来日決定のMy Chemical Romance、現代シーンへの絶大な影響 規範や生きづらさに立ち向かう“アウトサイダーのヒーロー”
「これに巻き込まれているのは君ひとりじゃない(You're not in this alone.)」
2001年9月11日、アメリカ・ニューヨーク州マンハッタンでアニメーターとして働いていた当時24歳のジェラルド・ウェイは、仕事場に向かう途中で世界貿易センタービルが崩壊する様子を目の当たりにした。その直後、彼はアートでは実現できない、すぐに反応が得られるものをやりたいと思い、バンドを始める決心をする。そのバンドには、My Chemical Romance(以下、マイケミ)という名前が付けられた。
冒頭の言葉は、彼らが初めて作った楽曲「Skylines and Turnstiles」の一行目の歌詞だ。何よりもまず、この言葉を言わなければいけない。そんな使命感からこのバンドは始まったのだ。パンクやハードコアをベースとしたサウンドと、思わず歌いたくなるほどにキャッチーでエモーショナルなメロディ。何より、生きづらさと正面から向き合った剥き出しのリリック。この時点で、彼らを構成する基本となる要素はすでに揃っていた。
それから数年後、彼らは「I'm Not Okay (I Promise)」(2004年)のヒットを皮切りに大ブレイクを果たし、世界的な人気バンドへと変貌を遂げた。特に、3rdアルバム『The Black Parade』(2006年)がもたらした反響は絶大であり、今でも名盤として確固たる評価を獲得しているほどだ(2020年には米Rolling Stone誌が選ぶ「歴代最高のアルバム500選」の一つに選出された)。残念ながら2013年に解散を発表した彼らだったが、2019年には再結成を発表。現在は再び精力的にライブ活動を行っており、来年開催予定の『PUNKSPRING 2023』ではヘッドライナーとして、約12年ぶりとなる来日公演が実現する予定だ。
一見すると、よくあるレジェンド格のロックバンドの話をしているように思えるかもしれないが、今回の場合はやや事情が異なる。なぜなら、今の彼らほど「再評価」という言葉が似合うバンドはいないからだ。その背景には、彼らの影響を受けて育った新たな世代のアーティストの台頭がある。
マイケミのファンとして特に有名なのは、今年の『FUJI ROCK FESTIVAL '22』で最終日のヘッドライナーを飾ったホールジーだろう。2019年2月に自身のTwitterで「これまで、My Chemical Romanceに対して信じられないくらいたくさんの涙を流してきた」とバンドへの思い入れを語った彼女は、同年の(超プレミアチケットとなった)再結成後初のライブにも観客として参加し、感極まりながら「Famous Last Words」を合唱する動画を「今までの人生で最高の夜だ」というキャプションとともにInstagramに投稿している。
ホールジーの他にも、ビリー・アイリッシュ、マシュー・ヒーリー(The 1975)、ヤングブラッド、ポスト・マローン、Twenty One Pilots、今は故人となってしまったリル・ピープなど、現代の音楽シーンを彩る錚々たるアーティストがマイケミのファンであることを公言している。日本のアーティストにおいてもその影響は大きく、ヒップホップシーンの枠を超えて大きな注目を集める(sic)boyは「最も影響を受けた海外のアーティスト」としてマイケミの名前を挙げ、様々なインタビューでその愛を語っている。今年の夏にはアメリカを中心にTikTok上で「Teenagers」がバイラルヒットするという出来事も起こるなど、新たにマイケミを知ってファンになるという人も珍しくない。マイケミの影響を受けて育った世代の台頭は、彼らの影響を改めて考える良いきっかけにもなった。
その勢いを後押ししているのが、近年のポップパンク・リバイバルの流れだ。オリヴィア・ロドリゴやマシン・ガン・ケリー、ヤングブラッドといった新たな世代のアーティストが牽引し、アヴリル・ラヴィーンやblink-182といった当時を代表するアーティストが後押しするこのムーブメントは、単に当時のファンの共感や支持を集めるだけではなく、初めてこの音楽に触れる若い人々にとっても新鮮に感じられ、今の世代ならではの楽しみ方を見出している(TikTokでは「#emo」が10月下旬時点で240億回以上の再生回数を叩き出している)。先日初開催されたラスベガスの『When We Were Young Festival 2022』では、My Chemical RomanceとParamoreをヘッドライナーに迎え、2000年代を彩ったポップパンク勢やメタルコア勢、その影響を受けた今の世代のアーティストを大量に集めたラインナップで話題となり、瞬く間に3日間の日程をソールドアウトさせた。結果として、このムーブメントはポップパンク自体を再考する動きを作り出し、その中でマイケミの名前が出てくることも極めて多い。
ただ、このような状況を目の前にして、2000年代当時にリアルタイムでマイケミを愛聴していた筆者としては、実は戸惑いを感じざるを得ないというのが正直なところだったりする。もちろん当時からファンは多く、とんでもなく大ヒットしていたわけだが、バンドに対する風当たりについては必ずしも良いものではなかったからだ。Kasabianのトム・ミーガン(当時)とセルジオ・ピッツォーノ、マリリン・マンソンといったミュージシャンが公然とマイケミを批判し(Kasabianとはその後和解)、『Reading and Leeds Festivals』や『Download Festival』といった音楽フェスティバルではとんでもない量のペットボトルを観客から投げつけられ、あらゆる音楽ファンから「子ども向け」「エモキッズのための音楽ですぐに消える」など散々な言われようだったことは、今でもよく覚えている。だが、今思えば、それこそがマイケミが特別な存在である証だったのかもしれない。