シド、20年を語り尽くす 結成秘話から雨の横浜スタジアム公演、アルバム『海辺』まで……挑戦し続ける音楽への姿勢
“新しさ”と“らしさ”を共存させるために
――そして、2008年にはメジャーデビュー、2010年には東京ドーム公演と凄まじい勢いでヴィジュアル系シーンのみならず、音楽シーンを駆け上っていきました。
明希:もちろんメジャーデビューや東京ドームというのは嬉しかったんですけど、そこに流されたくなくて、そのスピード感に押し潰されないようにと必死にもがいていました。自分をただの一バンドマンで終わらせたくないという思いがすごくあって、このバンドの中でいいプレイをして、名曲を書いて、ステージの上でかっこよく演奏できるようになるにはどうすべきかをものすごく考えてたし、そのために努力も勉強もしたし、自分のできることを全てやらなければと思っていた覚えがあります。
――そして、2013年の『SID 10th Anniversary LIVE』横浜スタジアム公演は今でも伝説として語り継がれるほどの大雨でしたね。
ゆうや:あそこまで裏で待機したライブはなかなかないですよ。外からザバー! っていう雨の音が聞こえてくる中、舞台裏の大人たちがそわそわしていたのをよく覚えています。でも、今思えば記憶に残るライブをやったなという気はしてます。だって、雨って演出でできるものでもないし。なので、ある意味奇跡が起きたライブだと思います。
Shinji:当時の僕はまだ多感な時期で、髪質が天然パーマなので“雨、嫌だなぁ”って思っていました(笑)。せっかくセットした髪の毛もずぶ濡れになってしまえばもう関係なくて、ライブはすごく楽しかったんですけど、ギターがたくさん壊れましたね。
――明希さんはいかがですか?
明希:雨以上にファンのパワーをすごく感じたライブでしたね。あの雨の中盛り上がってくれて、僕たち4人とファンのみんなでライブをやっている感覚になったのを覚えています。
――その一方でこの頃からマオさんの体には不調が出始め、人知れずに病と闘っていたんですよね。
マオ:その辺りから不調が出始めて、当初は心配をかけないために公表していなかったんです。でも、それがより自分を苦しめることになって、結果的に打ち明けました。その打ち明ける瞬間というのがこれまでの活動の中で一番怖くて、どうなっちゃうんだろうという気持ちを抱えていたんですけど、ファンのみんなやスタッフのみんなが温かく包み込んでくれて、想いを言葉にして届けてくれて。その言葉にすごく救われたと同時に、相手に言葉を届けることの意味や強さに気づいた瞬間でもあって、これからは自分が書く歌詞であったり、伝えていく歌に乗せて、ファンのみんなや一緒に頑張っているチームのみんなを勇気づけられるような活動をしていこうと誓いました。
――また、10周年をすぎたあたりから活動のペースが少し緩やかになった印象があります。その間にマオさんと明希さんはソロ活動を始められましたが、今一度経緯をお聞きできますか?
明希:自分でバンドの曲を作って、バンドで演奏して、それがシドの曲になって。その当たり前になっていたルーティーンの中で、もっともっと表現したいものが出てきて、自分の中にある音楽を全部理解する必要があるなと感じたんです。要は自分の中にある音楽の引き出しを全部開けて確認したかったというか。その中からいつもならシドっていう引き出しから曲を作って、他の引き出しもエッセンスになってバンドの曲になっていたんですけど、自分の音楽性を最後まで追求したくなったのがきっかけですね。
マオ:シドが大きな船になって、大きな動きはたくさんできて最高の思い出もできたんですけど、もっと小回りの利く船があってもいいのかなと思って。コンセプトとして“ファンのみんなのより近くで、ファンのみんなの温度を感じながら活動していく”を掲げてソロ活動を始めました。なので、シドが母体にあるからこそ、趣味のような感覚ですね。
――その中でやはりそれぞれがアーティストとして成長する時間を経て、シドに帰った時により大きなパワーを発揮するということですね。
マオ:ソロの名義を“マオ from SID”としているので、シドの看板を背負っているという責任感を持ってやっています。なので、少しでもバンドを良くするための要素を何か持って帰るというのは常に心掛けています。
――そこから約3年半ぶりのリリースとなった『NOMAD』(2017年)を“新しく生まれ変わった感覚”と評していたり、その後にリリースした『承認欲求』(2019年)では成熟したシドだからこその表現をしたりと、常に新しいシドを落とし込んでいることの凄さを実感するばかりです。この常に新しさを求める姿勢というのは、シドが20年間貫いてきた根底にあるマインドなのでしょうか?
マオ:そうですね。僕らはアルバムを出す前に選曲会をやるんです。3人とも素敵な曲を書いてきてくれるのでいい曲ばかりなんですけど、僕が唯一ズバッと言うのは“こういう曲、前にもやったよね”って時なんです。いい曲/悪い曲ではなくて、前にもやった/なぞっているような曲というのはやりたくないという意識で制作をしてるところもあります。
Shinji:一方で、曲数が増えれば増えるほど昔のように斬新な曲が浮かんでくるわけでもないので、その中で“新しさ”と“らしさ”を共存させるためにはというのを考えて、日々戦いながら作っています。
――20年間続けているからこその難しさもあることは想像に難くありません。
明希:何をもって新しいと思うかっていうのは毎回自問自答していて。それと同時にその時に求められるバンドの音を先回りして考えなければいけないし、場合によってはタイアップのように他のクライアントさんが入ることもあります。いろんな環境があって曲を作っていく中で、全部のフィールドでホームランを打てる曲ってなんだろう、といった問いかけをしながらメロディを探していく作業が、メジャーデビューしてからは特に多いですね。
ゆうや:2人が話してくれたように難しさはもちろんあるんですけど、ずっと同じ音楽を聴いているわけではないし、その時々で好きな音楽のテイストも変わっていくので、そういったものの中から“これ、もしかしたらシドに取り入れられるかもな”というものを収集しながら、そこにシドのエッセンスを足して、新しいんだけどどこかシドとリンクしているようなものができればと思って曲を作っています。
――いいアウトプットのためにはいいインプットということですね。
ゆうや:世間の旬とシドの旬というのがあると思うんですけど、ファッションと一緒で何年かに一回サイクルのように旬が周期的に回ってくる感覚があって。なので、さっきマオくんも言っていたように僕たちの曲に悪い曲はないし捨て曲にはならないので、作った曲を倉庫に入れて旬がくるのを待つのも面白いなと思います。それで、いずれ選曲会があったときに“昔、こんな曲を作ったんだけど”ってプレゼンするような、それくらいの自由度を持ちながら作曲してますね。