陰陽座が貫いてきた覚悟と信念 瞬火、20年以上に渡り追求するヘヴィメタルの可能性
陰陽座が、1月18日にアルバム『龍凰童子』をリリースした。今作は2018年にリリースした前作『覇道明王』から4年半ぶりの作品となる。その間、新型コロナウイルスの感染拡大が音楽業界に大きな影響を及ぼしたが、陰陽座は黒猫(Vo)の突発性難聴および声帯障害というバンドの存続にも関わる事態に直面していた。そして、黒猫がレコーディングを行えるまでに再起したところで制作された同作は、陰陽座そのものを物語るアルバムとして完成した。結成から20年超、陰陽座として活動を続けることへの覚悟も含め、『龍凰童子』リリースに至るまでの経緯を瞬火(Ba/Vo)にじっくりと聞いた。(編集部)
『龍凰童子』というタイトル自体が、陰陽座そのもの
ーー新作『龍凰童子』は前作『覇道明王』から4年半と、かなり間が空きました。この期間には新型コロナウイルスの世界的感染拡大が音楽界にも大きな影響を及ぼしましたが、一方で陰陽座にとっても黒猫さんの突発性難聴および声帯障害という、活動を止めざるを得ない出来事もありました。
瞬火:2019年に始まった結成20周年記念ツアーが2020年2月末頃まで続いていたんですけれども、残り5公演というところで(黒猫の)体調が思わしくなくなってしまって。まず公演延期という形をとって、一旦ツアーを中断したんですが、まさにその渦中で新型コロナウイルスの報道がチラッと見えて、あれよあれよという間にそのウイルスが世間を飲み込んでいった。バンドが止まらざるを得なくなった内的な理由と外的な理由とが重なっていたので、2つのことに襲われているという意識もありましたが、それでなくても黒猫の体調第一だったので、世間一般ではコロナウイルスにやられた3年ということでしたが、陰陽座としてはただただ黒猫の再起を待つだけの時間だったと思います。
ーー瞬火さん自身はバンド活動がいつ再開できるか、そこに対して不安を感じることはありましたか?
瞬火:世の中を見ていたら、もし黒猫に何事も起こってなくてもライブもできないし、活動も制限されたでしょうし。でも、それ以上に陰陽座だけの事情として、何がなくても黒猫が歌えるということが活動の絶対条件だったので、情勢に対しての不安よりは黒猫のコンディションをどこまで戻せるのかということだけを心配していました。その意味では、待っていれば100%治るだろうと楽観視もできませんでしたし、最悪の場合黒猫がその歌を失ってしまうのであれば、それは陰陽座としてもう一歩も活動ができなくなることだと覚悟して。ちょっと重い言い方ですけど、そうなったらそれまでだとは思っていました。
ーー実際、黒猫さんを待つ間は制作に向けた準備はしていたんですか?
瞬火:いろいろ新規導入した機材に不具合があったりして、言うほど準備に有効活用できていたわけでもないんですけど、とはいえ黒猫がレコーディングだったら歌えるぐらいにはなったと言えるようになったときに、ボーッと待っていて「じゃあ今から準備する」では時間がもったいないので、歌えるようになったらすぐに取り掛かれるようにという気持ちで準備を着々と進めました。で、2021年末から2022年初冬にかけての時期に「レコーディングという形であればやれそうだ」とわかったので、そこから一気に制作に入ったという感じです。
ーーそうして完成した今回のアルバムですが、前作のインタビューで黒猫さんが「『迦陵頻伽』がひとつの木からどんどん生い茂っていく枝葉だとしたら、『覇道明王』はその根幹の部分だ」という例えをしていて。その2作を経た今回の『龍鳳童子』は、陰陽座にとってどんなポジションの作品なんでしょうか?
瞬火:これは今回の制作タイミングとその状況を踏まえて決めたことではなく、『迦陵頻伽』と『覇道明王』の流れがあって、その次に来るべきものとして決定していたことではあるんですが……その黒猫の過去の表現を借りて申し上げるなら、今回の『龍凰童子』という作品はまさにその木全体を見せるという。そもそも、この『龍凰童子』というタイトル自体が、陰陽座そのものを表しているんです。
ーーというと?
瞬火:陰陽座の家紋には龍と鳳凰があしらわれているんですが、この2つの霊獣に守られ、力を借りて陰陽座は歩んでいるんですけど、我々としては正道を歩んでいるつもりでありながら、音楽シーンにおいては誕生した瞬間からある種の鬼子であり徒花であると。一方で、アルバムタイトルにも用いられている童子というのは、強力な鬼の名前に付けられる言葉で、有名なところでいうと酒呑童子や、今回の収録曲にも使った茨木童子もそう。すなわち、龍と鳳凰の力をまとった童子こそが『龍凰童子』であり、ある意味セルフタイトルでもあるわけです。結成からまったくブレることなく、20年以上にわたり培ってきたものをひとつの作品に注ぎ込み、「20年経っても陰陽座とはこういうものである」ということを明確にする。その意味で、黒猫が以前言っていた表現で例えるなら、今回はそのすべてを一望できる木の状態なのかなと思います。
ーー以前のインタビューでも瞬火さんは「音楽シーンにおいて、陰陽座は覇道であり邪道である」とおっしゃっていましたが、これを20年以上続けられたという事実は、すでに陰陽座の存在が正道であると捉えることもできるはずで。そういった意味では、今回のアルバムは陰陽座におけるもっとも王道的な作品なのかなと思いました。
瞬火:陰陽座が結成された1999年頃は、本当に昨日のことのように鮮明に覚えていますけど、確かにこの世にヘヴィメタルはまだあったんですが、外部から勝手に「時代遅れだ」とか「もう流行らない」っていう烙印を押されて、ヘヴィメタルと名乗ることがリスクでしかなかった。そんな状況だったからこそ、ヘヴィメタルを否定するのが王道、正道であるならば、まさにその真逆の、ヘヴィメタルだと自分たちで名乗るということは当時間違いなく覇道でした。ですから、目の前には道はなかったわけです。自分たちが通ったあとに道ができるんだろうっていうぐらいの気持ちで歩んできたら、結果20年も歩み続けることができて、気がついたら自分たちの通った20年分の道というか轍というか、そういうものができていたと。でも、それが世間一般から見た王道だとはやはり思ってはいなくて。ただ、自分たちはもうその道を進むしかない存在なので、対外的に見ると自分たちが歩んでいるのが覇道だという自覚はあるんですが、その覇道こそが自分たちの正道、王道であるというわけです。
ーーヘヴィメタルの世界でそこを見失ったら、バンドとしてのアイデンティティが失われてしまうんじゃないかという気もしますし。
瞬火:おそらくヘヴィメタルは世界や日本で、いわゆるブームみたいなことになったことが今まで一度か二度あったと思うんですけど、「流行っているからやる」とか「最近こういうのがウケているから、やってみよう」というような気持ちでできる音楽ではない。心中する覚悟を決めてやる音楽だと思いますし、心から愛していなければできないのがヘヴィメタルだと思います。
例えば、音楽なんて本当にできる限りうるさくないと楽しくないと思う人もいれば、ものすごく静かなものじゃないと聴けないっていう人もいて、それはもうまったく当然の嗜好性であって。その中でヘヴィメタルというものが持っている力強さとか熱さとか狂おしさとか楽しさとか、そういうものを作ることができるということ、それを聴いて楽しいと思うことができるということ、それはもしかしたら狭い感性かもしれないですけど、僕は陰陽座をやる前からヘヴィメタルと呼ばれる音楽がこの世の中の音楽の中でもっとも可能性が大きい、懐が深いジャンルだと思っているんです。とにかくやかましくないといけないとか、叫んでないといけないとか、ヘヴィメタルを知らない人からはそう思われているかもしれませんが、これほど静から動まで幅広く音楽を表現できるジャンルはないと僕は思っていて。陰陽座というバンドではそれを体現するために自分たちの人生を賭して、作品をもって証明してきたとずっと考えながら続けてきたので、今回も陰陽座がこれまでやってきたことをそのまま作品にすることができたという実感があります。
ーーおっしゃるように、ヘヴィメタルのように多彩さを表せるジャンルは稀だと思いますし、このアルバムのように非常に速い曲から重い曲、スローな曲、メロウな曲、展開がドラマチックな曲などいろんな要素が詰まっていて、色彩豊かに楽しめる作品集はそう多くないと思います。特に最近はサブスクが主流になったことで、アルバムというものに対する存在価値が問われるようなこともありますし。
瞬火:そうおっしゃっていただけるのは本当にうれしいです。音楽業界の片隅に身を置く者ではありますが、昨今の音楽の消費のされ方において、陰陽座はその土俵にすら上がっていないつもりなので、どこか他人事みたいに捉えていますけど。それでも、サブスクでオススメの曲を次から次へとフリックして、イントロだけ聴いて引っかかったらワンコーラスぐらい聴くけど間奏は聴かず、イントロが長かったらすぐ飛ばして、サビから始まってないと聴かないとか……その聴き方で心から音楽を楽しめている人には、他人がとやかく言うことはないと思っています。でも一方でどれだけ豊かな音楽と出会えるのかというと、その聴き方だとあたりをつけることはできても、アーティストがいろんな思いを込めた1枚のアルバム、ひとつの楽曲というものを味わうという意味ではやや性急すぎますし、もう少しゆっくり噛んで味わってみてもいいのではとは思います。
仮に陰陽座がそういう聴き方をされたのであれば、それはそれまでだと思っていますが、ずっと応援してくださっている方からすれば、陰陽座がその時代性に添うことなく、自分たちが作るべきものを作っているということも理解していただけています。我々としてもそれを作るために陰陽座は20年間生かされているんだと思っているので、ここで今どきのユーザーさんの聴き方に乗っかって、ほとんどの曲をサビから始めてみたのでは、それはもう陰陽座じゃなくてもいい。やっぱり陰陽座というのはそこではないですし、今回のようなアルバムを作るバンドとして存在しているんだなと感じています。
ーーそういう時代にCD1枚に全15曲/約72分、アナログなら2枚組に相当するボリュームのアルバムを提示するという事実に、まずは圧倒されました。でも、かといって通して聴いたときに、僕自身は長いとはまったく感じなかったんですよ。
瞬火:ああ、それはうれしいですね。
ーー1曲1曲が異なる個性を持っていて、すべてがリード曲級なので、気づいたらもう最後の曲だったという、そんな内容でした。
瞬火:ありがとうございます。もしこのアルバムにはそういう隙がないとおっしゃっていただけるとするならば、1曲1曲にしっかりとしたテーマや異なる表情があって、そういう良い曲をできるだけたくさん詰め込んだアルバムにしようという意図があったからこそ。確かに、適度な曲数がアルバムとしてはまとまりが良いとは思いますが、今回は前作からとても時間が空いてしまったこともあって、出し惜しみしてアルバムを引き締めるよりも、とにかく出揃った楽曲をたくさん聴いてほしいという気持ちが強くて。その上で聴き疲れすることなく、飽きることなく、8曲だろうと10曲だろうと15曲だろうと、とにかくいいアルバムだった、いい曲がいっぱいあったと思ってもらえるように注力しました。
ーーそれぞれの楽曲のテーマに関してですが、陰陽座のようにコンセプチュアルなバンドが20年続けていく中で、そこに困ることはないんでしょうか?
瞬火:端的に言うとネタ切れしないのかってことですよね? それはまったくないです。まだまだやらなければいけない、取り上げなければいけないモチーフが山積みですし。むしろ、日本の伝承とかそういうことに詳しい方なら、「茨木童子」や「両面宿儺」に対して「まだ使ってなかったのか」と思うはずです。それこそ「白峯」も……これは『雨月物語』という江戸時代の短編小説に登場する、日本でも指折りに強力な怨霊のひとりである崇徳院のことを歌っていて、そういった強力なモチーフが今回もたくさん使われています。これらはいつか絶対に曲にするということは決めて温めてきたものなんですけど、むしろやりたいことが渋滞していて「いつやろうかな?」と思っていたことを、今回は言ってみれば、「もう次の作品は作れないかもしれない」っていう状態にまで陥ってから出せた1作だったので、できるときにやってしまおうと思ったんです。
ーーなるほど。今挙げられた曲の中では、特に「両面宿儺」は最近よく耳にするワードです。この曲はメロディックデスメタルを思わせるヘヴィな曲調で、すごくカッコいいんですよね。
瞬火:おそらく多くの方が『呪術廻戦』に出てくる特級呪物のことだなと思うんでしょうけど、それに便乗したわけではなくて。伝承のひとつとして以前から曲のモチーフに使いたいと思っていたのが、たまたまタイミングが被っただけなんです。きっと『呪術廻戦』がなかったら、ほとんどの方が「りょうめんすくな」と読めなかったかもしれませんね。知っている言葉が曲名に使われているってだけで興味を持ってもらえるかもしれませんし、漫画の作品どうこうじゃなく、ああいう世界観を好む人だったら絶対にこの曲の世界観にもハマってもらえるはず。そういった意味でも何かひとつのきっかけにはなるかもしれませんね。