野宮真貴が振り返る、ピチカート解散以降に訪れた転機の出会い 川勝正幸、フェルナンダ・タカイらとの意欲的な音楽制作

 渋谷系を象徴する歌姫・野宮真貴は、シンガーとしてデビュー40周年の節目を迎えた。ソロ、ポータブル・ロック、ピチカート・ファイヴ、そして再びのソロ……。アニバーサリーを機に、その長いキャリアにおいて所属してきたレコード会社4社が、彼女の音源を世界一斉配信することになった。なかでも注目したいのが、ピチカート・ファイヴ解散後の約10年を過ごした<ジェマティカ・レコーズ>時代だ。このレーベルに残した作品について、ミューズ自身が振り返る。(下井草秀)

音楽担当の高野さんに対し、川勝さんは“妄想担当”

野宮真貴

ーー2001年の元日に『さ・え・ら ジャポン』を発売した後、ピチカート・ファイヴは、同年3月31日をもって解散することを唐突に発表します。

野宮真貴(以下、野宮):小西(康陽)さん曰く、「ピチカートでやるべきことはすべてやり尽くした」とのことでした。だらだらと長く続けて、人気がなくなった頃に解散することは、彼の美意識が許さなかったのかもしれません。今振り返っても、ベストな引き際だったと思います。

ーーピチカートにおいては、監督・小西康陽、主演・野宮真貴という確固たるコンセプトが存在していました。この枠組みの解体は、野宮さんに不安をもたらしませんでしたか。

野宮:まあ、何とかなるかなと気楽に構えていました(笑)。私には、大体10年ごとに転機が訪れるんですよ。1981年にソロとしてデビュー、90年にはピチカートに加入、そして2001年になって、ピチカートが解散したわけですから。

ーーその後、野宮さんが身を寄せた所属事務所は、ロードアンドスカイ。そして、その傘下に当たるレーベル<ジェマティカ>から作品を発表していきます。ロードアンドスカイは、浜田省吾さんやスピッツを中心とするプロダクションですから、野宮さんのパブリックイメージからすると、意外といえば意外だったかもしれません。

野宮:ロードアンドスカイ代表の高橋信彦さんは、ジョアン・ジルベルトの来日公演に関わったり、コシミハルさんの制作に携わったりと、幅広いジャンルを愛するミュージックマンなんです。だから、全幅の信頼を置いてマネジメントをお任せすることができました。

川勝正幸

ーーデビューアルバム『ピンクの心』の実質的なプロデューサーはムーンライダーズの鈴木慶一さん、ピチカート時代のプロデュ―サーは言わずと知れた小西康陽さん。野宮さんは、そのディケイドを画す音楽界の要人によってプロデュースされてきました。

野宮:じゃあ、次は誰に下駄を預けようとなった時に、浮かんだのが川勝正幸さんでした。

ーー川勝さんは、2012年に55歳で亡くなった著名なエディター。渋谷系の保護者と呼ぶべき存在でしたね。スチャダラパーなどのCDジャケットのクリエイティブディレクションを手がけ、セルジュ・ゲンスブールの映画パンフレットを編集するなど、音楽、映画、演劇、アートにいたるまで、90年代の東京カルチャーに与えた影響は限りなく大きい。

野宮:川勝さんは、90年代を通じて、常にピチカートの傍らに寄り添っていてくれました。ニューヨークで行われたイベント『ニューミュージックセミナー』に私たちが参加した時も、わざわざ海を越えて観に来てくれたぐらい。……最初に出会ったのはいつだったかなあ? 80年代初頭、ニューウェーブ系のバンドが集まるライブでは必ずといっていいほど見かけたし、そういう現場にいるのが当たり前の存在でした。

ーー渋谷系以前から、野宮さん周辺の人脈に伴走していたわけですね。だから、あうんの呼吸が可能で理解が深い。ということで、2002年にリリースされた野宮さんのソロアルバム『Lady Miss Warp』では、川勝さんが高野寛さんとともにプロデュースを手がけています。

野宮:音楽担当の高野さんに対し、川勝さんは、“妄想担当”と名乗っていましたね。まだ実在していないアルバムに関するライナーノーツを書いて、それに合わせて楽曲を揃えていくという川勝さんらしい変わったプロセスを採っていました(笑)。

ーー架空の書物の書評という形で小説を著した、ホルヘ・ルイス・ボルヘスやスタニスワフ・レムのような手法ですね。

野宮:コンセプトは、時空を超えた旅。「何年代のどこそこ」風といったお題を出し、さまざまなクリエイターに発注を行いました。例えば、スピッツの草野正宗さんが作曲した「Never on Sunday」は1960年代のパリ、高野寛さんが作編曲を手がけた「上海的旋律」は1920年代の上海といった具合。

ーーそれ以外にも、パードン木村さん、槇原敬之さん、コモエスタ八重樫さん、クレイジーケンバンド、片寄明人さんといった多彩な面々が参加しています。

野宮:ほとんどの人選を行ったのは川勝さん。その組み合わせの妙に、名編集者の匠の技を感じました。私が提案したのは、KISSのファン仲間であるTRICERATOPSの起用ぐらい(笑)。ラストを飾るその「YOU ARE MY STAR」は、80年代のデトロイトがテーマ。

ーーここで、ピチカート・ファイヴの野宮真貴ではない野宮さんが解放され、その多面的な魅力に光が当てられました。ちなみに、ジャケットでは、ジェンダー的な意味で好対照を成す二人の野宮真貴が、今にも抱擁を交わさんとしている。これ、昨年公開されたエドガー・ライト監督の『ラストナイト・イン・ソーホー』を彷彿とさせますね。川勝さんがもしも存命だったら、間違いなくあの映画に熱狂したと思うんですけど(笑)。

野宮:川勝さんが生きていたらどう思うだろう?……と考えながら楽曲やビジュアルを考えることは今でもありますね。。今年発表したデビュー40周年記念アルバム『New Beautiful』も聴いてほしかったな。

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