『分離派の夏』インタビュー

小袋成彬が明かす、“シンガーソングライター”としての目覚め「洋楽を焼き増していくのが無理だってわかった」

「『分離派の夏』はモジュール的に作っていった作品」

ーー最初に書いた「Daydreaming in Guam」ができたのって、宇多田ヒカル『Fantôme』よりも前?

小袋:『Fantôme』より後ですね。「Game」や「門出」のアイデアの種はその前からあったんですけど、最初に光明が見えたのは「Daydreaming in Guam」です。種というか、モチーフくらいのものは、その時すでにいっぱいありましたね。

ーー曲を作り始めた時点では、それは曲じゃなくて、モチーフだったんですね。

小袋:そうですね。ネタです。他のプロデュースでも使えるだろうなと思っていた進行とか、ビートのパターンとか、そんな感じですね。いつかは使うだろうと考えていたけど、その「Daydreaming in Guam」を書くまでは、何のためにもならない曲をただ書いてただけなんです。

ーー今までに温めてきたものを出したデビュー作って感じは全くなくて、「Daydreaming in Guam」で全てが始まったと。では、その次は?

小袋:「Summer Reminds Me」と「Game」は割と早くできてました。「Game」は、昔の彼女が働いていたビルの前でバッハのコラールを聴いていたら、グッときちゃったんですよ。その時、バッハのハチロク(6/8拍子)のコラールっぽいメロディを口ずさんでいたら、それがどうしても頭から離れなくなって。家に帰ってから、鍵盤で自分なりのコラールを弾いてみたら、うまく曲になったので、MIDIで張り付けた後にそこにメロディを足して曲になっていきました。

 

ーーへー、面白い。

小袋:その頃、コラールだけ集めたプレイリストを作ってる人がいて、それをひたすら聴いてたんですよね。じつは僕、パイプオルガンに馴染みがあるんですよ。クリスチャン系の学校に行っていたんで、毎週礼拝があったから、パイプオルガンも生で聴いていて、音色的にも馴染みがあって。この曲は途中まで仕上げて、あとは小島くんに「俺っぽいコラールを、きちんと楽典的にコラールにしてくれ。フーガじゃなくて、コラールなんだ」と投げたんですよ。あと、パイプオルガンだと宗教色が強すぎるってリクエストしたら、最終的にはこうなりました。

ーー話を聞いてると、基本的には作ろうと思って頑張ってひねり出したというよりは、きっかけがあって降りてきたものが多いんですね。

小袋:そうですね、プロデュースとは違うやり方にしたかったんです。リファレンスを出されて、それっぽいのを作るのはやってきたけど、今回は自分のアルバムだから、出てきたものを表現しないとダメだなと思って。

ーー一番出てくるのが大変だったのはどの曲ですか。

小袋:「門出」ですね。妹の結婚式がきっかけで思いついたんです。でも、人生の大半である22年もの間を一緒に実家で過ごしていたのに、歌詞が浮かんでこなかったんですよ。一つも出てこないのは嫌いなのか、意にも介してないのかわからないなと思って、怖くなって、全然歌詞が書けなくなっちゃって。でも、〈かける言葉は特にない〉という言葉が出てきたときに、「それでいいや」って思ったんです。

ーー自分の中にあるものと向かい合って作った感じなんですね。

小袋:それは作っている途中からだんだんわかってきたことですね。その頃、めっちゃクラシックにはまってて、特にドビュッシーとラヴェルを聴いていたんですよ。二人ともフランス人の音楽家として、よく比較されるじゃないですか。ニューグローブ音楽辞典かなにかを読んでいて、ラヴェルの欄に「芸術は自分の内にしか存在しない。外にはない。自分を超えたものにはないんだ。それはドビュッシーだ」って書いてあって。誰かが評論した言葉だと思うんですけど、僕はラヴェルかドビュッシーかって言ったら、ラヴェルの方が好きなんですよ。ドビュッシーってロマン的で自然主義的で、僕はそれをロックバンドとかに例えたりするんですけどーーそれって「成りあがっていこう」とか、社会に対する理想があって、そこに向かない自分への憤り、外に向かう芸術なんですよね。その欄を見て、自分は内なるものに向き合わない限りは何も生まれてこないっていうのはわかっていたし、社会に対しての憤りとか全くないし、そういうのを音楽にするインスピレーションもないのははっきりしていた。だから日記を書くとか、誰かの作品を聴いて自分の信条とか思い出に照らし合わせるとか、そういう作業をずっとしてました。

ーーロンドンとサンディアゴで小袋くんの友人が語ってるだけのトラックが2つ(「042616 @London」「101117 @El Camino de Santiago」)あるじゃないですか。今、話を聞いて、全部自分の中にあるものと向き合ったことでできた作品の中にある語りだと考えると、すごくしっくりきますね。

小袋:その彼の語りで言えば、本来、俺はこの性格上、就職をして、あーだこーだ言って辞めて独立するタイプなんですよ。でも、そうならなかったんですよね。結果、就活したけど、うまくいかなくて、いきなり独立して、社会に戻っていった。その語りの彼は小説家を目指していて、今、ベルリンにいるんですけど、俺なんかよりずっと芸術家っぽいのに、まず就職をして、そこから仕事を辞めたんですよ。それがどこかパラレルワールドな気がしていて。僕が歩むべき道を彼が行ったかもしれない、ということを無視できなくなってて、そのエピソードが強烈に残っていたんですよね。彼に憧れてもないし、むしろ、社会性が伴っていないところに大丈夫かなって思っちゃうんですけど、でも、彼は彼なりのチェンジをして、人生を切り開いたわけじゃないですか。で、僕らは同じ鞘に戻っていく。これは無視できないなと思って。だからどうしてもその語りを入れたかったんですよ。

ーーちなみにこれって曲順に意味やストーリーはあるんですか。

小袋:無くはないですけど、そんなに思い入れがあるものではないですね。ある意味、知的な操作として、この曲の次のこの曲が来たら僕の真意が伝わらないとか、っていうのはあるんでそうならないように避けたんですけど、特には。

ーーそもそも日記みたいに一個ずつ作っていったから、全体の世界観がどうとかは全然考えてない、ということですよね。

小袋:全く考えてないですね。アルバムのタイトルも一番最後に付けたし、曲のタイトルも最後ですね。「ソング1」「ソング2」とかだったんですよ。詞はあって、ミックスも終わって、「そういえば曲名どうするの」って言われて、「あ、そういえば」って感じで。

ーー日記だったら一個ずつ完結するじゃないですか。でも、音楽だから、1曲を途中までやって、一旦他の曲に取り掛かって、また途中までやってた曲に戻ったりすることもありますよね。

小袋:もちろんあります。僕はせっかちなので、曲が1分くらいで終わっちゃうんですよ。自分の中から出てきたものを書いた日記に対して、ある種の修辞的な操作をしていくと、短いものになるし、何なら俳句でもいいかなというくらいの分量になるんです。だからそれを組み合わせたものもあるんですよ。「Lonely One feat.宇多田ヒカル」の原型は40秒くらいで終わる曲だったので、他の曲と組み合わせちゃえと思って作った曲だったりするので。

ーーやっぱり2曲を組み合わせたものなんですね。

小袋:「Selfish」のGコードでただ降りていくっていうのも、まだ発表されていない曲でやっていて。単純に降りていくだけのカノン進行は誰でもやっていてつまらないなと思ったので、「門出」を書くための作業の中で、目をつぶって押したピアノのストリングスの響きが良かったのがあったので、それを間にぶち込んだんですよ。そうすると一回Dマイナーセブンに行って、オンGしたほうがきれいにいくし、マイナーセブンでオンGっていうのがめちゃくちゃJ-POPっぽいと思って、なんかいいなーって。そんなのは今くらいしか絶対使わないだろうなと思って、入れたんですよ。そんな感じでモジュール的に作っていったのが今作なんです。

ーー自分が作ったモジュールを自分で組み合わせたと。なるほど。「GOODBOY」には、酒本くんの名前がクレジットされていましたが。

小袋:あれはもともと彼が作った曲を、僕がリアレンジしたんですよ。僕は明るい曲が作れないけど、酒本くんはポップな曲を作れるので、彼の曲をリアレンジして作りました。この曲は「スネアを使いたくない」という発想があって、あえてリムショットだけにしています。リムショットをアンビエント感がない部屋できれいに響かせて、ひたすら近くで鳴っている感覚にしたかったんです。出来上がった音を聴いて、ドラムの音の近さと自分のふらふらした性格とが相まって、「何人も自分がいる」っていう感覚に気付いたので、それを歌詞にしました。

ーー音から歌詞ができてきたパターンも多いんですね。

小袋:「Game」はそうだし、「Summer Reminds Me」もたまたま弾いたフレーズが良かったから、それを昔のある思い出に重ねたって感じですね。

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