石井恵梨子の「ライブを見る、読む、考える」 第14回:BALLOND’OR

異端児集団・BALLOND’ORが作り出す狂乱のパンクパーティー 石井恵梨子がバンドの深層に迫る

 唯一の統一感はMJMの歌にある。シンプルな日本語を乗せたメロディは、全曲が童謡のように覚えやすいし、リズムに対して若干遅れ気味な舌っ足らずの歌い方が少年っぽい愛らしさに繋がっている。要するに歌は奇跡的にポップなのだ。スピッツやフジファブリック大好きな彼は、英語で歌ったほうがクールじゃないかというメンバーの提案にNOを出したことがあるそうだ。どんな音であれ、自分の体験したことを歌にして伝えたい。そのピュアネスだけは、あまりにジャンクな演奏の中でキラキラと輝いているようだった。

 もっとも、歌詞の内容までが綺麗だとは言い切れない。最低の恋をした自分、今もクズのままでいる自分、救われないし救われたくもない、でも夢や希望を諦めることもできない自分……と、はっきりいえばクソ野郎の甘えた妄想が多いのだけど、それもまた正直な自分語りか。ほとんどが苦しくてダメダメなラブソング。表現者のコアは失恋の傷なのに、アウトプットがこんなにもパンクになるのは、ちょっと面白すぎるケースだろう。

 「たとえば誰かを嫌いになって、徹底的に心がねじ曲がって、敵意しかない状態のデストロイがあるとして。失恋のときの本当にダメになっちゃう感じ、すべて自信がなくなって自分が壊れていく感覚って、僕の中では同じなんですよ。敵意のデストロイじゃなくて陰のデストロイ。そこからBALLOND’ORの歌が始まったのが大きいと思います」

 シーンのため、仲間のため。そんな良識的な言葉は一言も出ないまま、狂乱のパンク・パーティーが続く。手前勝手でカオス、それなのに憎めないバンドの佇まいと、完成度よりも刹那の輝きを求める観客の興奮がぶつかり合っている。それを見ているうちに、私は、次第にここがどこなのかわからなくなっていた。1977年のロンドンだと言われたら信じてしまいそうだし、1989年のハシエンダだと言われたらそうなのかもしれないと思う。いや、嘘だとわかっていてもそんなふうに騙されたい、騙される喜びに浸っていたいという感覚か。冷静に考えてみれば、目の前にいるのは†NANCY†と名乗る初心者をあっさり加入させたバンドなのだ。最高のハッタリは時にミラクルな天国を作り出す。約二時間のワンマンショー。下北沢の小さな地下室から、ここではないどこかへ。BALLOND’ORはそんな夢を見せてくれるバンドだ。

(文=石井恵梨子)

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