amazarashi、『さよならごっこ』で提示する新たな表情 楽曲に滲む“受け止める”側の優しさ

 amazarashiによる2019年最初のリリースは、手塚治虫原作のアニメ『どろろ』(TOKYO MXほか)のエンディングテーマ「さよならごっこ」を表題曲とした3曲入りのシングル。カップリングには新曲「アイザック」、歌詞をスクリーンに表示するスピーカー「Lyric Speaker Canvas」のコラボレーションソング「それを言葉という」の2曲が収録されており、加えて、初回生産限定盤には「さよならごっこ」のアコースティックバージョン、「どろろ盤」と称される、アートワークに『どろろ』のアニメイラストが描かれた期間生産限定盤には「さよならごっこ」のTVエディットバージョンが、それぞれ4曲目に収録されている。

 「さよならごっこ」は『どろろ』のために書き下ろされた楽曲で、魔物に体を奪われた状態でこの世に生まれ、忌み子として川に流された過去を持ち、成長してからは自らの体を取り戻すために妖怪と闘いながら旅をする百鬼丸と、彼と共に旅をする幼い盗賊、どろろという、2人の主人公の旅路を、どろろの視点から描いた曲になっている。秋田ひろむは、この「さよならごっこ」に関して以下のコメントを発表している。

友愛のような恋愛のような、家族愛のようなどろろの暖かい視点から、
百鬼丸の深淵に触れようと試みる歌です。
そして宿命を背負いながらそれでも尚歩みを止めない人達の為の歌です。
(オフィシャルサイトのコメントより抜粋)

 秋田自身が「暖かい視点」と語るように、この「さよならごっこ」が優しさや穏やかさを滲ませる楽曲になっているのは、“叫ぶ者”の視点ではなく、その叫びを“支え、受け止める者”の視点によって書かれているからだろう。

おどけて笑うのは この道が暗いから
明かりを灯すのに 僕がいるでしょう
(「さよならごっこ」)

 それが友情なのか、愛情なのか、あるいは、それらを混ぜ合わせた何かなのか。明確に定義づけることのできない2人の関係性において、異形の体と壮絶なさだめを持つ百鬼丸ではなく、彼を見つめ、受け止め、そして行く道を照らそうとするどろろの温かさにフォーカスを当てたという点が、とてもamazarashiらしく、秋田ひろむらしい、と思う。そしてまた、それが単なる“どろろの気持ちを綴った歌”ではなく、あくまで“どろろの視点から百鬼丸を描いた歌”になっているところも、とてもamazarashiらしく、秋田らしい表現方法である。そこからは、ある1人の個人を主体的に描くのではなく、他者との“関係性”を描くからこそ浮かび上がる人の本質がある、というこの曲における秋田ひろむの意図を推測することができる。

amazarashi 『さよならごっこ』Short Music Video / TVアニメ「どろろ」エンディング・テーマ

 もしも、赤ん坊のように全身全霊をかけて声にならない声で泣き叫ぶことで、この世界に自分の感情のすべてを伝えることができたら、どれほど気が楽だろうか。その泣き声から意味を組み取ってくれる母親のような存在が常に自分のそばにいてくれたら、どれほど安心感に包まれた人生を送ることができるだろうか。そう妄想することはいくらでも可能だが、しかし、実際の人生とは、そういうものではない。人は成長するにしたがって、かつては泣き声だったものを“言葉”という形に整えることによって、自らの気持ちを他者に伝えるための手段を獲得していく。たとえそれが、自分の気持ちの100パーセントを相手に伝えることができなくても。誤解や勘違いを与える危険性があっても。あるいは、その言葉の中に、自分の真意とは違う“嘘”が少なからず存在することを自覚していても。それでもなお、人は“言葉”を通して、他者に自分の気持ちを伝えるしかない。そうでなければ、人と人との関係性において成り立つ現実社会を生きていくことはできないし、母親のように泣き声から自分の意図を汲み取り、甲斐甲斐しく世話してくれる存在が、自分のそばにずっといてくれるわけではない。

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