『愛と芸術とさよならの夜』インタビュー

豊田道倫×澤部渡が語る、パラダイス・ガラージのポップ性「ドキドキする感覚が久々に戻ってきた」

 サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』から受けた影響

澤部:先ほども少し話にありましたが、サニーデイ・サービスの『DANCE TO YOU』がこのアルバムに影響を与えた部分が多いのかなと思ったのですが。

豊田:やっぱりあれが大きかったね。曽我部くんが全部自分でミックスしてるってことにも衝撃があって。シンガーで自分のアルバムをミックスする人って、細野晴臣さんとかはそうだけど、あそこまでやらないとできないなと思ってるから。自己満足になりがちだけど、自己満足じゃない。あのアルバムにはいろんな要因があると思うよ。曽我部くんの人生のいろんなものが詰まってるし、自分にとっては、大瀧詠一さんの『A LONG VACATION』(1981年)以降の日本のポップスの大きなポイントじゃないかな。

澤部:ほんとにそう思います。決して流麗なミックスではないじゃないですか。「桜 super love」でギターが弾いたときに、コンプレッションのリリースがふわーっとある感じとか、いわゆるプロのエンジニアだったらやらない手法だと思うんです。そういう危うさみたいなものがかっこいいアルバムでしたよね。

豊田:本当に。圧倒された。だから自分でもできるのかなっていう気持ちが漠然とあったね。普段ライブでやってる、mtvBANDとか、ソロとかの曲も相当ストックはあったんですね。でも、そっちの曲はプロデューサーがいないと録音できないと判断して。プロデューサーがいないとレコードっておもしろくないっていうのがどうしてもあってね。今回は自分の範囲でできる曲をやるのがいいと思ったんだよね。

澤部:豊田さんのアルバムでプロデューサーが立ったのって『実験〜』以降は?

豊田:曽我部くんとの『ギター』(2009年)ね。

澤部:『実験〜』も福富幸宏さんとの共同プロデュースでしたよね。

豊田:ずっと考えてるんだけどね。今なかなかプロデューサーを立てる状況は難しいし、まわりを見てもいい感じのプロデュースワークの仕事はあんまり見ないかな。メジャー、インディー共に。みんなセルフプロデュースでやってるしね。

澤部:うちもそうですけど。けっこう難しい問題でもありますよね。予算の兼ね合いも、楽曲の兼ね合いもあるし。

豊田:そういえば、スカートの新作『遠い春』聞いたよ。一言で言うともう……スタジオジブリっていうか。

澤部:はははははは!

豊田:隙のない……悪く言えばスリリングではない。MVも含めて。

澤部:そうです。

豊田:歌詞も、曲も、Aメロも、Bメロも、ちゃーんとやってるなって。『遠い春』は一つの作品として隙はないけど、でも澤部くんはこれだけじゃ満足しなくて、もっとマジックがあるはずで。

澤部:絶対言われるなと思ってました(笑)。でも、僕は豊田道倫とyes, mama ok?の子供だという自覚があるので、親と同じ道を歩むわけにはいかないんですよ。本当は破れたようなコード進行とかメロディとかやりたい気持ちは常にあるんですけど、それはどうやったって親は越えられないので。そこはもう、絶対いつか見てろって気持ちでやってますけどね。

豊田:そのほうが面白い(笑)。そう、最近The Beatlesの『ホワイト・アルバム』を聞いててね。1曲目の「Back in the U.S.S.R.」はポール・マッカートニーがリンゴ・スターのプレイが気に入らなくて追い出して自分でドラムを叩いていて、ジョン・レノンが6弦ベースを弾いてるのね。でもすごい曲。ポップってそういう変な事故から生まれると思うんだけど、そういうことって今はなかなかないからね。まあ、50年前の作品の話をしてもしょうかないけど(笑)。ビートルズとスカートと、最近いろいろ聞いていて、今は今の状況で澤部くんは勝負してるんだなーって思ったんだよね。

澤部:四六時中スタジオに入れるような環境がないと、そういうことってなかなか起こらないんですよね。でも、いつかこう……今でもマジックが起こってないとは思ってないんですけど、もっと大きなマジックがいつか自分に降ってくるといいなと常々思ってます。

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