グラミー5部門ノミネートの新鋭シンガーH.E.R.、ジャネット・ジャクソンらも賞賛する才能を紐解く

 H.E.R.の歌詞は、そのまま彼女の日記たりえる内容だ。「あえて他人の反応を意識しないで自分の感情を自分の言葉で書くことが、いい歌詞を書く秘訣かもしれない」と本人が語るとおり、彼女の歌詞(リリック)は赤裸々で素朴で、故にシンプルな美しさがある(参考:FNMNL【ミニインタビュー】H.E.R. | 「私の中の私」を歌う)。H.E.Rという名前は「Having Everything Revealed(全てをさらけ出す)」という意味が込められている。そして、“彼女”という意味の三人称代名詞でもある。無理やり日本語にすると“あの子”というフレーズをそのまま歌手名に冠した、というところだろうか。H.E.R.が書く自分のストーリーは、そのまま世界中の”あの子”のストーリーになる。

H.E.R. - Focus (Official Video)

 筆者の個人的なフェイバリットは「I’m Not OK」という曲。昨年発表された最新EP『I Used to Know Her: Part 2』に収録されているこの曲は、「朝の4時、あなたの居場所を案じながら眠れないまま……私、ちっとも大丈夫じゃない(I’m not ok)」と、自分の元を去ってしまった元恋人へのやるせない恋慕を歌った曲だ。とても悲しく美しいメロディと生々しい彼女の歌声は、逆に私を安心させるのだ。先日、彼女に電話インタビューをする機会に恵まれた際、「”I’m Not OK”は、まるで私にとってセラピーみたいな曲なんです」と、電話口で本人に伝えたら、「本当に? とっても嬉しい。それは私にとっても意義深いわ」と素直に答えてくれたH.E.R.。きっと、世界中の“あの子”たちから、数え切れぬほど同様の感想をもらっているに違いない。

「I’m Not OK」

 電話口のH.E.R.は、ハキハキとした口調で応えてくれた様子がとても印象的だった(インタビューなんてうんざりするほど受けているだろうに!)。1997年生まれのH.E.R.は、まだ21歳。そして、デビューからわずか2年ほどで、今やグラミー賞5部門にノミネートされるという快挙を成し遂げた彼女は、もともと音楽的に恵まれた家庭で育った。「パパがカバーバンドのメンバーで、よく家でリハーサルをしていたの。だから、私がママのお腹にいた時から、常に音楽に囲まれているような環境だった。小さい頃から歌うのが本当に自然だったの。楽器も自然と弾けるようになったし、私も物心ついたときから人前で歌うことが好きだった」(参考:前述インタビューより)。早くからアーティストとしての道を志すようになったH.E.R.は、10歳の頃、すでに地元のモーニングショーに出演し、見事なピアノの弾き語りを披露する。曲目は、本人も大ファンというアリシア・キーズの「No One」だ。その約10年後、アリシアも認めるシンガーソングライターになるとは誰が予想しただろうか。ちなみに今年のグラミー賞の司会はアリシア・キーズ、まさにその本人だ。

 今回のグラミー賞で優秀アルバム部門、そして優秀R&B部門にノミネートされた彼女のアルバム『H.E.R.』は、2016年、そして2017年にリリースされたEP作品に新曲を加えて発表したもの。一枚のアルバムというよりは、彼女の連作をまとめたコンピレーション的な意味合いも強い。そして、デジタルリリース(と、限定的なヴァイナル)でしか世に出回っていないにも関わらずグラミーのノミネートに名を連ねることが出来たのは異例でもある。今年は、カーディ・Bのアルバム『Invasion of Privacy』もまた同様で、デジタルリリースのみながら、H.E.R.と同じく優秀アルバム部門など複数カテゴリにノミネートされている。もはや、アーティストの魅力を図るツールとしてのアルバムは、有形だろうと無形だろうと関係ない。その声に、言葉に宿るパワーにこそ、魅力を伝える力があるのだから。しかしながら本作は、日本のみ限定でCDパッケージもリリースされることが決定した。改めて彼女の音源に触れるには絶好のチャンスなので、ぜひこの機会に聴いてみてほしい。併せて、グラミー賞ではパフォーマンスも行う予定のH.E.R.。きっと、彼女のトレードマークでもあるお決まりの黒いサングラスをかけてステージに立つのではないかと思うが、そのパフォーマンス力を武器に、是非トロフィーを奪取してほしいと思う。

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