音楽番組に訪れた一つの限界ーー“応援歌”を起点に均一化された2010年代を超えて

もう限界だ。次を考えよう。

 古い楽曲をコラボで生まれ変わらせながら放送枠を埋めていく2010年代の音楽番組のフォーマットは、この10年間でそれなりの洗練を見せた。多数の名コラボが生まれ、意外なアーティストの再評価も進んだ。YouTubeやストリーミングサービスを通じて新旧の楽曲が横並びになる現在のリスニング環境との相性も悪くなかった。

 ただ、さすがにもう限界が来ているように思える。昨年末の歌番組ではディズニーやミュージカルに関するメドレーが乱発され、「枠を埋めるためのコンテンツ」が「使い回し」状況に陥っていた。過去の名曲を振り返るにしても限りがあるし、徐々に「当時もそこまで社会に影響を与えたわけではない楽曲」のピックアップも増えてきている印象がある(昨年6月の『テレ東音楽祭』でNOAの1993年の楽曲「今を抱きしめて」が吉田栄作と島袋寛子のコラボで披露されていたのはさすがに驚いた。一時的に売れた楽曲ではあるが、2010年代の最後に「名曲」として振り返られる曲として適切だったのだろうか)。「すべての歌は、応援歌だ。」と掲げた昨年末の紅白も、第2部が史上最低の視聴率を記録するという事態となった。

 せっかく2020年代に入ったわけで、メインストリームの音楽番組も「次のフォーマット」を見つけてほしい。すでにそのヒントはたくさんあるように思える。極端な「バラエティ番組化」が進む『ミュージックステーション』においても、昨年末の椎名林檎や年初のKing Gnuのように「剥き出しのパフォーマンスそのものだけで視聴者にインパクトを与えるステージ」というのは相変わらず存在する。改めてそちらに寄せた番組というのも決して需要がないわけではないだろう。星野源が『おげんさんといっしょ』でトライしているような自身がフロントに立って大きなメディアと対峙するスタイルも、新たなスター候補が登場しつつある今だからこそ可能性が広がっているかもしれない。本稿冒頭で触れたような「音楽の仕組みを解説する番組」にも、テレビだからこその演出やビジュアルの作り方、キャスティングなどによってさらに魅力化できる余地が残っているはずである。

 2010年代が始まったころ、2020年代がスタートする時点で音楽番組が今のような状況になっているとは想像もつかなかった。おそらく2030年代が始まるときにも、「2020年代が始まるころには想像もつかない状況になった」と言っていることだろう。せめて今の予想が「前向きに外れる」ことを願いたい。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。2017年12月に初の単著『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』を上梓。Twitter(@regista13)

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