ACE1が明かす、海外シーンで勝負する理由「世界的に活躍する日本人が生まれれば、状況も変わる」

ACE1が明かす、海外シーンで勝負する理由

 アヴィーチーやDJスネイク、アフロジャックなど、ダンスミュージック界のスターたちの楽曲を数多くリリースし、EDMを世界に広めたと言われるオランダのレーベル、〈SPININN’ Records〉。同レーベルが主催する全世界を対象とした新人登竜門システム「TalentPool」で昨年9月、DJ ACEことACE1がアップした「Empire」がランキング1位を獲得という日本人初の快挙を成し遂げた。その「Empire」が2月3日にいよいよ日本でも配信リリース。DJ兼プロデューサーとしてクラブのフロアを揺らすだけでなく、デザイナー兼ディレクターを務めたファッションブランドでは一世を風靡し、さらにはモデルとしての顔も持つACE1。マルチな才能を持つ彼は一体どんな男なのか。これまでの歩みを振り返りつつ、将来への展望を語ってもらった。(猪又孝)

「「Empire」の配信をターニングポイントにしたい」

ーー2007年から渋谷・ATOM TOKYOの人気イベント『TRANCE RAVE』でゲストDJを始めたそうですが、それが本格的なDJキャリアのスタートになるんですか?

ACE1:そのちょっと前ですね。DJを始めたのは2002~3年頃で、最初は仲間とオーガナイズしたイベントで始めたんです。その後、地元の横浜辺りのクラブから少しずつオファーを頂いてやりだして。それが2006年くらいです。

ーーその頃プレイしていたジャンルは?

ACE1:メインはサイケデリックトランスです。DJを始めた頃はジャーマントランスとかエピックトランスだったんですけど、仕事をもらえるようになってからはサイケデリックトランスの方が多くて。それは時代の流れもあったと思うんですけど。

ーー同時期に「TopRebeL」というブランドを立ち上げますが、その経緯を教えてください。

ACE1:もともとATOMで始めたのは、横浜のセレクトショップが主催したイベントに僕がDJで入ったことがきっかけなんです。そのイベントをいちばん成功させたDJがビクターからミックスCDを出せることになっていて、僕が運良く1位になれて出せることになった。その流れでATOMに呼ばれるようになったんです。同じ頃、そのセレクトショップからひとりが独立してまた新しいセレクトショップのサイトを立ち上げることになり、僕もファッションブランドがやりたかったんで、一緒に始めることにしたんです。そこで1年もしない内に立ち上げたブランドがTopRebeLなんです。

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ーーその後、2009年創刊の雑誌『SOUL Japan』でモデルも始めますよね。

ACE1:TopRebeLを立ち上げたとき“悪羅悪羅(オラオラ)系”という言葉をつけて売り出したんです。そしたらそれが当たって、いろんな雑誌から誌面で扱いたいとオファーを頂いて、その中で『SOUL Japan』という雑誌を創刊したいからという話をもらって、一緒にやっていくことになったんです。だから、僕はモデルというより、その洋服を作ってるクリエイターとして出てたんですよね。

ーーじゃあ、悪羅悪羅系という言葉を考えたのはACE1さんなんですか?

ACE1:厳密には違いますね。もともとオラオラ系という言葉が世の中にあったんです。それを売れる言葉にしたのは、自分で言うのもなんですけど、僕らだと思います。当時はアンダーグラウンドのサイケシーンにそういうオラオラ系のニュアンスがあったんですよ。だから、これは売れると思ってブランドもオラオラ系で売り出したし、ビクターから出した最初に出した『サイケデリック・レイヴ (#4) ~ゲーム~』(07年)というミックスCDもオラオラ系ミュージックと打ち出してリリースしたんです。そしたらそっちも反応が良くてっていう。

ーー「悪羅悪羅」という漢字を当てたのは?

ACE1:最初にビクターからCDを出したとき、確か『men's egg』かなんかの裏表紙に広告を出したんです。それを見た編集長が面白いということで連絡をもらい、のちに『SOUL Japan』で一緒にやることになり。そのときに『men's egg』の人間と一緒に考えたのが「悪羅悪羅」という漢字なんです。

ーー去年、そのTopRebeLのディレクター兼デザイナーを退任し、新ブランド「STRAITE」を立ち上げました。これはどんなブランドなんですか?

ACE1:デザイナーやディレクターがロサンゼルスとニューヨークにもいて、東京には僕がいるので、海外色がより強くなった感じです。LA、NY、東京のカルチャーを採り入れたストリートブランドという打ち出しで、着て欲しいのは10代後半から30代前半の男性。黒や白をベースにしていて、男らしさやワルっぽさをイメージしてます。

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ーーDJを本格的に始めて約10年になりますが、その間のターニングポイントを3つ挙げてみてください。

ACE1:まずはATOMでDJを始めたことがひとつ。ちゃんとした始まりという意味でターニングポイントだと思います。2つ目は2011年に、これもビクターなんですけど、Infected Mushroomと一緒にアルバムを作れたこと。サイケデリックトランス界でNo.1のアーティストだと思ってるInfected MushroomとWネームでやれたことは嬉しかったし、その作品の中でZeebraさんがやってるカイキゲッショクのリミックスもやらせてもらえて面白いことができたので、キャリアの中では特筆するべき出来事だと思ってます。

ーー3つ目は?

ACE1:今ですね。去年、「Empire」で〈SPINNIN’ Records〉の「TalentPool」で1位を獲れたこともそうだし、それを機に新しい契約が決まるかもしれないんです。それが決まれば相当大きいので、それをターニングポイントにしたいっていう感じですね。

ーー「TalentPool」は自主投稿型のソーシャルネットワークを利用したランキングシステムですが、そもそもなぜ投稿しようと思ったんですか?

ACE1:もともとはシングルを3カ月連続で出す計画だったんです。去年5月にブラジルのレーベルから「Electronic」を出し、6月にニューヨークのレーベルから「Get Underway」出した。あと、もう一曲が「Empire」なんですけど、南米、アメリカと来たんで次はヨーロッパのレーベルから出したかったんです。で、いろんなレーベルと交渉してたんですけど、なかなか契約がうまくまとまらず。だったら〈SPINNIN’ Records〉もヨーロッパにあるんで、ここにトライしてみて上手くいけば、〈SPINNIN’ Records〉と話ができるかなと思って参加したんです。

ーーそしたら見事1位を獲得できた。

ACE1:運良く獲れたんで嬉しかったです。実は「Empire」はサイトにアップした時点で、完成から一年くらい経ってたんです。曲って内容もそうですけど、発売するタイミングもすごく重要だと思ってるんですね。だから、ちょっと遅くなっちゃったなと思ってたんです。

ーートレンドに乗り遅れてるんじゃないかと思ってた。

ACE1:世界的なトレンドを見れば、っていう感じなんですけど、乗り遅れているというよりは、僕的にもう少し早く世に出したかったってことでしょうね。でも、1位を獲れたっていうことは、それだけ全世界の方が投票してくれたっていうことだから、ちょっと安心しましたね。

ーー1位を獲れて自信にもなりましたか?

ACE1:自信には間違いなくなりました。ただ、当初は〈SPINNIN’ Records〉からのリリースをめざしていたので。1位を獲ったとはいえ、結果リリースできていないので、それが現実なんだなと受けとめて学ぶことも多かったです。「1位だ。やったぜ」って両手放しで喜べるものではなかったですね。

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