディングの才を持っていたか。その存在の大きさを、より強く痛感することができるだろう。
さて、そんな背景を持つクリエイターの台頭により、現在ボカロシーンは復興期を迎えている。中にはDECO*27やピノキオピー、sasakure.UKといった衰退期を経てなお第一線を走り続ける歴戦のボカロPも確かに居るが、新旧クリエイターの楽曲映像を比較した際、VOCALOIDをキャラクターとして扱っているか否かで傾向が面白いくらいに二分する点が、カルチャー史における楽曲映像文化の変遷を如実に物語っている。
とはいえ今のシーンの主力となるボカロPの大多数は、最盛期以降のシーンで育ってきた面々ばかり。彼らの作る、オリジナルキャラを動画に用いる楽曲映像はニコニコ動画にも投稿こそされるものの、プラットフォームを飛び出しYouTubeやTikTokなどでの再生数の方が主力で、そこから火がつくケースもかなり増えてきた。くわえてボカロカルチャーに留まらず、ネット発アーティストが一様に持つ本名・素顔を秘匿する性質との相性も良好であるが故に、文化が壁を超え融合した表現方法として、イラスト/アニメによるPV・MVが今まさに急速に拡大している一面もあることだろう。
最後に、VOCALOIDシーンに限定した際、楽曲映像の傾向は今後どこへ向かうのか。可能性として考えられることは二つで、ひとつは縦型動画への移行である。現在音楽シーン全体のPV・MVにおいても、スマホ画面やTikTokに対応した形式を主とした映像作品が徐々に増えている。VOCALOIDの主戦場はまだまだニコニコ動画及びYouTubeなどのプラットフォームだが、今後その主流が変わる可能性も否めない。万が一縦型動画が主となる場に公開を限定した曲が一大ブームを起こした場合、楽曲映像の潮流が大きくそちらに傾く未来もあるだろう。
そしてもうひとつの要素は、現在シーンを支える一大コンテンツ『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』(通称『プロセカ』)の人気拡大によるVOCALOIDのキャラクター性の逆輸入だ。現在のリスナーにはボカロ曲≒『プロセカ』曲という認知も一定数あり、ともすればニコニコ動画に触れたことのない人もいるだろう。『プロセカ』内の認識をカルチャーの常識とするリスナーは、VOCALOIDがそれぞれ自我を持つキャラであり、なおかつその性格やキャラクター性には多様性があることをゲームシステムから刷り込まれている。過去の主力クリエイターの常識が塗り替わった時代のように、将来的にこの『プロセカ』の背景を常識とするクリエイターが大勢輩出される時代も来るかもしれない。一周回ってVOCALOIDのキャラクター性が魅力となる時代が、もし再び訪れたとしたら。ひとつの音楽ジャンルの文化の変遷として、それもまた非常に興味深い現象だと言えるだろう。
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