the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第18回 英語混じりの日本語詞の誕生秘話、意外なアニソンからの影響も

バンアパ木暮、英語混じりの日本語詞へ

 先日、とある友人と話していたときに「人間の知的好奇心は27歳あたりをピークに衰えていく」という学説を聞いた。なるほど、そう言われてみれば20代の頃に比べて、音楽や小説などに能動的に触れていく時間は減ったかもしれない。もっとも誰しも社会に出たなら飯を食っていかねばならないから、そういう意味での自由な時間が物理的に減ってしまうのは当然のことだ。

 しかし、我々のようなポンコツ稼業においては、一般的な社会人の方々に比べれば時間的制約に融通が利くようにも思う。現にこの稿を書いている僕の両耳のAirPodsからはアメリカの若者が作った音楽が流れていて、その新しさと豊かさにしばしば筆を止めて聴き入ってしまう。挙げ句の果てにはちょっと休憩、とネット麻雀に興じてしまう始末。

 話を戻すと、年齢を重ねて仮に知的好奇心が衰えていたとしても、その分、知識と経験は増えているから、例えば音楽だったらそこに照らし合わせて新しい聴き方、味わい方ができる、とも思える。

 直近の私的体験で言えば、PinkPantheress & Ice Spiceによる「Boy's a liar Pt. 2」のドラムパターンにボルチモア・ブレイクスのリユースを見つけて、久しぶりに聴いてみたDJ Blaqstarr & Rye Rye「Shake It To The Ground」が当時の印象と違ったベクトルでクールに聴こえたりとか。

PinkPantheress, Ice Spice - Boy’s a liar Pt. 2 (Official Video)

 ミニマルな構造の強度、さらにMVの良い意味でチープな質感はノスタルジーを超えてフレッシュですらある……と、昔は気づかなかった古いものの魅力を発見すると同時に「Boy's a liar Pt. 2」あるいはNewJeans「Ditto」にしても、元ネタを持ってくるタイミング、音質や楽曲構造面でのアップデートの手腕とセンスは流石としか言いようがなく、温故知新を感じながら、新しいものは新しいもので大いに楽しませてもらっている。

NewJeans (뉴진스) 'Ditto' Official MV (side A)

 そうした新しい世代によるアーカイブの再解釈を「昔に聴いた何某に似てる」で終わらせてしまうのなら、それは確かに知的好奇心の減退と言えるかもしれない。まっさらな感性のキャンバスを自分好みに染めて(染まって)いける思春期・青年期はもちろん刺激的だが、すでに染め終えたと思っていた箇所を見直すとまた違った発見や驚きがあって、そうした視点は年を重ねたからこそのものだと思う。

 ……が、しかし。

 このコラムは僕の近況と雑感をつらつらと書き述べる場所ではないのである。なので、無理やりテーマへと筆を進めさせていただきます。

英詞の再採用、きっかけは川崎亘一のひと言

 2017年にリリースした我々the band apartの8枚目のアルバムとなる『Memories to Go』は、音楽誌のレビューなどで“それまでの活動の集大成”のように書いてもらうことが多かった。

 バンドの音楽性の特徴を客観的に書こうとしても、はっきり言って自分ではよくわからないし、「どんなアイデアもこのメンバーで演奏すると最終的にこんな感じになってしまいます」くらいしか言えないが、全英語詞のアルバム5枚、全日本語詞のアルバム2枚を経て、その両方が混在している『Memories to Go』の主に歌詞面においての総括感が、もしかしたら長く僕たちのことを聴いてきてくれた人たちに何らかの“集大成”を感じさせたのかもしれない。

 英語詞を再採用するきっかけになったのは、『TENNIS CLUB e.p.』(2015年)という会場・オフィシャル通販サイト販売シングルCDに収録されている楽曲「冬の窓」だった。例の如く自分たちで決めたはずのスケジュールとギリギリのせめぎ合いを繰り広げていたレコーディング終盤、次の日にボーカルを録らなければ発売延期という状況の中、僕と川崎(亘一/Gt)で「冬の窓」のメロディと歌詞を同時並行で作っていたのだが、作曲者でもある川崎のイメージにフィットする日本語詞がなかなか完成しなかった。

 そんな録音前日。サビのメロディに対する語感はそもそもどんなイメージなのか、という僕の問いに対して川崎が「Everyday、みたいな……」と答えた深夜、まずサビ部分の英語詞ができ、そのままの流れで全編英語の歌詞が完成した。

 『街の14景』(2013年)以来、新曲の歌詞は日本語で書くのがなんとなく暗黙の了解になっていたので、でき上がったものを荒井(岳史/Vo/Gt)に見せたときは少し面食らっていたが、それも一瞬のことである。活動初期から全英語詞のアルバムを何枚も作り、ライブではその頃の曲がセットリストに並んでいるのだから、そもそも歌詞の言語を限定せず、楽曲の構成要素の一つとして制作者がチョイスしていけばいい話だ……そんな風に僕たちの意識は変わっていき、翌年にリリースしたMock OrangeとのスプリットCD『Daniels e.p. 2』収録の2曲も歌詞は英語になった。

 振り返ってみれば、こうした流れは川崎の「Everyday、みたいな」という一言から始まったのだった。英詞を再び採用したこと、「曲にフィットしていれば何語だっていい」という意識変化による選択範囲の再拡大は、日本語詞の作り方にも影響を及ぼした。個人的に歌詞が日本語になってからも、どこか気恥ずかしくてなかなかできなかった「英語混じりの日本語詞」を書くことに対しての抵抗がなくなったのもこの時期のことである。

 きっかけの一つは、荒井が作った『Memories to Go』収録の「雨上がりのミラージュ」という曲。僕たちが子供の頃にテレビや親の車で流れていた歌謡曲の雰囲気を、荒井流にオマージュした楽曲だ。オマージュ元となっている80〜90年代の日本の歌謡曲、その構造的源泉を辿ればもちろん欧米のポップスがある。

the band apart「雨上がりのミラージュ」

 これは音楽に限らず、例えばラーメンやたらこパスタのように、海外からの文化的影響を柔軟に吸収しつつ風土性をミックスし、似て非なるものにアレンジしてしまうのは日本人の特性の一つだと思う。

 僕たちがバンドを始めた頃は、「英語混じりのJ-POP」はダサいものの代表といった雰囲気があった。そこにはメジャーを仮想敵としていた当時のインディーズ由来の価値観があり、僕たちはそこから大きく影響を受けてきた。

 個人的に好きなJ-POPはたくさんあったが、そこからの影響(特に歌詞面において)をバンドにを持ち込むことに抵抗があったのは、今振り返れば「英語混じり=ダサい」という思春期に醸成された感覚がまだどこかに残っていたからだろう。震災を経て歌詞を全て日本語に変えたものの、それならそれでカタカナ英語さえなるべく使わないという極端な方向に至ったのも、そうした理由からだ。

 しかし、バンドのメンバーから改めてそうした「英語混じりの日本語詞」を提示されたとき、そこに感じたのはノスタルジーと一周回った新鮮さだった。同時に、街を歩けば英字の看板やTシャツで溢れているのに英語話者は少ないという、自分が住み暮らす土地を象徴するような構造的魅力に気づいたとも言える。冒頭の文章で少し書いた「染め終えたと思っていた感性のキャンバスの見直し〜新たな気づき」現象である。

 そのことについて、当時の日本のヒップホップからの影響もゼロではない。

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