高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生

 2010年代以降の活動において、個人的にもっとも感銘を受けたのは、2014年に立ち上げられたMETAFIVEだった。メンバーは、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井。いずれも高橋幸宏やYMOから強い影響を受けているミュージシャンばかりだ。メンバー全員が優れたプレイヤーであり、プロデューサーとしての資質を備えていること。テクノロジーを道具の一つとして捉え、生楽器と有機的に融合させていること。そして、先鋭的なダンスミュージックでありつつ、親しみやすい歌モノとしても成立していること。それらの要素は言うまでもなく、すべて高橋幸宏自身から派生していたものだ。

 2015年にLOVE PSYCHEDELICOのツアーにドラマーとして参加。2016年にMETAFIVEのツアーを開催した後は、少しずつ表立った活動が少なくなっていた。昨年9月には東京・NHKホールでイベント『高橋幸宏 50周年記念ライヴ LOVE TOGETHER 愛こそすべて』が開催。細野晴臣、立花ハジメ、大貫妙子、矢野顕子(映像での出演)など縁のある面々が参加したが、高橋は健康状態を理由に出演を見送っていた。

 1月15日に訃報が伝えられると、世界中のアーティスト、音楽ファンがSNSを通し、哀悼の意を示した。筆者は音楽ライターとして、何度か高橋幸宏さんに取材する機会を得た。いつも緊張しすぎてしまったのだが、幸宏さんはいつも真摯に対応してくださった。一度、幸宏さんがデザインしたTシャツを着て取材に臨んだことがあったのだが、インタビューの後、笑顔を浮かべながら「シャツ、かわいいね」と言ってもらったことは本当にいい思い出だ。ありがとうございました。あなたのおかげで映画、音楽、アート、ファッションをはじめとするカルチャーに対する視野が広がり、人生が楽しく、豊かになりました。ご冥福をお祈りします。

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