菊地成孔も賞賛するシンガーソングライター Lilla Flickaとは何者? <新音楽制作工房>と作り上げた『通過儀礼』の世界に迫る
この作品はすべての心の乙女に対して発信している
ーー文学の流れでいくと「花は必ず剪つて瓶裏に眺むべきもの II」は夏目漱石「三四郎」の主人公が思う有名な一節からサンプリングされたものですね。男尊女卑甚だしいこの言葉をカットアップしたのはなぜですか?Lilla Flicka:この曲は恋愛におけるモノガミー、つまり1人に対して1人のカップルという考え方が本当に正しいのかと考えていた時に書いたんです。リリックの最初に〈ジャン=ポールとシモーヌみたいになれるって思ってたけど〉とありますが、これはサルトルとボーヴォワールのことで。あの人たちはお互いに他に何人かパートナーがいたらしいけど、基盤にあるのは2人の関係性だと言っていたんですね。けど、それって現実的にあり得るのかなって。そんなことを思ってる時にたまたま「三四郎」を読んでいたら、この「花は必ず剪って、瓶裏に眺むべきものである。」というフレーズがパッと目に入ってきたんです。内容はともかく、美しい日本語だと思いました。そしたら頭の中に物語とメロディがばーっと出てきたので一気に作った感じですね。この曲は自分の中で、答えが出ていない。剪られたいのか剪られたくないのかわからないまま曲にしました。
ーーおお……、とてつもない想像力ですね。「三四郎」のラインをアップデートして、新たな問いかけにしてまうなんて。
Lilla Flicka:今回の作品に限った話ではないんですが、私は「このテーマを歌いたい!」とか「これを表現したい!」みたいな感覚ではなく、さっきのサルトルとボーヴォワールの時みたいに、ふとした瞬間に物語が生まれてどんどん溜まっていくタイプなんです。あまり溜め込むと精神的にも良くないので定期的にアウトプットしたいんですよね(笑)。「あ、この物語ができたから外に出さなきゃ」みたいな感じ。物心ついた時からそういう感じでした。私は小説を書いたほうがいいんでしょうけど、なぜか音楽をやっているので音楽の形態で小説家としての性質が出ているんだと思います。
ーー短編集を読んでる感覚でした。
Lilla Flicka:実際、そういうふうに作ってます。まず物語があって、これを音楽にするんだったら、ここを切り取って、この言葉を選んだら成立するな、みたいな。ポップソングの作詞は小説みたいに長く書けないから、凝縮させないといけない。
ーー本作はすべての歌詞に対訳が付いてますが、これにはどのような意図があるのでしょうか?
Lilla Flicka:私は歌詞を考える時に日本語と英語が同時に立ち上がるんです。ただの対訳じゃなくて、日本語と英語、あるいはスウェーデン語があってひとつの作品。これはタネ明かしになっちゃいますが、「大人なんだから」のリリックの一部のパートは、とある映画に言及していて。でも日本語の歌詞では作品名がわからない。日本語の歌詞だと表現しきれない部分を英訳で補ってる。スウェーデン語は日常会話レベルなので、主に日本語と英語が私の言葉で、2つがあって私という感じです。
ーー「Jag Är En Flicka」の日本語訳を読んで「海外の人からは日本ってこういうふうに見えるのかな?」と思いました。日本は海に囲まれてることもあって、単一民族が当たり前だから文化的にも多様化が遅い。でもそれは同時に地続きに国境があって民族の往来が当たり前の国々とは違う独自の面白さが生まれる素地とも言えるかな、と。
Lilla Flicka:うん、その通りだと思います。日本育ちでない人のほとんどは、渋谷の駅前を見て「ブレードランナー」の世界みたいだなって思ってるんです。私もそういう感覚。今のお話を聞いて、それが新鮮なんだと逆に思いました(笑)。
ーーなるほど……。本作にSFの要素が入ってくるのも、そうした影響ですか?
Lilla Flicka:いえ。「HAL9K」や「構造的な欠陥」がSFという感覚があまりないんです。先ほど言語圏の話をしましたが、私は自分が「何人ですか?」と聞かれたら、「地球人です」と答えます。なんなら「宇宙人です」でもいい。この作品はすべての心の乙女に対して発信してます。そんな感覚だから作品の中に自然と宇宙ステーションとかも出てくる。
ーー国境どころか、星境もないと。
Lilla Flicka:こういう話をすると「変わってるね」とか「天然だね」と言われるんです。でも論理的には間違ってない。私たちは地球に暮らしてるし、宇宙に暮らしてる。
ーー面白いですね。Lilla Flickaの中ではSF的な自由な発想と、同時に生々しいほどのリアリズムは破綻しない。では、『通過儀礼』というアルバムタイトルにはどんな意味があるのでしょうか?Lilla Flicka:ひとつは少女が女性になっていくことを突き詰めたすごく個人的な『通過儀礼』です。でも自分も世界の一部だから、個人的であればあるほど、逆に世界と呼応していく。私もみなさんも世界の一部と自動的にリンクしているから。さらに言えば、恋愛に関しても、私は性と地続きだと思っている。日常の中に性がある。だから歌詞に書く。これは菊地成孔さんの作詞から影響を受けています。すべてフラットなんです。
ーー先ほども少し話に出ましたが、本作を聴いていて「パパ」の存在と、男性の幼稚さに言及しているシーンが多いように思えました。
Lilla Flicka:これは自己分析なので間違っているかもしれないですけど、私が存在するということは父親が存在するわけで。女性にとっての父親/男性にとっての母親というのはフロイトからずっとある問題だと思うんですよ。私に限らず、みんなそこを治療しなきゃいけないような気がしてます(笑)。私にとってはこのアルバムが治療であり、儀式でもある、という感じですね。新音楽制作工房のメンバーと一緒にひとつの作品の制作を経験できたことも私にとっては『通過儀礼』だと思っています。