桐谷健太×宮沢和史、対談インタビュー 映画作品をきっかけに生まれた「遣らずの雨と、光」について語る

 俳優・桐谷健太が、現在公開中の主演映画『ミラクルシティコザ』の劇中で弾き語りしている「マーミーの歌」をベースに、沖縄ミュージックに造詣が深い宮沢和史(ex.THE BOOM)をサウンドプロデューサーに迎えて完成させた「遣らずの雨と、光」を配信リリースした。本稿ではリリースを記念して行われた、桐谷健太×宮沢和史のオフィシャル対談の模様をお届けるする。(編集部)

桐谷健太「宮沢さんの音楽にはずっと支えられてきました」

ーー桐谷さんは「中学時代からずっと支えてもらった」と語るほど宮沢さんの音楽を愛聴されていたそうですが、桐谷さんにとって宮沢さんはどんな存在だったんでしょうか?

桐谷健太:中学の卒業式のあとに「からたち野道」をウォークマンで聴いて号泣しながら帰ったり、散歩しながら「釣りに行こう」を聴いて気持ち良い気分になったり、お風呂の中でもTHE BOOMの曲をよく聴いていましたし、高校でバンドを組んで、僕はドラムだったんですけど、最初にみんなで覚えて演奏した曲が「月さえも眠る夜」だったんですよ。それを演奏し終わったあとに感動して、みんなと抱き合った思い出もあって。それぐらい、本当に宮沢さんの音楽にはずっと支えられてきました。

宮沢和史:僕も尊敬する先輩方の音楽に憧れて、これは自慢でもあるんですけど、僕が好きになった先輩たちは今でもみんな格好良いんですよ。なので、今の桐谷さんの話を聞きながら、僕も先輩たちみたいに失速せずに格好良い音楽をやり続けなきゃなと、身が引き締まりました。そう思わせてくれる存在がいてくれる、これは嬉しいことですよね。

桐谷:こちらこそ、今回こうしてご一緒させていただけてめちゃくちゃ嬉しいですし、ハッピーな言葉しか出てこないです。宮沢さんにお会いできてサウンドプロデュースしていただけた……こんなに幸せなことはないです。5歳のときに映画を観て「このスクリーンの中に入りたいな」と思った瞬間のような、嬉しいとか、楽しいとか、そういう純粋な気持ちだけで新しい道が広がっていったあの感覚が、こうして宮沢さんとご一緒できたことでまた芽生えているんですよね。改めて「純粋に楽しむということだけに命を懸けていきたいな」という想いが強まっています。

桐谷健太×宮沢和史

ーー宮沢さんは、桐谷さんに対してどんな印象を持たれていたんでしょう?

宮沢:「海の声」を聴いて「歌にもチャレンジするんだ」と思ったし、友達であるBEGINの島袋優さんも作曲で携わっていたので、すごく身近に感じたりもしていました。僕は南米にライブや作品づくりでよく行っていて、そのうち日系人の方たちと交流することが僕のライフワークになってきて。そこには沖縄から移民してきた人がたくさんいて、日系人のお祭り、催し物になると沖縄の人たちが多くを占めるんですが、「海の声」がヒットしたときに、本当に彼らが嬉しそうで。要するに、世界中の日系人も含めたウチナーンチュ(沖縄人)が共有できる、例えばエイサーを踊るとかね、「この曲をみんなで踊れるんだ」という喜び。久しぶりに沖縄系のヒット曲が生まれたから、そのときの若い子たちの嬉しそうな姿を間近で見て「本当によかったね!」と思ったことをいまだに憶えています。

ーーTHE BOOM「島唄」の世界的ムーヴメントと同様の現象が「海の声」でも起きていたんですね。

桐谷:めちゃくちゃ有り難いことですよね。嬉しいです。あと、僕の中で「海の声」で嬉しかったことと言えば、宮沢さんがライブで「島唄」を歌うために三線を準備して「さぁ、歌おう」ってときに、ジョークで「海の声」を歌ってくれたんですね。みんな「うわぁー!」と盛り上がってくれて、そこで宮沢さんが「違うでしょ」ってノリツッコミするんですけど(笑)、自分はそれに「俺が歌っている曲を!」とめちゃくちゃ感動してしまって! あれは本当に嬉しかったですね。

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