怒髪天 増子直純×柳家睦、己の音楽を追い求めて行き着いたロック バンドとしての生き様を語り合う

 怒髪天が柳家睦&THE RAT BONESを迎えた2マンライブツアー『怒髪天 presents 2023 WORLD BAKA CLASSIC 決勝』を開催する。2022年8月に行われた両バンドの対バンライブ『怒髪天 presents YOKOHAMA オトコまえ 2022 “ィヨコハマ!シン・フールズメイト”』で生まれたシナジーが2マンライブツアーとして花開く。若い頃はやんちゃをしながらも、己の音楽を追い求めてきた男たちが行き着いた、唯一無二のロックンロールがここに深く交わろうとしている。

 今、なぜこの両バンドによる2マンツアーなのか——。たどってきた道は異なれど、どこか似たような香りのする両バンドのフロントマン、増子直純と柳家睦。この男臭くてアブない2人、それぞれのロックとバンドに捧げる熱い想いを存分に語りあってもらった。(冬将軍)

地獄を潜り抜けてきた人間が作る音楽に嘘はない

——おふたりはいつ頃に出会ったのですか?

増子:何年前だろ? 10年じゃ効かないよね。

柳家:2000年とかですよ。ヤスオくんの紹介で(下北沢)SHELTERの打ち上げに行ったんです。

増子:ああ、(怒髪天が)活動再開してすぐだね。ヤスオっていう共通の友達がいて、雷矢のボーカルなんだけど。あいつはもう本当に振り切れたバカなんだよ。そんなヤスオがね、俺に「会わせたい」って連れてきたやつなんてそれまでいなかったから。(柳家は)東京に来て出会った、本物の気が狂った3人のうちのひとりなんだよね。雷矢のヤスオと、LAUGHIN'NOSEのPON、そしてこのむっちゃん(柳家睦)。PONがやってたイベント『サーチ&デストロイ』で全裸になってさ。最終的にはお客さん誰もいなくなったっていうね(笑)。

柳家:全裸だけど、靴下は履いてるんですよ(笑)。

増子:俺は北海道の友達みんなで出てきたから、東京で仲良くなった友達はそんなにいなかったんだけど、「こんな気の合うやつがいるのか!」って思ったんだよ。そのとき、むっちゃんはBATTLE OF NINJAMANZ(以下、ニンジャマンズ)っていうサイコビリーのバンドをやってたんだけど、すごいカッコよかったからな。今まで見たことのない、本当の意味での“サイコ=Psycho”っていうか。“おもしろ”が入ってるのが、最高だったよね(笑)。

柳家:わははは(笑)。

増子:そこから今のスタイルにたどり着いたんだなと思うと感慨深いものがあるよね、ラットボーンズは。俺の周りの希望とでもいうか、この歳になって「そうくるのかよ!」っていうさ。

柳家:増子さんだって、そんな人のこと言えないじゃないですか(笑)。

増子:(笑)。でも本当に付き合いは長いよ。まだむっちゃんが洋服屋やってた頃からだからね。

柳家:そうですね、原宿でお店やってたりしてて。増子さんもまだイベントに出てたりしてましたもんね。初めはライブを観たことがなかったんだけど、“怒髪天”っていう名前だけは知ってたんですよ。80年代に川崎で『札幌ナイト』ってありましたよね?

増子:やったやった、チッタ(CLUB CITTA’)で。

柳家:それを見て、名前だけ知ってて。それからヤスオちゃんが紹介してくれて。そのとき俺はサイコビリーというジャンルで動いてたから、(イベントや打ち上げで)毎回会う感じではなかったんですけど、“バンドの先輩”っていう意識はあって。どこかしらで会うんですよ、他のアーティストの打ち上げとか。

増子:共通の知り合いが恐ろしく多かったんだよね。

柳家:「増子さん、打ち上げどこでやってます? 今から行きます」って。そこからライブをちゃんと観たのは……。

増子:だいぶ経ってからじゃない(笑)?

——最初はバンドで、というよりも、ひとりの人間として馬が合った感じなんですね。

増子:そうだね、感性というか。アウトプットするものに多少の違いはあれど、すっごい共通点がある。人を巻き込んでいくユーモアとでもいうか。パンクもサイコビリーも、いかついじゃない? だから、他人に何かを伝えるっていうのはちょっと難しいんだよ。誰かにものを言いたいんだけどうまく伝わらない、最初の玄関口を狭めすぎてるというか。だけど、むっちゃんはニンジャマンズのときから玄関口を自分たちで広げていた。そこは意識的にではなく、やっぱちょっと面白いものが好きというのがあるんだろうね。怒髪天はコミックバンドだと思われることもあるんだけど、そうではない。ラットボーンズもそう。コミック人間がやってるバンドなのよ。面白いことを我慢できないというかね。それが哀愁に繋がるというか、ちゃんと人間味が出る。そこがすごく近いと思うんだよね。

柳家:増子さんは若い頃にいろいろ苦労してるじゃないですか。仕事もしながら、バンドをやってきた。人間、遅かれ早かれ苦労は必ずやってくるんですよ。増子さんは先に苦労をして、人生の歩き方や人との関わり方を20代でわかって、そこから30、40代になってからの出会いをさらに広げていった。僕は40歳くらいまで、出会いはあるんだけどそれをあまり大切にしてこなかったんですよ。いろんな経験をして「大切にしなきゃ」って思ったのが40代だった。だからまだまだスタートラインに立ててはいないんだけど、その感覚がわかったか、わかってないかくらいのときに増子さんが声を掛けてくれた。どっかで見ていてくれたんだなというのがわかった。だから、俺なんかと一緒にやっても面白いんじゃないかと思ってくれたのかなって。

——増子さんはラットボーンズのことを“シンナー吸いすぎたサザンオールスターズ”と評したりもしていますが(笑)。いちバンドとしてどう見ていますか?

増子:“横浜を乗り過ごしたクレイジーケンバンド”とかね(笑)。ラットボーンズを見て、いろんなバンドに知ってほしいのが、メンバーがいないとか、仕事の事情でとか、自分たちの都合で活動できないことを言い訳にしないでほしいということ。ラットボーンズはメンバーがいっぱいいて、フレキシブルにできるメンバーでやっているっていうさ。メンバーが仕事だからできない、っていうことがない。それでやってこれたから、誰も言い訳ができないと思うんだよね。

柳家:やっと(メンバーが)かたまりましたけどね。いなくなっちゃうのは困るけど、多すぎるのも困るんですよ。ドラムが3人っていうときもあったし、ギターが5人とかね(笑)。

増子:オーケストラかよ! ってね(笑)。でもそれを言い訳にしてきたヤツらをいっぱい見てきたからさ。本当にやる気があればできるんだっていう。そこはバンドをやることに対するアツさ、浪漫とでもいうか、痺れるよね。ニンジャマンズのときよりも、楽曲のクオリティが恐ろしく上がってるのもね。

柳家:昔は金もなかったですからね。楽器もみんなボーカルのマイクで録ってたし。

増子:俺たちも自分たちのことを“ジャパニーズR&E(リズム&演歌)”って言ってるし、ラットボーンズも演芸に近いものだったりするけど、大きなカテゴリでいえばロックに入ってくる。不良がやる音楽といえば、今はヒップホップなのかもしれないけど、我々の世代はやっぱりロックだったから。その匂いをちゃんと残してるバンドが、俺はロックバンドだと思う。

柳家:俺もそう思うんです。コロナに罹ったときにものすごい叩かれたんですよ。Twitterで「真面目にやってるロックバンドもいるんだから、あんたたちのせいで印象が悪くなる」って言われて。ちょっと待ってくれ、「そもそもまともなやつはロックバンドなんてやらねえんだよ!」って。語弊があるかもしれないけど、大学出てロックンロールやるんだったら、もっと世のため人のために動いたほうがいいじゃんって思ったりするんですよ。こっちなんて、50歳過ぎたってなんの保証ないんだよって。でもそれが正しいロックンロールだと思ってるし。もっと言うと、その心意気もなくて何がロックンロールだというのか。ギターなんて弾けなくていいじゃねぇか、ほうき持ってカッコつけてりゃいいじゃん! っていうさ。まぁ、さすがにほうき持って、50歳まではできないけどね(笑)。

——2020年3月に柳家さんがコロナに罹ったとき、色々な意味で話題になってしまいましたよね……。

増子:むっちゃん、すごい叩かれたけど、あの時期は何がどうなんて誰もわからなかったし、他のどのバンドよりもむっちゃんたちは気をつけてたからね。

柳家:バンドを仕事でやってましたからね。ただ、まさか自分が大変なことになって……。

増子:死にかけたからね。

柳家:でもあれで、世の中の表裏がめくれたし。なおかつ、ロックンロールやってる人間でも「お前、口じゃでけえこと言ってたけど、なんだそんなもんか!」って思った。こっちは裸にされて、ケツの穴の皺まで曝け出したから、何も怖いものはないし。

増子:みんな「コロナに罹ってすみませんでした」っていう声明を出してた時期あったでしょ。「すみません」じゃないよね。ただ病気になっただけなのに、誰に対して、なんのために謝るのか。誰にでも罹る可能性があるものに対して、自分だけは罹らないと思っていたのかなって。おかしいよね。

柳家:あれでいろんな人がいるなと思ったんだけど、増子さんはずっと心配してくれていて、BRAHMANのTOSHI-LOWなんかからも連絡があった。俺がこうなってるっていうのをギャグにしたり、話のネタにしてくれたりとか。それで気持ちをあげてもらったりしたし。

増子:心配だったからね。でもその修羅場というか地獄を潜り抜けてきた人間が作る音楽、そこには嘘はないと思うよ。いろんなものを見てきただろうし。

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