米津玄師が届けた心の動きと結びついた歌 “人間に戻る旅”になった2年半ぶり『変身』ツアーを観て

 社会や人生、生きることに対する深遠なメッセージを宿しながらも、ライブエンターテインメント、娯楽としての軽妙さもあり、観た者を「なんか楽しかったな」とライトな気持ちにさせるとともに、心の奥深くに質量のある余韻を残す。米津玄師のボーカルや言葉、立ち振る舞いと中島宏士(Gt)、須藤優(Ba)、堀正輝(Dr)によるバンドサウンド、ダンサー/振付師の辻本知彦と辻本率いるTEAM TSUJIMOTOによる身体表現が一体となり、全21曲を披露した『米津玄師 2022 TOUR / 変身』ツアーファイナル、10月27日のさいたまスーパーアリーナ公演は、一言で言うとそんなライブだった。新型コロナウイルスによる感染症拡大の影響でやむなく中断となった『米津玄師 2020 TOUR / HYPE』以来2年半ぶりのツアー。その2年半で私たちはいくつの季節を迎えただろうか。生い茂る並木を抜けて、決して短くはなかった時間を越えて、手にはいっぱいの花のような音楽を抱えながら、全国5都市を訪れた米津のイメージが浮かぶ。

 『変身』というツアータイトルは、「POP SONG」に見られた“自分自身が別のものになる”というテーマから派生したものか、だとすれば1曲ごとに“変身”するような構成のライブになるかと思われたが、その予想は覆される。むしろ米津玄師は、ひたすらに米津玄師としてステージに立っていた。そこにあったのは、純粋かつ混濁とした感情を抱えながら生き、多様な面を持つ、ある種わがままな自己を音楽として発露させる営みだった。

 感染症対策ガイドライン下でのライブはこのツアーが初めてということで、ツアー開始前は不安もあったが、そもそも“自由に楽しんでほしい”というスタンスでライブをしている自分にとっては「そんなに変わるものじゃないなと思った」――。そう胸中を明かしたMCで「みんな好きにいてほしいなと思います」と伝えていたのが米津らしい。何かをすること(do)を推奨するのではなく、あなたがあなたとしてそこにいること(be)を望む。そして米津自身もまた、自分の状態をさらすような、限りなく“be”的な音楽を奏でた。

 つまり、彼の歌が彼の心に肉薄しているように感じられたということだ。2年半の間にボーカリストとして技術と表現力を身に着け、飛躍的に自由になれたこと。歌がより魅力的になった理由はおそらくそこにあるのだろう。発声が変わったのか、バラードでもアッパーチューンでも歌声に感情がしっかり乗っている。特に壮大なオケをバックに声を張る「海の幽霊」なんて最高だ。しかし、発声だけではない。「カナリヤ」付近からさらに調子を上げて以降、メロディに対して様々なアプローチをかけていく米津。曲数を重ねれば重ねるほど、ある種のゾーンに突入していく。「Lemon」Dメロでは休符をやや長めにとって、言葉をあえて詰めたような感じで歌い、「アイネクライネ」ではメロディ自体にアレンジを加え、「Pale Blue」のワルツ部ではファルセットを少し引っ張ってリズムの緩急を操る。特に炸裂していたのが「ゴーゴー幽霊船」で、かなり強めにアタックをつけて勢いを出したり、音程をずり上げたり、声を自在に扱いながらいきいきと歌っていた。

 と、文章にすると仰々しくなるが、要は、メトロノーム通りにはいかない心の動きが歌にしっかり結びついていると言いたい。そして、「まちがいさがし」を紹介した時の「こないだ結婚した友達に捧げた曲です」という言葉、「ひまわり」を歌う前の「次の曲、今日だけ、もういない親友のために歌っていいですか」という言葉など、彼のパーソナルな背景が要所要所で挿し込まれることで一つの事実が胸に迫ってくる。それは、彼も私たちと同じ人間であり、今ここで鳴らされている音楽は、彼の生活から生まれたものだという事実。動く歩道を内蔵した花道を活かし、MVを彷彿とさせる華麗なる移動を見せたオープニングの「POP SONG」を筆頭に印象的なシーンは様々あったが、個人的には「ひまわり」のあとに配置された「アンビリーバーズ」に最も心を奪われた。米津の「楽しんでこうぜ!」という投げかけに始まり、ライブクライマックスに向けて盛り上がっていこうという雰囲気はあったが、「ひまわり」からの流れで歌われる〈今は信じない 果てのない悲しみを〉、〈全て受け止めて一緒に笑おうか〉というフレーズにグッとくる。ここに体現されたのは、悲しみを経験してもなお立ち上がる人間の力強さ。ハンドマイクになり、グッと前に屈んだり、人差し指を高く上げたりしながら熱量高く歌っていく。

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