椎名林檎、全楽曲に一貫した“らしさ”とは何なのか 歌謡曲的メロディとボーカルに効いたコンプ感を分析
“椎名林檎感”を植え付けるコンプの使い方
音楽性の変化はありながらも、初期の作品から最新作に至るまで、一貫して強い主張を持った“椎名林檎感”が通底する。それは具体的にどの部分だろうか。各楽曲を椎名林檎たらしめている要因にはさまざまな要素が挙げられるものの、あくまで音の部分に注目するなら、その1つはボーカルにかけられたコンプレッサーだろう。もちろん個性的な声そのものが持つ独自性は非常に大きいし、発声の仕方や歌唱法にも他と一線を画す独特のものがある。しかし、それらをより際立たせ、リスナーの無意識下に“椎名林檎感”を植え付けている要素として、コンプ感は無視できないのではなかろうか。
コンプはエフェクターの一種で、音を圧縮(compress)するもの。過大入力による音の歪みを防いだり、演奏の音量差を抑えて粒をそろえる目的で使われる。これによってミックスの際に音源が扱いやすくなったり、フレーズが聴こえやすくなるというメリットがある。デメリットとしては、かけすぎると音がつぶれ、演奏や歌唱のニュアンスが失われてしまう点が挙げられる。
そのため、いかに原音のニュアンスを損なわずに圧縮できるかがエンジニアの腕の見せ所でもあるのだが、これを逆手に取った使い方もロックの歴史においては古くから行われてきた。すなわち、わざと音をつぶすことで普通では得られない音色を作り出すという手法だ。これをボーカルに使った例として世界的に最も有名な楽曲は、The Beatlesの「I Am The Walrus」か、あるいはKing Crimsonの「21st Century Schizoid Man」あたりになるだろうか。
椎名の場合、上に挙げた楽曲ほど極端ではないものの、ほぼ全曲でそれに近いコンプの使い方をしている。普通はかかっていることを認識させないよう尽力するのがコンプの“正しい”使い方とされる中、素人の耳でも「コンプがかかっているな」と認識できる程度にはエフェクティブに使われているのである。オーケストラやアコースティック楽器を中心にアレンジされたオーセンティックな音の中でも一種のオルタナ感が醸し出されるのは、歌い方以外にこういった音作りも影響していることが考えられる。