Nulbarich JQが語る、刺激を求めて歩み続けるマインドの核 原点に立ち返って生まれた新しいグルーヴとは?
Nulbarichの2022年最初の作品、『HANGOUT』が3月23日にリリースされた。2021年にはデビュー5周年を迎え、アルバム『NEW GRAVITY』をリリース。コンセプトの異なる2つのライブも行い、『Nulbarich ONE MAN LIVE -IN THE NEW GRAVITY-』(東京ガーデンシアター)で様々なゲストを交えて“開かれたNulbarich”を見せたかと思えば、『The Fifth Dimension TOUR 2021』では、メンバーだけでディープかつヘヴィなバンドサウンドを奏でた(どちらも映像として『HANGOUT』に収録)。ニューモードとバンドの核、両方と向き合うことになった2021年は、Nulbarichの転換期だったと言えるだろうし、そこを経た新作『HANGOUT』は“新しさ”と“らしさ”が理想的な形でブレンドされたEPである。ライブの振り返りや、『HANGOUT』に至るまでの紆余曲折、そして先が見えないコロナ禍での素直な心境をJQに語ってもらった。(編集部)
5周年で行った“初の試み”はバンドへの刺激に
ーー2021年はどんな1年でしたか。
JQ:2020年を取り戻しに行ったところが大きかったかな。ライブや音楽っていいよねということを改めて自分で確かめて、それをお客さんと共有する年になったのかなと思います。
ーー多数のゲストを招いた『Nulbarich ONE MAN LIVE -IN THE NEW GRAVITY-』、5周年を網羅するセットリストをバンドだけで演奏した『The Fifth Dimension TOUR 2021』、どちらもやってみていかがでしたか。
JQ:東京ガーデンシアターという大きな会場でのワンマンライブってお祭りみたいなものだから、せっかくフィーチャリングしながら作った『NEW GRAVITY』を自分たちだけで演奏する発想はそもそもなかったんですよね。クリエイティブ面でもいいチームが集まってくれて、あとは自分たちがステージに立つだけで格好がついちゃうくらい整っていたから、よっぽどのことがない限り失敗することはないだろうなと(笑)。僕らにとってもご褒美みたいなライブでした。
一方、ライブハウスを回るツアーとなると、よりストイックに音楽と向き合うので、バンドが一番成長できるタイミングだと思っていて。お客さんを喜ばせることはもちろん、バンドとしての見せ方をどういう風にすればステップアップできるかを考え抜いて、凝りに凝った演奏でやれたと思っています。なるべく人力で演奏して、なおかつメンバーが横一列に並ぶことで、他のメンバーに頼らないようなレイアウトにできたのは大きくて。今までは僕が中心にいて、それを囲うようにメンバーが演奏していたけど、役割を等分にすることで「常に見られている」という意識が全員に芽生えて、僕もメンバーにステージを任せられる勇気を培えたなと。収穫の大きなツアーだったと思っています。
ーー自分もZepp Tokyo公演を観ていて、6人が横一列に並んで、全員を主役として見せていることが肝だと感じました(※1)。それによってバンドの繋がりが強固になっていましたし、観客も6人を均等に観るから、結果的に観客とバンドの繋がりも強まっていて。
JQ:僕たちはバンドなので、もちろん歌も大切だけど、ギター、ベース、ドラム、キーボードの音もすべて大切なんですよね。あとライブハウスって聴くこと/観ること以上に、体感型の空間じゃないですか。音を全身で浴びて、感じるというか。それを視覚的にうまく表現できたのかなと思っているので、僕もレイアウトが一番のキーだったと思います。やっぱり5年も経つと慣れてくるタイミングなので、初めての試みをあえて裸で見せることで、刺激的で緊張感のあるライブができてよかったです。
ーー先ほど「ツアーはバンドが一番成長できるタイミング」という話もありましたが、その成長は次の作品に活かなくちゃいけないという感覚なんですか。
JQ:とはいえライブって半分はトレーニングみたいなものなので、鍛えられるのはフィジカルなんですよね。演奏が上手くなるとか、体力がつくとか、動きが良くなるとか。頭を使って何かをすることとはまた違うので、創作はどちらかというと、「鍛え上げたフィジカルでいつも通り作る」という感覚ですね。「今回はアッパーな曲にしよう」「ミドルテンポにしよう」くらいにざっくりと最初に決めて、どんどん作っていくうちに、普段聴いている音楽の好みがなんとなく出てくる。だから、まずは普段のインプットを育てることが大切かなと。そこに自然とライブでの経験値も入ってくるんだと思います。
ーーでは、『HANGOUT』はどんな作品になったと感じていますか。
JQ:今回はスタジアムとライブハウス、どちらで鳴らしてもいい感じになるという想定なんですけど、それはNulbarichが2周目に入って、原点回帰している部分がおそらくあるからで。でも初期の『Guess Who?』や『H.O.T』と比べると、大きな会場のライブを経験しているかどうかの差が自然に出ていると思います。『Blank Envelope』や『2ND GALAXY』ほどのスケール感はないですけど、ライブですごく広がりそうなイメージがあるというか。アレンジ次第ではスタジアムアンセムになる可能性を秘めていると思うので、そのあたりの感覚がミックスされているんですよね。
ーー原点回帰という言葉が出ましたけど、そうなったのはやっぱりコロナ禍が大きかったんでしょうか。
JQ:そこに関しては、さっきも話した5年間のサイクルなんじゃないですかね。パッと以前のハードディスクを開いたら、ボツにしていた曲も「やっぱりいいんじゃない?」と感じるくらい、時間が経ったのかもしれないです。そこにコロナも合わさって、昔の自分ともう1回話し合うことができたというか。『NEW GRAVITY』には昔作った曲をリアレンジしたものが何曲か入っていたので、その影響もかなり受けていると思います。
「無条件にハッピーな曲はどうしても書けなかった」
ーーそのモードを受け継ぎつつ、『HANGOUT』はあくまで最近作られた曲たちということですよね?
JQ:そうですね。「It's All For Us」はツアーのタイミング(2021年11月)にはできていましたけど。
ーー〈何も見えない/眩しすぎて暗い〉という歌い出しのAメロと、〈I don’t care/Maybe you won't care/Yes we don’t care〉というゴスペル調のBメロにより、現実と祈りが交錯するような歌詞になっていて。Nulbarichの原点と『NEW GRAVITY』以降のモードがブレンドされている曲に感じましたが、そこも初期との違いと言えるんじゃないでしょうか?
JQ:まず歌詞のストーリーとして〈I don’t care〉が途中に入ってこないと成立しなかったんですよね。雨のように正義が振りかざされていて、犠牲者もルーレットのように決まっていくという、世の中に対して否定的なことを歌っているんだけど、「僕たちは気にしないんだ。なぜならこの場所があれば大丈夫だから」という風に繋がっていくものだったので。違いでいうと、もともと僕は音から作っていたんですけど、『NEW GRAVITY』あたりから歌詞先行で書くことが増えたんですよね。今回もそうだったので、歌詞に引き寄せられて「こういう展開が欲しい」と変わったところはあるかもしれない。〈誰にも踊らされない/感じたままに踊ろうや/変わらない since day one〉の後に、もう1回サビを入れようか悩んだんですけど、映画で言うところの“10年後”みたいな余韻の部分なので、このまま終わった方が言葉としても美しいなと。歌詞が先だったからこそ、そう思ったのかもしれないです。
ーーストーリーが浮かんだのは、そもそもどうしてなんでしょう?
JQ:こういう歌詞を書いても、今までは何とも思わない人が多かったかもしれないけど、「そんなこと言ってられないよね」という空気感になったのが2020年以降なので、書いている側も自然と出てきてしまうんです。もちろんコロナ以前も、個々の日常のなかでいろんな不安があったと思うんですよ。僕の場合は「いい曲が書けない」とかね。でもこの2年はみんなの悩みや不満の矛先が一緒になっていて、おそらく全員がコロナの被害者じゃないですか。だからライブではなるべくポジティブなメッセージを言いたいと思っていたんですけど、どうしてもネガティブな部分が強く出てきてしまうから、「ふざけんなよ」と言っておきつつ、「君がいれば、僕は大丈夫」「いいことも悪いことも、すべて僕らの糧になるんだよ」という形のポジティブソングに落ち着いた感じですかね。無条件にハッピーな曲はどうしても書けなかったです。
ーー〈世界がどこに行こうが/心配する方が馬鹿らしいや/この場所は変わらない〉にもその想いは表れていますけど、Nulbarichのスタンスを改めて提示する歌詞になっていますよね。コロナ禍と同時に、5周年を振り返るツアーの前にできたことも大きかったのでは?
JQ:でも、ツアーで5年間を振り返ったというのは感覚的に違うかもしれないです。リハーサルのときに、「当時はこういうアレンジしてたよね。懐かしい」みたいに思い出すことはあっても、ライブの日になると僕はいつも次を見てしまうんです。武道館のときも、歌い出した瞬間に「ここにいる全員を踊らせないと次が見えてこないな」と思っていたので、なかなか幸せを噛み締められないタイプというか(笑)。去年のツアーでも、演奏やお客さんとの対話に集中していたので、5周年を掲げていた割にあまり振り返っていない気がします。
ーーなるほど。ライブのたびに曲のアレンジが変わっていくので、「次はどうなっているんだろう?」という意識は聴き手にもあるかもしれません。
JQ:僕って1曲作るごとに技を覚えていかないと満足できないタイプで、「今までにない歌い方で歌えた」「ここのフレーズは神がかってた」とか、どこかしらで成長できていないと喜べないんです。自分の声もそもそも好きじゃないし、自分に溺れることができないので、何かで納得できない限り、一生その曲を作り続けてしまう。だから、特に「NEW ERA」や「It's Who We Are」のような初期の曲をやるときは「今のNulbarichがやるとこうなる」という感覚でトライするので、当時のアレンジでもう1回やりたいと思ったことはないんですよね。レコーディングし終えてリリースするときも、「もっと上手にできたのにな」っていう気持ちがいつも上回ります。
ーーでは、過去作を聴き返すことは滅多にない?
JQ:昔の自分の曲を聴くのは恥ずかしいですね。でも当時の自分には二度と会うことができないから、それがちゃんと作品として残っているというのは、美しいなとも思います。最初は恥ずかしくて音源を出すのが嫌だったんですけど、そう言ってたらキリがないので、カッコいいと思う気持ちが嘘じゃないなら、ちゃんと録って出そうと思ってやってきました。作ったときは「最高だ!」と感じていたはずですからね。
ーーその点、今回は「A New Day feat. Phum Viphurit(天蚕糸風呂 Remix)」が収録されていて、昨年の楽曲を早速新しいモードにチューニングしているわけですが、ロック的な大胆なアレンジを選択したのはなぜでしょう?
JQ:天蚕糸風呂(テングスブロ)は新しく始めたプロジェクトなので、Nulbarichっぽくない方がいいよねという話にまずなりました。メジャースケールの曲をマイナーにしてどこまでできるかっていう、壊すことがリミックスの仕事なので。あとは、60年代のレトロなロックの雰囲気がプロジェクトのなかで旬なので、それがうまくハマったのかなと。「この曲カッコいいね」みたいな話をするなかでも、あえて古いことをやっている人たちの名前が挙がったりとか。
ーー最近のアーティストで、60年代志向が強い人ということですか。
JQ:そうそう。天蚕糸風呂は、これまで残されてきた普遍的な音楽財産をリスペクトしながら新しい音楽をやろうという、温故知新プロジェクトみたいな感覚なんです。たくさん音楽を聴いてきたメンバーが多いなかで、共通言語としてはそういう音楽の話になることが多いですね。
ーーNulbarichのメンバーも参加しているということですけど、同じように不定形なメンバーで活動していくのでしょうか?
JQ:どうですかね。プロフィールすら全然定まっていないので、Nulbarichの始まり方と似ていますけど、今は友達同士のグループに名前がついたぐらいだと思ってもらえれば(笑)。