『ウル盤』インタビュー
ウルフルズ、30曲セルフカバーで実感した“いま演奏する意味” 伊藤銀次との出会いなどキャリア転換期も振り返る
2022年にデビュー30周年を迎えるウルフルズが、全30曲のセルフカバー企画を始動。“ウルッとくる名曲”をテーマにした第一弾アルバム『ウル盤』には、「バンザイ〜好きでよかった〜」「それが答えだ!」「かわいいひと」「笑えれば」などヒット曲のほか、「泣きたくないのに」「39(サンキュー)」などレアな楽曲も収録(セルフカバーということで全ての楽曲名に「V」が付記されている)。現在のアレンジ、楽器、演奏でリレコーディングしたことで、“2021年のウルフルズ”を生々しく体感できる作品に仕上がっている。トータス松本、ジョンB、サンコンJr.の3人に、セルフカバーアルバム制作の経緯、30周年を目前にしたバンドへの想いなどを語ってもらった。(森朋之)
久々に演奏して「こんなにええ曲やったんや」と感じた
ーーセルフカバーアルバム第1弾『ウル盤』がリリースされます。まずはセルフカバーアルバムの制作に至った経緯を教えてもらえますか?
トータス松本(以下、トータス):まず“30”(周年)という数字からだよね?
サンコンJr.(以下、サンコン):うん。去年の春くらいにリモートでメンバーやスタッフと会議したんですけど、そのときにジョンBさんが「30周年、すぐに来るから何かやったほうがいい」ってしきりに言ってて。
ジョンB(以下、ジョン):デビュー30周年をみんなでお祝いしたいなっていう、単純な気持ちなんですけどね。その瞬間を楽しく迎えられるように盛り上げていきたいなと。
トータス:「ぼやぼやしてたら、すぐやで」ってね(笑)。
ジョンB:(笑)。そこまで強く意識してたわけではないんだけど、30周年はやっぱり節目やし、そこに向かって上手く転がっていきたくて。そのためにはちゃんと計画したほうがいいし、みんなで力を合わせてやっていきたいと思ったんでしょうね。
サンコン:後日、直接会って会議したときも、「30年に紐づいた活動がやれたらいいね」という話になりまして。その場では具体的なことは出なかったんだけど、何時間か後に松本くんから「30曲セルフカバーはどうやろう?」と連絡が来て。
トータス:風呂に入ってるときにいきなり思いついたんですよ。30っていう数字はなかなか難しくて、たとえば30カ所のツアーって言っても、全都道府県の数に比べるとショボいじゃないですか。どうしようかなと考えてるうちに、30曲セルフカバーやったら、みんなも“えー!?”ってなるんじゃないかなと。2014年にFunkadelicが33年ぶりのアルバム(『First You Gotta Shake The Gate』)を出したんですけど、それが33曲入りだったんですよ(笑)。30曲セルフカバーというのも、それに近い驚きがあるんやないかなと思って。
ジョンB:30曲セルフカバーっていう話を聞いたときは、「大変やん!」って思いましたけどね(笑)。
サンコン:せやな(笑)。
ジョンB:大変なことをするのもいいなと思ったんですよね、そのとき。しかもコロナ禍になって、(制作に充てられる)時間も十分あったし。セルフカバーとは言っても、僕らの場合アレンジをやり直すということではないんですけどね。
ーー「昔の曲を今のウルフルズが演奏したらこうなる」ということですよね。
トータス:そうそうそう! 今の状況、今の感じで昔の曲を再演するというのかな。
ジョンB:もちろん“元”(原曲)を超えるのは難しいんですけどね。そのときの思いが詰まってるし、それはもう変えようがないので。言ってもらったように、「今やったらどうなるか」というところですよね。
ーー制作としては、まず選曲からですか?
トータス:そうね。スタッフを交えてミーティングして、忌憚ない意見を出し合いました。「これは外せへんな」という曲をバーッと選ぶと、みんな被るから20曲くらいはすぐに出てくるんですよ。そこから先は好みだったり、世代によっても違ってくるので、周りの意見も大いに受け入れながら選びましたね。僕らはピンと来なくても、「この曲、高校生のときにめっちゃ聴いてました」と言われると、「そうか」っていうこともあって。「大丈夫」もそう。進研ゼミのCM曲だったんですけど、「これ聴くと受験の時を思い出します」っていうスタッフがいて、「その当時好きだった子の顔が浮かぶんかな」とか(笑)。そういうやり取りが大事やったんかな、このアルバムは。
ジョンB:スタッフの熱量によって、自分たちも「それもええかもな」って思うこともありますからね。メンバーだけで選ぶとどうしても偏るし、いろんな人の意見を聞いたほうがバランスも良くなるかなと。スタッフの意見はファンの意見に近いやろうし。
サンコン:そういう話をするなかで、「なるほどな」と思うことも結構あったんですよ。いい曲が埋もれていたりとか、今回久々に演奏して「こんなにええ曲やったんや」と感じることも実際あったので。セルフカバーを作ったことで、この後のライブで新鮮なセットリストが組めそうだなと。
プロデューサー 伊藤銀次から言われた「ヒット曲が欲しくないのか?」
ーー30年近くやっていれば、当然長らくステージで演奏してない曲もあるわけですよね。
トータス:あるある(笑)。『バンザイ』(3rdアルバム/1996年)は一番売れたアルバムなんやけど、そこに入ってる「泣きたくないのに」は、なぜか人前でほとんど演奏したことがなくて。「39(サンキュー)」もそのときのアルバム(10thアルバム『YOU』/2006年)のツアー以来、全然やっていなかったからね。
ーー「泣きたくないのに」は、南部ブルースの雰囲気が色濃く出ている楽曲ですが、今回のテイクも素晴らしくて。ウルフルズのルーツを実感できる演奏だと思いました。
トータス:えらい“ド渋”でしょ(笑)。それしかやりようがなかったんですよ。こねくり回しても良くならんし、一番自然に演奏できるのがこういう感じだったっていう。「地味すぎるんやないかな?」って最初は怖気づいてたんですよ。みんなに聴かせる前に、自分たちが「これはええな!」ってウケてないとダメだから。でも、スタッフに「すごくいいので入れましょう」に言われると、気を取り直して「そう?」みたいな(笑)。
サンコン:そんな話もあったな。
ジョンB:「泣きたくないのに」はJ-POPからは遠すぎるよなって(笑)。
トータス:そうそう。一応、J-POPの枠にいたいので。
ジョンB:地味というか、原曲もストイックな感じですからね。改めて演奏するのは難しかったけど、面白い仕上がりになったと思います。
トータス:うん。歌詞の暗い世界観にも合っているし。
ーー「きみだけを」はまさに“ウル”っとくるラブソング。1994年の2ndアルバム『すっとばす』に収録された楽曲ですが、まだブレイク前ですよね。
トータス:うん。『すっとばす』は700枚くらしか売れてないから。
サンコン:ははははは。
ーーそんなことはないと思いますが(笑)。翌1995年12月リリースの9thシングル『ガッツだぜ!!』で一気にブレイクするわけですが、その直前のウルフルズはどんな雰囲気だったんですか?
トータス:楽しかったですよ。バンドの転換期で。
サンコン:そうやね。
トータス:それまでは日の当たらないところにいて、「どうしたらええんやろう......。誰か導いてくれ」という不安や心細さがあったんですけど、そこに伊藤銀次(プロデューサー)という人が現れて。もはや『モーレツ!!しごき教室』でしたよ(笑)。銀次さんがハリセン持って、僕らはジャージ着て、ヘマしたらシバかれるっていう。
ーー『モーレツ!!しごき教室』の話、関西出身のアラフィフ世代にしかわからないです(笑)。
トータス:ははは。でもね、ホンマに厳しかったのよ。「バンドの演奏とはこうやるんだ!」とビシビシやられて、「できなかったら、トラ(代役のスタジオミュージシャン)と差し替えるからな」と。「商業音楽をやる以上、いい歌を書け」とも言われましたね。「君もヒット曲を聴いて大きくなったはず。だったらそういう曲を書くべきだし、ヒット曲が欲しくないのか?」と。もちろんヒットは欲しいから「じゃあ頑張ろう」と思いましたよね。
ーーそんなことがあったんですね。
トータス:「君らの曲を30曲くらい聴いたけど、聴くに堪える曲は2曲しかない」とも言われたけど(笑)。銀次さんに会って「ヒットを出す」という目的がはっきりしたし、あとはもう、そこに向かって一心不乱にやるだけでした。
ーー実際、伊藤銀次さんのディレクションによって歌詞の書き方なども変わったんですか?
トータス:かなり変わりましたね。もっとわかりやすく、伝わるようにって意識したし、「関西らしさを前面に出そう」ということで、「大阪ストラット」を作ったりとか。「きみだけを」はサビのフックだけあった時に、銀次さんに「これはいい曲になるはずだから、Aメロ、Bメロも作って」と言われたんです。何度もボツを食らいましたけど、自分の経験と照らし合わせながら、誰にでも伝わるラブソングにしようと思って。書いても書いてもOKが出なくて、渋谷の東武ホテルのロビーでダメ出しされた後、スクランブル交差点あたりで体がフニャフニャフニャってなっちゃったりしましたけど(笑)、あの時期の僕らにはそれが必要だったんですよね。
サンコン:事務所から給料が出なくなって、バイトもしてましたからね。レコーディング中も「ごめん、バイト行ってくるわ」とかなったり(笑)。ただ、作ってるものは「今までと違うな」という手応えがあったし、ワクワクしていました。
トータス:そうね。たまにレコード会社の人がスタジオに来て、僕らの曲を聴いて笑ったり「いいね」「カッコいいね」って言ってくれたので、それがすごく嬉しかった。
ジョンB:何が一番よかったかって、自分らだけが面白がっているんじゃなくて、周りがザワついてきた時なんですよ。曲を出すたびに反応があったし、少しずつバンドが動いてきた実感もあって。そういう経験があったからこそ、「ガッツだぜ!!」や「バンザイ 〜好きでよかった〜」のヒットにつながったと思うし、やっぱり特別な時期ですよね。