関ジャニ∞ 大倉忠義、グループ加入初期の苦悩を明かす「認めてもらってないなというのもあった」

 TOKIOがMCを務めるバラエティ『TOKIOカケル』(フジテレビ系)。5月2日放送回では、ゲストに米倉涼子、大倉忠義(関ジャニ∞)を迎えた。

 ゲストの記憶を基にトークを進めていく企画「ジャニーズ年表」に大倉は参加。関ジャニ∞のドラムを担当している大倉が、デビュー14年の苦労話を明かした。大倉はKinKi Kidsのデビュー年1997年にジャニーズ事務所に入所。小学4年生で応募するものの、オーディションの連絡がきたのは履歴書を出してから2年後だったという。同じ入所タイミングの錦戸亮、安田章大に加え、丸山隆平はその時2度目のオーディションを受けている。オーディションの時から目立っていたという丸山について大倉は「関係者とも顔見知りで。すげぇうるさかったですよ、あいつ。ずっと関係者と話してて。『こいつ何者なんやろう』」と2度目のオーディションからの余裕を明かし、それに松岡昌宏が「確かにね。この写真もやらしいのよ。『俺は知ってるぞ』っていうね」と当時の写真の丸山の笑みを指摘。国分太一は「ジャニーズのオーディション、2回受けるやついないからね」と話し、長瀬智也も「関係者を押さえておこうと思ったんだろうね」と述べた。

 グループ面接を経て、入所が決まった大倉だったが、ジュニア時代はなかなか辛い思いをしたという。1997年から98年にかけて大倉は舞台『KYO TO KYO』に出演するが、99年から2001年にかけては仕事がない時期に入る。2002年に関ジャニ∞が結成されるが、初期メンバーに大倉は選ばれなかった。関ジャニ∞メンバーが主演を務めた舞台『ANOTHER』でも、一つのセリフしかない脇役だった。関ジャニ∞メンバーのバックダンサーを経験していることを話すと、松岡も「関ジャニのバックを経験してんだ! これはきついよ」と唸る。「悔しい思いとかも言うわけにはいかないじゃないですか。それを知られるのも恥ずかしいし。だから、言わずどうにか目についたらいいなと頑張ってたんですけど」と辛かったジュニア時代を大倉は振り返った。

 ドラムを担当していたメンバーがグループを辞め、安田がジャニー喜多川へ大倉を推薦。ジャニーから大倉へ声がかかり、保険のためにもう一人ドラマーがスタンバイしていたのだが、「いろんなドラマーのビデオとかを見て、ガムシャラにやってたらかっこよく見えるんじゃないかっていうので、リハで首とかガンガン全力でやってたら、ジャニーさんから『いいよ。1人で行こう』ってなって。それでですかね、関ジャニ∞結成って正式になったのは」と大倉のグループ加入の秘話を語った。錦戸のグループ加入にも尽力している安田をTOKIOメンバーは絶賛。城島茂が「写真がプロデューサーっぽいもんね」とコメントすると、松岡が「ちょっと“安P”だよね」とネーミングし、スタジオに笑いが起こった。

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