Tempalayが体現したバンドのユニーク性 渾然一体のステージ見せた新木場STUDIO COAST公演
「Festival」での長いセッション、小原の歌声と抑制されたアンサンブルがロマンチックな風景を描き出す「革命前夜」。曲ごとにさまざまなニュアンスを表現しながら、Tempalayとオーディエンスの旅は続いていく。そこに一役買っていたのがスクリーンに次々と映し出される映像だ。この日の映像演出を担当していたのはMargt。実写素材やCGを使ったVJはもちろん、オイルペインティングやマーブリングもすべてリアルタイムでやっていたのだというから驚きである。音楽と渾然一体となってグルーヴを生み出していたビジュアルもまたこの日の主役だったし、逆にいうとビジュアルのパワーによって、Tempalayの音楽は何倍にもカラフルに、そしてパワフルになっていた。メッセージを聴くとか、演奏の機微を楽しむとか、音楽の受け取り方はいろいろあるけれど、Tempalayの音楽は身体と脳みそごとダイブして没入できる音楽だ。実験的で、プログレッシブで、攻撃的で、エモーショナル。でも怠惰に弛緩していて、開放的で、そしてポップ。映像と音、そしてステージにいる4人の佇まいも含めて、すべてが生き物のように変化し続けながら進化していくTempalayというユニークなバンドのありようを体現していた。
「はい、どうも」。「新世代」のあと、小原が挨拶。坊主頭になったJohn Natsukiがサンプラーから出す「確かに」とか「なるほど」とか(あとは「夏だね!」とか)いう相槌と一緒に喋りだす。「MCやらないバンドとしてやっていきたいんで」と適当にメンバー紹介したりしている小原。いい感じだ。続く「テレパシー」ではAAAMYYYのラップとともにキレのあるボーカルを響かせる。深いブルーの光のなかドープなサウンドスケープが広がった「深海より」、ループするベースとドラム、そしてAAAMYYYのエフェクトのかかったボーカルがここに来て一段ディープな世界へと連れていく「カンガルーも考えている」、そして個人的には2020年屈指の名曲と思っている「大東京万博」へ。東京タワーをモチーフにした映像を背に、タイトさとラフさ、儚いメランコリアとお祭り騒ぎを大胆に上下動するこの曲こそ、Tempalayのおもしろさと凄みそのものである。本編最後に演奏されたのは「そなちね」。メンバー全員の声が重なるサビが熱を帯びて響きわたった。
アンコールを求める拍手に応えてステージに戻ってきた4人。John Natsukiが坊主にした理由などをリラックスした雰囲気で話しつつ、「坊主もいいですが、ライブハウスもいいですな」と小原。二部公演の大変さを語りながらも、こうしてツアーファイナルを迎えることができた喜びがその口調と表情から滲み出ている。そして「New York City」「Last Dance」の2曲を披露すると、4人は満足げな表情で楽屋へと引き上げていった。その様子をカメラを通して生中継するその画面には、ワーナーミュージック・ジャパンから12月9日に配信シングル「EDEN」を配信リリースするという告知の文字。こんな発表のしかたもやっぱり彼ららしい。
■小川智宏
元『ROCKIN’ON JAPAN』副編集長。現在はキュレーションアプリ「antenna*」編集長を務めるかたわら、音楽ライターとして雑誌・webメディアなどで幅広く執筆。