沖縄ロマン紀行『宮沢和史・又吉直樹 “琉歌”巡り旅』(NHK BSプレミアム)
宮沢和史と又吉直樹、「八・八・八・六」で描く琉歌の世界を訪れる旅へ
『島唄』のヒット以来、沖縄文化の魅力を発信し続ける音楽家・宮沢和史。
「民謡の歌詞で、琉球王国時代から続く歴史をも知ることができる。民衆の暮らしや心情を伝えてくれる歌は、僕にはどんな歴史書よりも面白い。そして何より素晴らしいのは、今も民謡が生きていて、新しい曲が次々と生まれることです」
沖縄の民謡を語る時、宮沢は大切で愛しい何かをそっと両手で包む時のような表情になる。生きることの辛さ、苦しさ、喜び、島を愛するこころ、そしてラブソング。沖縄の島々には実にさまざまな歌が伝わる。宮廷で歌われた琉球古典音楽、民衆が歌う民謡、文学作品として詠まれる狭義の「琉歌」、この三つを含む広義の「琉歌」の骨格は、八・八・八・六(サンパチロク)の三十音。実は沖縄県内には、その土地で生まれた琉歌(以下、広義の琉歌を指す)を刻んだ歌碑が各地にある。
「琉歌の歌碑を訪ねる旅をしないかと宮沢さんに誘われて、面白そうだと思いました。僕は旅先にある句碑とかしっかり読みたいほうなんですよ。沖縄の文化に造詣の深い宮沢さんと一緒なら、きっといろんなことを教えてもらえる」
沖縄にルーツを持つ芸人で芥川賞作家・又吉直樹は、この旅に参加した理由をこう語る。
又吉「言葉がわからなくても、万葉集をひもとくように、琉歌を学べると思う」
句集や歌集、詩集が好きで、俳人でもある又吉。ウチナーグチで詠まれた琉歌に言葉の壁を感じることはないだろうか。
「万葉集や古い文語体で書かれた句集も、結局は歳時記を開いたり古語辞典を引いたりして調べながら読むので、正直そんなに抵抗はありません。ウチナーグチを聞いていると、旅の後半になるにつれ言葉が自分のほうへ近づいてきた感じがします」
一方、宮沢はこう話す。
「八・八・八・六の三十音という制限がありますから、読む側・聞く側が想像することも大切。例えば比謝橋のたもとにある吉屋チルーの歌碑を訪れると、当時八歳の女の子が身売りされて親元を離れ、川を渡って行く心細さを、この地に立つことで初めて実感しますよね」
琉歌の中に、時間の流れと物語がある
沖縄戦直後の捕虜収容所で歌われた「屋嘉節」の内容を知り、沖縄戦から現在へと続く歴史を立体的に感じることができたと語る又吉。
「その琉歌ゆかりの地へ足を運んで、現場を見ながら話を聞くのは理解が早いし、旅の面白いところかなと思います」
組踊や琉球舞踊、沖縄芝居などの芸能でも、核となる表現は琉歌。俳句や短歌など日本語が七五調のリズムで刻まれるのに対し、琉球弧の言葉には八・八・八・六のリズムが合うようだ。だが伝統的な島の言葉を話すネイティブスピーカーは減っている。旅の終わりに詠んだ自作の琉歌を交換し、ふたりはこんな話をした。
「沖縄でも特に若い世代はウチナーグチの琉歌に慣れ親しんでいないかもしれない。僕は共通語でもいいから、琉歌を詠んでみてほしいと思います。一方で、古い歌を知ることも大切。音楽も、文学も、生まれてくる理由がある。さらに昔の歌には、物語がある。今回の旅も、我々は石を見ていただけですが(笑)、石碑の向こう側に、果てしない景色が広がっていましたね」(宮沢)
「歌の中に、時間の流れがあって、物語として触れられるのは、面白かったです。またどこかぜひご一緒したい」(又吉)