『毅の“カタリタガリ”』第1回
SUPER★DRAGON 古川毅、音楽を語りまくる新連載『カタリタガリ』スタート! シーンを動かした4人のボーカリスト
もう1月も終わりですが、新年あけましておめでとうございます。今年から、リアルサウンドで連載を持たせてもらうことになりました、SUPER★DRAGONという9人組のグループでボーカルとダンスをやっている、古川毅といいます。タイトルは『毅の“カタリタガリ”』。文字通り、音楽を中心に僕が影響を受けたカルチャーのこと、リスペクトしているアーティストへの想いなどについて、毎月ペースでテーマを設けて持論を語っていきます。
SUPER★DRAGONのことをご存じの方には、新たな音楽との出会いや、これまで以上に僕らのことを楽しんでもらえるきっかけになるような、ご存じでない方にも、ボーカリスト/ダンサーという演者目線から見る、音楽の魅力やシーンの流れについての話を楽しんでもらえるような企画にしていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
■第1回「ボーカリスト」
歌は、例えば普段は言えないことや、会話のなかで話すのはちょっと恥ずかしいこと、ついつい説教くさくなってしまう話などの本質をすくい上げることができる。そして、その人の声とメロディに言葉が乗るからこそ、誰かの心に響く。僕自身も、歌を歌うこと、歌を聴くことで何度も救われたことがありました。
まず、僕にとっての“ボーカリスト”とは何なのか。事務所の先輩だったBro.TOMさんが「歌は演技のように、演技は歌のように」とおっしゃっていたことは、ほんとうにそうだなって、思います。僕は役者の仕事をすることもあるんですけど、そのときに心掛けているのは、脚本家さんの意志や監督さんの世界観を、どのように伝えるかということ。歌も、作詞作曲を自分が手掛けたもの、どちらかだけを書いたもの、どちらも作家さんやバンドだとほかのメンバーに任せたものなど、いくつかのケースがありますが、演技と近い部分があると思うんです。1曲3分とか4分の間にある物語を、声だけで、ライブになると所作も含めて成立させなければならない。そのために必要な要素は何かと考えると、大きく言えば、確かな技術、豊かな音楽的/文化的背景、それらによって培われた替えのきかない個性だと思います。
そのうえで、ここからは僕が大きな影響を受けたボーカリスト4名をピックアップして、それぞれの方の魅力に迫っていきます。僕のボーカリスト論とここに挙げる先輩方の考えが一致するかどうかはわかりませんし、語るのはおこがましい気持ちもありつつ、そこは“カタリタガリ”なので、ご容赦を。