望月琉叶、5人のボカロPとの5カ月連続配信企画を通した活動の展望 「演歌もボカロも日本の文化を背負って広めていきたい」

 演歌歌手、グラビアアイドルとして活動する望月琉叶が、5カ月連続配信企画の第一弾となる「MONSTER」を10月15日にリリースした。今回の連続配信は、5人のボカロPとのコラボレーション企画。「MONSTER」は、作詞・作曲・編曲をjon-YAKITORYが担当している。
今回のインタビューでは、これまでの活動を背景に「MONSTER」に込めた素の望月琉叶としての思い、これからの活動の展望について聞いた。(編集部)

ボカロ曲を歌うとすごく喜んでくれた

――リアルサウンド初登場ということで、初歩的なところから聞いていきたいんですけど、芸歴は何年目になりますか。

望月琉叶(以下、望月):アイドルとしてデビューしたのが2018年の10月28日なので、今年で5年目になります。

――この世界に入るきっかけは何だったのでしょう?

望月:演歌歌手になりたかった母の夢を引き継ごうと思って、小学生で演歌の道を目指しました。ただ、音楽の世界に入ろうと思ったのは小学生ですが、実際に入ることになったのは大学生の頃です。

――大学生になるまで、ずっと演歌の世界を目指し続けていたんですか?

望月:えっと……長くなっちゃうんですけど大丈夫ですか?

――じっくり聞かせてください。

望月:元々歌はあまり好きじゃなくて、小学校低学年の頃は両親と一緒にカラオケへ行っても全然歌わなかったんですね。そしたらお父さんに「歌わない女の子はモテない。逆に、歌が上手だとモテる」と言われて。

――謎の持論が(笑)。

望月:そこで全然モテないから、自分もモテたいなと思ったんです。で、小学2年生ぐらいの時に『きらりん☆レボリューション』という漫画と出会い、アニメの曲も聴くようになって「(主人公の)月島きらりちゃんみたいに歌ったらモテるんじゃないかな」と思ったのがきっかけで、自分も歌うようになったんですよ(笑)。そこから歌にハマっていった矢先、小学校高学年の時にYouTubeが学校で流行りまして。何の気なしに動画を見ていたら、美川憲一さんの「柳ヶ瀬ブルース」の動画が出てきたんです。その中ではお酒が出てきたり、エメラルドが出てきたり、スナックにいる美川さんが艶っぽかったりして「なんだ、この世界は!」と。演歌ってすごく大人な感じで素敵だなと思って、母も演歌歌手になりたかったし、それがきっかけで『きらりん☆レボリューション』だけじゃなくて、演歌も歌うようになって。そこから演歌歌手になりたいなって目指し始めたんです。

――それが冒頭の話に繋がるんですね。

望月:中学生になると、今度はボカロが広まったんですよ。友達とカラオケへ行って、私がボカロ曲を歌うとみんなすごく喜んでくれたんですよね。その理由は私が初音ミクちゃんの物真似をして歌ったら、似ていたらしくて(笑)。そこからさらに「私、やっぱり歌手になりたい」ってどんどん意識するようになったんです。高校生になると芸能のオーディションをいっぱい受け始めるようになりまして「モデルをやってみない?」とか「女優はどう?」などお声をかけていただいたんですけど、やっぱり自分は演歌歌手になりたいと思って……気づけば夢を叶えられないまま大学生になっていました。

――声をかけてもらうチャンスはあったけど、一番望んでいる演歌の道への切符は手に入らなかったと。

望月:で、アルバイトをしたお金でボイストレーニングに通って、大学生になってもオーディションを受けていて。それと同時に就職活動も始めたんです(笑)。

――年齢的には現実も見なきゃいけないですしね。

望月:ありがたいことに、某大手生命保険会社の内定が決まったんです。そんな時にたまたま友達の誕生日プレゼントを買いに代官山へ行ったら、事務所の社長に声かけられて。「演歌女子ルピナス組(現在は民族ハッピー組に改名)というアイドルグループをやっているんですけど、やりませんか?」と言われて「演歌か! じゃあやってみようかな」と思って、内定を辞退してグループに所属することになったのが2018年でした。

――今はどんな活動をされているんですか?

望月:よくメディアでは「演歌歌手、アイドル、グラビアという3足のわらじを履いてます」と言っています。アイドルとして活動を始めて2年が経った、2020年の7月に演歌歌手としてデビューが決まって。同時にグラビア活動も始めまして「グラビアができる演歌歌手」というキャッチフレーズを掲げて活動していきました。グラビアは『週刊ヤングジャンプ』さんとか『週刊プレイボーイ』さんとか『FRIDAY』さんとか、いろんな媒体やDVDも出させていただいたりして。その一方では歌番組で歌ったり、ソロコンサートで歌ったり。そして、昨年は『第63回 輝く!日本レコード大賞』新人賞を受賞できて……それぞれ全力で活動してます。

――3足のわらじを履いて良かったことはありますか?

望月:グラビアは、見た人をドキドキさせないといけないので、自分を大人に見せる演技とか、ポージングを考えることが多くて。そこで身につけた妖艶な表情や仕草は、大人の歌が多い演歌でも活かせています。アイドルは表に出て踊ったり喋ったりすることを学んでたので、それを演歌の仕事でも活かせたりして。それぞれが相乗効果を生んでいると思います。

――「グラビアができる演歌歌手」というキャッチコピーもそうですし、多くの人の琴線に触れるために、いろんな試みをされていましたよね。特にツイキャスの企画(CDの予約取り配信コンサート)は面白かったです。

望月:ありがとうございます! コロナ禍に演歌歌手デビューをしたので、皆さんの前に行って大々的に「CDリリースします! よろしくお願いします」というキャンペーンができなくて。だからツイキャスだったり、メディアやSNSで広めるしかなかったんですよね。皇居の周りをひたすら回って「CD出しまーす!」と宣伝したり(笑)。

――皇居の周りを12時間ぐらい回り続けて、CDの宣伝をして。

望月:ソロでは何時間も配信しながら歩き回ってオンラインでCDを売る活動をしたり、1人で喋ったり。あとアイドルの時だったら、ドミノを1万個並べるのを頑張ったり、富士山さんに登ったり。すごく壮絶な配信で、過呼吸になったメンバーがいて、その子を助けなきゃって壮大な感じになったこともあります。

――あと、浅草・音のヨーロー堂に三泊したこともありましたね。

望月:ありましたね! 音のヨーロー堂さんに許可をもらって、泊まり込みで3日間配信しCDを広める企画もしました。おかげさまで1stシングル『失恋慕情』と2ndシングル『面影・未練橋』がオリコン週間演歌・歌謡シングルランキング1位になりまして。そういう目に見える結果を残せて、「レコ大」の新人賞をいただけたのかなと思います。

――新人賞をもらって、世間からの見られ方は変わりましたか?

望月:ファンの人の私を見る目がキラキラしてるのと、例えば飲食店へ行った時に「あれ? 望月さんじゃない?」とご婦人たちがざわざわし始めたりとかして「あ、知っていただいてるのかな」って。そういうのは自意識過剰かもしれないんですけど、感じますね(笑)。

――心境の変化はどうですか。

望月:こんなに多くの方が応援してくれていることを知れて、シンプルですけど「もっと頑張ろう」って思えるようになりましたね。コロナが最初よりは和らいできたのもあって、今年9月に北海道で1週間くらいキャンペーンをしたんですね。そしたら「レコ大を取った望月さんよね?」みたいな感じで、地元の皆さんがワーっと盛り上がってくださって。カラオケ喫茶とか、スナックも回らせていただいたんですけど、どこもすべて満員で「あ、知ってもらえているんだ!」って嬉しくなりました。

――望月さんってファンの年齢層が広いですよね。

望月:アイドルをやってるのもあって、ファンの方は10代から90代までいます。演歌好きな人も私がきっかけで、アイドルグループの民族ハッピー組のライブへ頻繁に足を運ぶようになったり、今では「民族ハッピー組の方ばっかり応援してない?」みたいなことも(笑)。それぐらいアイドルと演歌歌手として活動していることが、お互いに強く影響しあっていると思います。

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