小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード1   村井邦彦・吉田俊宏 作

『モンパルナス1934』エピソード1

エピソード1
カンヌ #3

 翌々日、ダリオが中型のベンツを手配してくれた。
「ムッシュー・クニ、ずいぶん荷物が増えたねえ」
 ダリオの言う通り、もうトランクは満杯だ。昨日のマダム2人の買い物の量がすさまじかったからだ。しかし、どうしてもこのベンツで今日中にパリへ着かなければならない。やれやれ。
「よし、これで大丈夫だ」
 ダリオがベルボーイと3人がかりで美奈子さんの大きなスーツケースを3つともベンツの屋根にくくりつけてくれた。
「ありがとう、ダリオ。また来年のMIDEMに来るから、部屋を頼むよ。今度はたぶん1人だけだ」
 彼と握手して、僕はベンツをスタートさせた。タンタンが窓を開けると、ミモザの甘酸っぱい香りが車内に充満した。沿道の山側に立ち並ぶオリーブの木々が風に吹かれ、コート・ダジュールの陽光を浴びた無数の葉が銀白色に輝いていた。

「ねえ、ねえ、もっとスピード出せないの。これベンツでしょう。シトロエンにもあっさり抜かれちゃったじゃない」
 ようやくリヨンを過ぎた頃、美奈子さんが言った。
「これだけ荷物を積んでいるんだから無理だよ。美奈子さんのスーツケースを振り落としても良ければすっ飛ばすよ」
「ひとつでも落としてごらんなさい。そなた、切腹、ハラキリよ」と美奈子さんが歌舞伎のセリフのように言った。
「ねえ、ハラキリなんて物騒なこと言わないでよ。三島さんの事件を思い出しちゃうじゃない」とタンタンが主張した。三島由紀夫が自衛隊の市谷駐屯地で割腹して果ててから、まだ2か月しかたっていなかった。
「三島さんは最近、ずっと変だったわね。明らかにおかしかった。以前はキャンティにもあの人を尊敬するお客さんがたくさんいたけど、だんだん敬遠されるようになっていった。そうそう、1年ぐらい前かな、丸山明宏さんがね、三島さんには二・二六事件の青年将校の霊が憑いているって言っていた。あの人、霊感があるって噂だけど、本当かもしれないわ」とタンタンが続けた。
「そういえば、タンタン、三島さんが松竹の永山さんと一緒にキャンティに現れたって聞いたけど」と噂話好きの美奈子さんが合いの手を入れた。
「永山常務、いらしたわよ。三島さんが亡くなる2か月ぐらい前だったかしら。2人きりで2時間ぐらい話し込んでいたわ。永山さんは三島さんの学習院の1年後輩だそうよ」
「僕はね、三島さんが自決する前の日か、前の前の日だったか、とにかく直前に三島さんに会ったよ」と僕はバックミラーを見ながら2人に言った。
「あら、本当?」
 美奈子さんが運転席まで身を乗り出して素っ頓狂な声を上げた。
「うん。六本木の俳優座の裏にミスティってジャズクラブがあるでしょ。その上の階に雀荘とサウナがあって、僕はよくサウナの方に行くんだけどさ、夜の遅い時間に1人で入っていたら来たんだよ、三島さんと森田必勝が。3畳ぐらいのサウナに三島さんと森田必勝と僕の3人だけだよ。想像できる? 参ったよ。2人ともものすごく興奮していて、異様な雰囲気だったなあ」
「あなた、よく生きて帰ってこられたわね」。タンタンが例の冗談とも本気ともつかない調子で言って、時速100キロで流れていく外の景色を見つめたまま「私、キャビアが食べたいわ」と続けた。
「えっ、キャ、キャビア?」
 僕は美奈子さんに負けない素っ頓狂な声を上げた。
「食べたいわ」
 タンタンが同じことを繰り返した。
 こんな田舎にキャビアなんてあるわけがないと思ったが、前方の案内板に「ボーヌまであと10キロ」と表示されているのを目にして、僕はひらめいた。ボーヌは有名なブルゴーニュワインの産地だから、きっとキャビアを出すレストランだって1軒や2軒はあるに違いない。高速を降りて町に入り、最初に見つけたレストランにベンツを止めて尋ねた。
「キャビア、あるって。さあ、降りて、降りて」
 そのときのタンタンの喜びようといったらなかった。あの童女のような無邪気な笑顔を見たら、誰だってわざわざ田舎町のレストランに立ち寄ったことを後悔などしないだろう。タンタンはそういう女性だった。

パリに到着したタンタン(右)と村井邦彦(左)

 店を出たところで雨が降り始めた。タンタンが定宿にしていたシャンゼリゼの裏にあるロード・バイロンというホテルに着いたのは夜の10時すぎだった。屋根に載せていた美奈子さんのスーツケースは3つともびしょ濡れになっていて、1つは中まで水が入ってしまった。僕はハラキリを覚悟したが、そこは大物の美奈子さんである。「まあ、雨だもの。仕方がないわね」の一言で済んでしまった。
「カンヌもいいけど、パリに来ると落ち着くのよ」。ホテルのロビーでタンタンが言った。「シローと何度一緒に来たか分からないわ」
「川添さんがパリに留学したのは昭和9年でしたよね。1934年」と僕が言うと、タンタンがまた饒舌になった。
「そう、1934年ね。あの人は21歳かな。モンパルナスがシローの縄張りでね。いろんな人と知り合ったって言っていたけど、詳しくは知らないの。だって、ちょっと妬けるじゃないの。でも、モンパルナスの経験があの人を大きくしたのは間違いないわね。もっと聞いておけばよかったわ。何があったのか」
「モンパルナスはキャンティのルーツでもあるってことですね」
 タンタンは小さくうなずいて、僕の目を正面から見てきっぱりと言った。
「ねえ、あなた、シローの歴史を調べてよ。あの人のことだから、きっとすごい経験をしているはずよ。何といっても後藤象二郎の孫なんだから。そんな人の歴史が埋もれてしまったらもったいないじゃない。あの人、本の1冊も書かずに逝ってしまったでしょう。あなた、頼むわよ。いつか必ず。約束よ」
 タンタンはその3年後に亡くなってしまった。

村井邦彦(Photography by David McClelland)

■村井邦彦(むらい・くにひこ)
1967年ヴィッキーの「待ちくたびれた日曜日」で作曲家デビュー。1969年音楽出版社・アルファミュージックを設立。1977年にはアルファレコードを設立し、荒井由実、YMO、赤い鳥、ガロ、サーカス、吉田美奈子など、多くのアーティストをプロデュース。「翼をください」、「虹と雪のバラード」、「エメラルドの伝説」、「白いサンゴ礁」、「夜と朝のあいだに」、「つばめが来る頃」、「スカイレストラン」ほか、数多くの作曲を手がけた。2017年に作家活動50周年を迎えた。

吉田俊宏

■吉田俊宏(よしだ・としひろ)日本経済新聞社文化部編集委員 
1963年長崎市生まれ。神奈川県平塚市育ち。早稲田大学卒業。86年日本経済新聞社入社。奈良支局長、文化部紙面担当部長などを経て、2012年から現職。長年にわたって文化部でポピュラー音楽を中心に取材。インタビューした相手はブライアン・ウィルソン、スティーヴィー・ワンダー、スティング、ライオネル・リッチー、ジャクソン・ブラウン、ジャネット・ジャクソン、ジュリエット・グレコ、ミシェル・ペトルチアーニ、渡辺貞夫、阿久悠、小田和正、矢沢永吉、高橋幸宏、松任谷由実ほか多数。クイーンのファンでCDのライナーノーツも執筆。

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