坂本龍一とデヴィッド・ボウイの交流を辿る 互いに言葉をかけ合い続けた2人の特別なリスペクト
坂本龍一とデヴィッド・ボウイの出会いは1978年12月にまで遡る。
当時2回目の来日公演ツアー中のボウイを、ソロとしてもYellow Magic Orchestra(以下、YMO)としてもデビューしたばかりの坂本龍一がインタビューするという雑誌の企画においてだった。
互いの音楽や日本の文化についてなど、話題は多岐に及んだが、ボウイのほうから三島由紀夫の話を持ち出しているのはおもしろい。言うまでもなく、坂本の父は三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者だった。もちろん、ボウイの知るところではなかったが。
ふたりの再度の出会いの場所は4年後、南の島だった。
ニュージーランド・クック諸島のラロトンガ島。映画『戦場のメリークリスマス』で俳優として共演したのだった。今ではニュージーランド有数のリゾートアイランドとなっている同島だが、当時は大きなホテルは島に一軒しかなく、スタッフもキャストもみな同じホテルで宿泊。食事も撮影後の息抜きの時間も一緒に過ごした。
なので撮影中にはホテルのバーでボウイと坂本が余興として一緒に演奏することもあった。ボウイが歌とギター、坂本がドラムという編成。また、ボウイはYMO「体操」を使って、女性スタッフのみの即興ミュージカルショーの監督もしている。
そして、1983年に世界各国で公開された『戦場のメリークリスマス』は、坂本龍一の運命を大きく変えた。ボウイが出演していることにより『カンヌ国際映画祭』に出品されるなど、世界中で注目された同作につけられた坂本の音楽は海外でも高く評価され、英国アカデミー賞作曲賞という初の国際的な賞も授かることになった。以降、国際的な映画音楽家というもうひとつの顔が坂本の経歴に加わった。
また、この1983年はボウイにとってそれまでで最大のヒットアルバム『Let's Dance』を発表し、それに伴う大規模なワールドツアーを行った年でもある。
ツアーの一環として秋に日本を訪れたボウイは、坂本と春の『カンヌ国際映画祭』以来の再会を果たし、坂本がレギュラーDJを務めていたNHK-FMの番組『サウンドストリート』に出演したほか、東京滞在中は毎晩、ピーター・バラカンやサンディーらとともにインクスティックなどのカフェバーに一緒に繰り出していた(その模様の一部は2018年に刊行されたデニス・オレガンによるボウイ写真集『Ricochet: David Bowie 1983: An Intimate Portrait』に掲載されている)。
この後に両者が邂逅したのは1988年の9月。
ビデオアーティストのナム・ジュン・パイクが企画した、ニューヨークのWNET-TVをキーステーションにして東京やソウルなど10都市を同時衛星中継で結ぶコミュニケーション・テレビ・プロジェクト『ラップ・アラウンド・ザ・ワールド』にふたりが出演したときだ。ボウイが日本語で、坂本が英語で対談するという試みで、それぞれの演奏を見守るという場面もあった(このときボウイが演奏したのは「Look Back In Anger」、坂本龍一が「ちんさぐの花」)。また、このときの対談映像は2019年にロンドンのテート・モダンで開催されたパイクの大回顧展で展示もされている。
しかし、これを最後に両者の直接的な交流は途絶えてしまう。
坂本龍一の1990年のパリ公演には、ボウイがおしのびでミック・ジャガーと共に観覧したという噂があったが、対面はしていないという。
1990年に坂本はニューヨークに移住し、最初は郊外に住んでいたが、1990年代後半にはマンハッタン島のダウンタウンに居を移している。ボウイもその頃には同じくダウンタウンに住まいを持っており、地理的な距離は縮まっていたし、実はお互いにそうとは知らず、同じレストランの常連、そして病院も同じだったらしい。オノ・ヨーコ、ルー・リード&ローリー・アンダーソン夫妻のような共通の友人もいた。
2016年にボウイが死去した後、坂本は近くに住んでいたのになぜまた交流しようと試みなかったのか後悔しているという発言をしていたが、直接の交流はなくとも、それぞれの近況はいつも気にかけていたようだ。
「坂本龍一は、メインストリーム、アバンギャルドと映画音楽とを最も上手く乗りこなす(中略)。その業はもはや匠の域に達しているように思う」
これは2010年に刊行された鋤田正義によるYMOの写真集『Yellow Magic Orchestra × SUKITA』に寄せられたボウイの言葉だ。日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞した『ラストエンペラー』などの映画音楽のみならず、坂本のポップなソロアルバムや実験的なコラボレーションアルバムまで耳を通していたことが窺える。
坂本も同様だ。2013年にボウイが10年の沈黙を破って発表したアルバム『The Next Day』に対する坂本のコメントがレコード会社制作の冊子に掲載されている。
「二人称の、過去の自分との対話。人生で何が大事なのか? 平凡な日常、友情。ただ生きていることのかけがえのなさ。老いてみなが通る道」
両者ともにこの世を去った今になるとなおさら、それぞれのファンがみな深い思いを抱かざるを得ない言葉だろう。