『けいおん!』楽曲が音楽シーンにもたらしたもの サブスク解禁を機に改めて考える

『けいおん!』がもたらしたもの/もたらすもの

 日本で学生が「音楽をやろう」と考えた際、もっとも手軽に始められるのが吹奏楽部や軽音楽部への入部だ。なかでも学生たちの抱く漠然とした「音楽をやりたい」という気持ちをまず最初に汲み取るのが、ポップスであれば軽音楽部、という存在だからではないか。そうした空気の醸成を『けいおん!』は促した。

 そして、『けいおん!』の音楽の特徴はその初期衝動的なみずみずしさにあるように思う。初めて自分で曲を作ったときの気恥ずかしさ、初めて楽器を持った時のワクワク感、初めてバンドで音を合わせた時の感動。そうした感動を持ち合わせた上記の曲たちは、技巧的になりすぎたアニソンに、あるいはJ-POPに、一石を投じる要素に他ならない。作り込まれた精巧な作品よりも時代はもっとプリミティブな感動を求めていたのだ。ゼロ年代の最後の年、決壊したダムから雪崩れた大量の水のようだったけいおん!現象。あの時、アニメのみならず音楽シーンに最も欠けていたのが、”けいおん!的感動”だったのかもしれない。

アニソンがサブスクで解禁される意義

 また、アニソン系の楽曲は元来CDでのリリースが主体で、ストリーミングやDL配信に消極的だった印象がある。ここ最近はDL販売でも多く見かけるようになったものの、ストリーミングサービスではなかなか視聴できないことがほとんどだった。この制約は時代の流れを考慮すると非常に不利である。

 例えば、CD売り上げ以外の指標も加味するビルボードジャパンチャートなどの複合チャートにおいては、ストリーミングの再生回数やDL販売数が上位をマークするためのカギとなっている。CDの売り上げだけで結果を残しても、複合チャートの結果が基準となる世の中では、もはや存在感を示せないのだ。

 つまり、いかに面白い作品であったとしてもCD売り上げ以外の指標を満遍なく動かさなければ、正当な評価を得られないまま(過大/過小評価どちらの意味においても)、時の流れとともに流されて終わってしまう。米津玄師が「打上花火」や「Lemon」などの楽曲で話題になったのも、デジタル領域での支持の大きさをある種の”実態”としてみる土壌が出来上がったゆえであろう。

 こうした音楽業界の流れを踏まえると、アニソンがサブスクリプションサービスで解禁される意義というのは、今まで、特に2010年代に入ってから、劇的に変化した音楽の受容構造に”置き去りにされて”いった作品たちが、他の音楽たちと同じ土俵に立つための最初の一歩と言っていい。時代の産物で終わっていたアニソンが現代の音楽と同じように聴かれるスタートラインに立った、そうした意味を今回の”解禁”から見て取れるだろう。

 今回、こうして『けいおん!』関連のアーカイブがアクセスしやすい状況となったことで、その音楽は見直されるだろう。それにより、またさらにバンドというものへの関心が高まるかもしれない。そして、『けいおん!』が鳴らすその特有の”感動”は、古今東西の大量の音楽に囲まれるサブスクリプションサービスで、今もなお異彩を放っている。

■荻原 梓
88年生まれ。都内でCDを売りながら『クイック・ジャパン』などに記事を寄稿。
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