『稲村ジェーン』は特別な“青春映画”でもあった 監督・桑田佳祐が数々の名曲とともに描いたひと夏の物語

※本稿には、『稲村ジェーン』のストーリーに関わるネタバレが含まれます。

『稲村ジェーン』

 公開から約30年という歳月を経て、このたびBlu-ray&DVD化されることが話題を呼んでいる桑田佳祐の映画『稲村ジェーン』。監督した当の本人は「若気の至りの極致ともいえる作品」と冗談めかしたコメントを寄せているけれど、やはりこの映画は、いわゆる“音楽映画”であると同時に、その“若さ”ゆえに描き出すことができた、ひとつの貴重な“青春映画”だったのではないだろうか。

 映画の舞台は、東京オリンピックの翌年――1965年の鎌倉市稲村ヶ崎周辺だ。どんな時代であろうとも、多くの若者たちは、退屈の中を生きている。もっと言うならば、いつの時代も若者たちは、「こんな日々がいつまでも続くわけがない」と心のどこかで感じながら、その不安を打ち砕くほど強烈な“体験”を「待っている」のだ。この映画のメインとなる登場人物たち――骨董屋の代理店主をしているサーファーのヒロシ(加勢大周)と、そのツレであるバンドマンのマサシ(金山一彦)、伊勢佐木町からやってきたチンピラのカッチャン(的場浩司)、そして横須賀から流れてきた波子(清水美砂)――彼ら4人も、そんな若者たちだった。“稲村ジェーン”とは、20年に一度、稲村ヶ崎にやってくるという“大波”のことを指す。1965年の夏、「本当に大波なんてくるのかな?」――そう言いながらも、彼らは心のどこかで、それを「待っている」のであろう。

 ここで改めて言っておきたいのは、本作は必ずしも監督の“実体験”をもとにした物語ではないということだ。1956年生まれの桑田は、1965年当時はまだ小学生だったはず。そう、この映画は、稲村ヶ崎に程近い茅ヶ崎で生まれ育った彼が、ある種の“憧れ”をもって眺めていたであろう、当時の若者たちを描いた物語であり……いわば、桑田が生み出してきた音楽の“原風景”とも言える情景を描き出した映画なのだ。よってその構成は、ある程度の時代的な考証がなされているとはいえ、かなり自由かつ大胆なものとなっている。とにかく、次々と映し出される稲村ヶ崎周辺の海や山の情景と、その背後に流れる音楽が、非凡なまでに雄弁なのだ。

 「稲村ジェーン」というタイトルが画面に現れたあと、夜明けの山道を走るダイハツの三輪オート・ミゼットの映像と共に流れ出すオープニング曲「マンボ」から、何かが始まる期待と予感に満ち満ちている本作。ひょんなことから出会い、徐々に交流を深めていく4人の“ひと夏の経験”は、数々の美しい音楽に彩られている。たとえば、夜の浜辺で焚火を囲みながら、手に手を取り合って踊る多幸感溢れるシーンで流れ出す「忘れられたBIG WAVE」。あるいは、髪を洗う波子の姿を見て、彼女のことを意識するようになったヒロシが、胸をかきむしりながらひとり車を走らせるシーンで流れ出す「希望の轍」。そして、ひとり海辺を歩くヒロシの「暑かったけどヨゥ、短かったよナァ、夏。」というモノローグをきっかけに流れ出す「真夏の果実」。いずれも、この映画のために桑田が書き下ろしたという楽曲たちが喚起する情感は、どうにも堪らないものがある。ひょっとするとそれは、それらの楽曲がまっさらな“新曲”であった当時よりも、むしろその後、サザンの定番曲として多くの人に愛され、もはや聴く人たちそれぞれの“思い出”をまとっているであろう今のほうが、よりいっそうの情感をもって響き渡るのかもしれない。

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