米津玄師、ボカロ曲初投稿から10年 ハチ楽曲に見るクリエイティブの原点
そのほか2009年7月6日に投稿した「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のように、ハチが徳島出身であることーー徳島の伝統芸能である阿波踊りーーを彷彿とさせるサウンドメイクを施した楽曲もあれば、「マトリョシカ」(2010年)、「パンダヒーロー」(2011年)、「ドーナツホール」(2013年)に見られる、滑稽味と疾走感をあわせてもった楽曲もある。特にこの3曲は多くの歌い手の注目を集め、歌い手シーンでは欠かせないボカロ曲として、支持されていくようになった。
さらにハチ楽曲の歌詞には、〈ラビマ ラビマ〉(「お姫様は電子音で眠る」)、〈ロ ド ロ ド ランランラ〉(「clock lock works」)などのミステリアスなカタカナ語が登場する。米津玄師として昨年発表した「フラミンゴ」でも自由度の高い歌詞センスを見せていたが、そんな型にハマらない自由な感覚はボーカロイドのフィールドで育まれたものとも言える。
こうして、ハチの作品を遡ると、米津玄師として作る楽曲のいずれにもハチとして作る楽曲のサウンド、歌詞の余韻があり、根本的なものは現在も活き続けていることに気付かされる。しかし、変わったことがひとつあるとすれば、米津が“自分を肯定する楽曲を作るようになったこと”だ。2016年9月28日にリリースした「LOSER」で〈深く転がる俺は負け犬〉と歌っていた米津が、2017年11月1日にリリースした4thアルバム『BOOTLEG』収録曲の「Nighthawks」では、「自分が中高校生くらいのときに心の大半を占めていた、自分に対してどうしたらいいかわからない焦燥感や不安や怒りを思い出しながら作った曲」としながらも、〈あまりに綺麗だと恐ろしいから汚れているくらいがいい/ああ/それくらいでいい/僕らの願う未来/〉〈終わらないよ僕たちは/歪なまま生きていける/
あのカーブの向こうへ/手の鳴る方へ〉と最終的に自分を肯定する姿勢を垣間見せている(参考:ナタリー 米津玄師インタビュー)。
さらに、菅田将暉への提供曲「まちがいさがし」でも〈まちがいさがしの間違いの方に/生まれてきたような気でいたけど/まちがいさがしの正解の方じゃ/きっと出会えなかったと思う〉と表現したことは、他者へ託した楽曲とはいえ大きな変化を感じることができる。
主にハチとして活動していた頃の米津は、自分を肯定することができなかったように感じる。しかし、最近では「Lemon」の爆発的ヒットに顕著だが、ここ数年での彼を取り囲む環境の劇的な変化が、自己肯定をできるようなったひとつの要因なのかもしれない。過去の自分自身を切り離すことなく、常に進化と変化を見せる米津。先日、最新曲「海の幽霊」をYouTubeで公開し大きな反響を呼んでいるが、彼がこれから展開する音楽の行方を見届けていきたい。
■小町 碧音
1991年生まれ。歌い手、邦楽ロックを得意とする音楽メインのフリーライター。高校生の頃から気になったアーティストのライブにはよく足を運んでます。『Real Sound』『BASS ON TOP』『UtaTen』などに寄稿。
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