『稲村ジェーン』は特別な“青春映画”でもあった 監督・桑田佳祐が数々の名曲とともに描いたひと夏の物語
この映画が、“音楽映画”として特別なのは、それだけではない。監督自らが本作のために書き下ろした楽曲を、映画の挿入歌として用いるだけでも珍しいことなのに、監督自身(つまり桑田佳祐自身)が映画の中に突如登場し、自らライブで披露しているのだ。主人公たちのたまり場でもある稲村ヶ崎のライブカフェ「ビーナス」のステージに立つ、サングラスをした盲目のシンガー。桑田扮する彼がラテンバンドの演奏に合わせて朗々と歌い上げるのは、全編スペイン語詞の楽曲「愛は花のように(Olé!)」だ。テーブルを叩き足を踏み鳴らしながら、大いに盛り上がる観客たち。ステージはもちろん、客席のテーブルを花道のように練り歩きながら踊りまくる魅惑的な女性ダンサー。そのシーンはさながら一篇のミュージックビデオのように、完成された世界観を打ち放っている。そして、このサングラスをした盲目のシンガーは、物語のクライマックスでも、再び画面に登場する。大型台風が迫りくる中、ヒロシと波子が体験する超常的な出来事。そのシーンと重ね合わせるように現れたシンガーは、そこで本作の表題曲でもある「稲村ジェーン」を情熱的に歌い上げるのだ。
「マンボ」「愛は花のように(Olé!)」「マリエル」同様、全編スペイン語の歌詞で綴られた「稲村ジェーン」。その中でいみじくも桑田は、映画のテーマと直結するようなメッセージを歌い上げているのだった。サザンオールスターズのオフィシャルホームページにも掲載されている「稲村ジェーン」の歌詞の「日本語訳」(参考)。〈ある日やって来た/海からの波〉という言葉から始まるその「日本語訳」には、次のような言葉たちが散りばめられている。〈現実の生活を変えてしまった/ある波のストーリー〉、〈波が昨日までの全てを押しやった/苦しみや寂しさに満ちた/愛に悩んだ日々〉、〈そして今私の心の中に生まれた/新しい ilusion(夢)〉。それはまさしく、“稲村ジェーン”を待ち続ける若者たちを描いた、この映画について歌ったものだった。そして、桑田は最後こんなふうに歌い上げる。〈愛をただ待っていてはだめだ/君に訪れたなら決して迷ってはいけない〉と。
台風が過ぎ去ったあと、映画にはある一枚の古びた写真が登場する。そこに映っているのは、20年前にやってきた“稲村ジェーン”に立ち向かい、その波に乗ったという稲村ヶ崎の伝説の3人の男たちの若かりし頃の姿だ。そしてもうひとり、伝説の男たちと並んで映っている女性――その顔立ちは、なぜか波子と瓜二つなのだった。そう、“稲村ジェーン”とは“大波”のことではなく、その兆候として蜃気楼のように現れるひとりの女性のことであり――「待っていてはだめ」なのだ。それが「訪れたなら決して迷ってはいけない」のだ。映画は夏の終わりと共に幕を閉じ、その続きは描かれない。しかし、この“夏”を共に過ごした4人の若者たちは、もはや何かを「待っている」だけの若者たちではないのだろう。この映画が“音楽映画”であると同時に、あるいはそれ以上に、ひとつの“青春映画”であると思う理由はそこにある。若者たちが過ごした、忘れらないひと夏の物語。「暑かったけどヨゥ、短かったよナァ、夏。」。その美しい情景と音楽に身を委ねながら、まずはその目で確認して欲しい一本だ。