BAD HOPになぜ惹きつけられるのかーーリリックに宿った“リアリティ”に迫る
BAD HOPが育ったのは、川崎市川崎区。駅周辺は華やかだが、異様な空気を漂わせた風俗店が建ち並ぶ通りも残っている。さらに東に進むにつれ徐々に町並みに虚無感が漂い始め、産業道路を超えたら完全なる工場地帯だ。他所者の筆者はコンビニを見つけると安堵の気持ちが芽生える程、見慣れない生活が広がっている。この町は複雑な家庭環境が多いと聞くが、疑う気にならない。家にトラブルがある子供は当然ながら帰りたがらず、外の世界で自然と非行へ走る。彼らはやがて暴力団へ上納金を工面すべく、悪事に手を染めざるを得なくなるサイクルが出来上がっているらしい。周囲の大人は誰も手を差し伸べない。勝手に働こうものならドヤされ、ヤクザの息のかかった会社でカモにされる運命だ。警察に捕まった際に相談をしたものの、逆に警察から暴力団へ突き返される始末。この悪夢のような世界が、ライターの磯部涼氏による『ルポ川崎』に詳細に記されている。YZERRは子供の頃から金銭がいかに状況の解決策として機能するのかを、目の当たりにしてきたのだろう。そして同時に、金で得られないことに対する嗅覚も鋭いはずだ。
一時はそうしたビジネス感覚ばかりが育ち、なりたくなかったラッパーになりつつある自分に気付き、落ち込んだ時期もあるという。ここがまた、彼の魅力でもある。ラッパーとして以前に、人としてのバランスを取る感性を持ち合わせているということだ。
ラップが与える音楽的な高揚感は、打楽器的なリズムだけではない。聴く者の脳内にリリックの主が宿るような力があってこそ、ラップがビートと共に高揚感を与えてくれる。BAD HOPにおいてそのリアリティを際立てているのは、実はインタビューやラジオでの発信ではないだろうか。圧倒的な人気を誇る彼らが、常に次の計画を考えている様子から、常に危機感すら感じている様子が伝わってくる時がある。その「勝って兜の緒を締める」が如き謙虚な彼らを知ると、アグレッシブなパフォーマンスも虚勢ではないと感じるのだ。勿論これはBAD HOPに限ったことではないのだが、ヒップホップマナーに反しない無骨な礼儀正しさを持ったグループは若手には稀有で、器用なタイプには無い魅力を感じる。
また、そうした人としてのバランスだけでなく、楽曲のバランスも良い。”王道感”と自ら表現しているが、BAD HOPの音楽スタイルは世界的なヒップホップのトレンドをうまく消化してバランスの取れた王道のサウンドを見事に突いてくる。トレンドが年に何度も変わるこのジャンルにおいて、新たなスタイルを鵜呑みにリリースしていたら、すぐに曲の価値は風化してしまう。それはクラブでDJにプレイされなくなることを意味する。客はダサい曲では踊りたくないのだ。その点、BAD HOPは海外のサウンドとシームレスにミックスできるバランスになっており、多様な層がBAD HOPの存在を認める所以だろう。
以上を振り返った後に『ケンガンアシュラ』のエンディングを観てほしい。血塗られた主人公の過去を予感させるアニメに、地獄のような少年時代を過ごしたYZERRの言葉が重なる様子を、改めて吟味できるはずだ。
■斎井直史
学生時代、卒論を口実に音楽業界の色んな方々に迫った結果、OTOTOYに辿り着いてお手伝いを数ヶ月。そこで記事の書き方を教わり、卒業後も寄稿を続け、「斎井直史のパンチライン・オブ・ザ・マンス」を連載中。趣味で英語通訳と下手クソDJ。読みやすい文を目指してます。