栗原裕一郎の音楽本レビュー 第15回:『誰が音楽をタダにした?』

ポピュラー音楽に関わるすべての人にとっての必読書 栗原裕一郎の『誰が音楽をタダにした?』評

運命的に決定した「音楽がタダになる」未来

 ブランデンブルクと、グローバー、モリスという互いに一面識もない3人の男の物語は、それぞれの与り知らぬところで絡まり合い、誰ひとりそんなことを目論んでいなかったのに手を取り合うようにしてCDというメディアの息の根を止めにかかり、音楽をタダにするような状況を導き出していく(モリスはむろんCDを守るために違法ファイル駆除に動いたが、かえって徒となり結果的に助長した)。

 もちろん彼らだけでそんな偉業(?)が成し遂げられたわけではない。ナップスターが潰れた後、新しいP2P技術「ビットトレント」を使ってアルバム100万枚にも及ぶ海賊版音楽ライブラリー「オインク・ピンクパレス」を作り上げてしまったアラン・エリスや、iPodを引っ提げて介入してくるスティーブ・ジョブズ、どうせリークされるならと自分でミックステープを無料でバラ撒き始めたリル・ウェインなど、様々なバイプレーヤーも蠢いているのだが、彼らにしたところで自分自身のインセンティブに従った行動を取っていただけであって、CDを亡きものにし、音楽をタダにしようなどという野望で動いていたわけではないのだ。著作権解放運動家もいるにはいたが極々一部に留まる。

 つまるところ、ブランデンブルク、グローバー、モリスの物語がはからずも共振したときに、「音楽がタダになる」という未来は決定してしまっていたのである。

 3者それぞれの物語も実によく調べられ練り込まれている。mp3という技術および研究の歴史(ベースとなる音響心理学の研究は70年代にさかのぼる)。ウェアーズ・シーンの実態と魅力、コミットした者たちの衝動と承認欲求。牛耳る者の視点から見た音楽産業のトレンドと音楽を売るというビジネス、そしてヒップホップ。

 どの物語も単体でも十分読ませる仕上がりなのだが、その3つを緻密に噛み合せた構成にはちょっと舌を巻く。生真面目になりがちなノンフィクションにユーモアを持ち込んでいるのも美点だ。

 加えて、決めのシーンが巧いのだ。たとえば後半に、アドバンス契約を辞めてロイヤリティを100%にしたいと申し出たジェイ・Zとモリスが交渉する場面がある。600万ドルを請求するモリスにジェイ・Zは500万ドルしか出せないと言って譲らない。じゃあ、差額の100万ドルをどっちが払うかコイントスで決めようぜということになるのだが、トスの瞬間の目前にモリスの半生が走馬灯のように挟まる。

「人生は驚きの連続だ。会計士の予測が合っていたためしはない。これまでも、穴馬が勝ち、本命が負けるところを見てきた。(…)モリスはこれまでに何度か、アメリカ文化の激しい動乱時に文化の守り神になってきた。人生で本当になにが可能かをだれよりも敏感に感じ取ってきたモリスだからこそ、いつまでも若々しいままでいられた。

 100万ドルをかけてモリスが手を差し出し、親指をピンとはじくと、コインが空中に舞い上がった」

 巧いですねえ。こういった決めが要所に置かれ、読者を引っ張っていく。そのまま映画になりそうだと思っていたら、案の定、映画化がもう決まっているそうだ。

 恐るべきことに本書は、スティーヴン・ウィットの処女作である。調査と取材、執筆には5年かかったという。情報量と裏付け作業の果てしなさを考えれば、まあ、それくらいの時間は最低でもかかるだろう。グローバーの居所を突き止めて接触し、腹を割って話してもらうまでに3年以上を要したそうだ。

 まったく無名の新人がこんな途方もない本を書き上げてしまったことにも、知名度ゼロの著者の原稿を拾い上げサポートしたエージェントと出版社が存在したことにも驚きと嫉妬を覚えるが、同時に、アメリカの出版界はなんだかんだいって度量が深いのだなあと羨ましくも思った。

 音楽書に留まらず、ノンフィクション全体で見ても本年度屈指の作品であることは間違いない。強くおすすめする。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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