〈SMAP的身体〉とは一体何か 栗原裕一郎の『SMAPは終わらない』評

戦後芸能界におけるジャニーズ事務所の異質さ

 第4章の中森明夫との対談は、戦後芸能界におけるジャニーズアイドルの位置付けと、ジャニーズ事務所の特異さと閉鎖性ーー批評の少なさもそこに由来するーーを巡ったものと要約できるか。

 戦後芸能界はGHQ占領下の米軍基地から発祥した。ジャニーズ事務所も例外ではないのだけれど、ひとつだけ異質な点があって、ジャニー喜多川は日系2世のアメリカ人なのである。ジャニーはJohnnyなのだ。

 戦後日本における「アメリカの影」という問題はいろいろな人にさまざまに語られてきたし、これからも語られていくはずだが、こと音楽や映画などの大衆文化は、アメリカの支配がダイレクトに影響した領域だった。

 戦勝国の文化が戦敗国に浸透し(「文化的侵略」と見る人もいる)、アメリカ文化を享受した(「洗脳」と見る人もいる)日本人が戦後芸能界をかたちづくっていったわけだが、ジャニーズ事務所は、アメリカ人がアメリカ人のまま、日本でショービズを立ち上げたという、考えてみれば奇妙な芸能組織なのである。この事実について中森はこういう。

「彼は「アメリカに影響を受けたプロデューサー」ではない。マッカーサーと一緒なんだよね。まだマッカーサーが日本にいて、男子アイドルに特化した文化行政を延々と続けてきたらどうなったか? それを実現しているわけでしょう?」

 この見方から、「いまだにジャニーさんというアメリカに占領されたままのジャニーズ」と、「アメリカが引き揚げたあと、彼らの残した文化を咀嚼した土壌の上に登場してきた女性アイドル」という対比が導かれる。

 この対比で問題にされているのは、ジャニーズと女性アイドル、どちらの文化にグローバル性があるかということだ。アメリカ人がアメリカ人の意識のまま作り上げたジャニーズアイドルのほうがグローバルに開かれていて、日本という閉じた場所でガラパゴス的な発展を遂げたAKB48を筆頭とする女性アイドルはドメスティックに一見、思えるけれど、果たしてそうなのか? という問いが立てられる。

 見立ては面白いのだけれど、最後は「アメリカでオタを増やして、アメリカに対してアイドル的な文化侵略を果たす」「世界アイドル最終戦争!」という与太話になってしまうのがちょっと残念な感じだ(それが中森得意の話術ではあるのだが)。

 さて最初に、この本は矢野利裕にとっての初の単著であると書いたが、矢野が執筆した部分は「はじめに」と第1章、第4章のディスクガイドだけで、全体の4分の1ほどにすぎない。残りの4分の3は鼎談と対談なのだ。正直なところ、この構成で矢野個人の単著と呼ぶのはきびしいものがある。

 ディスクガイドも8アルバムがピックアップされているのみでだいぶ物足りない。全アルバムやってほしいところだし、鼎談でSMAPの転機と言及されている『SMAP 004』が扱われていなかったりでセレクトにも疑問が残る。

「はじめに」は初出が当サイトで、具体的にはこの記事だ。

「SMAPは音楽で“社会のしがらみ”を越えるか? ジャニーズが貫徹すべき“芸能の本義”」
http://realsound.jp/2016/01/post-6040.html

 これが話題を呼んだため、急遽、本書の企画が立ち上げられたのだろう。鼎談、対談が分量の大半を占めることになったのは、もっぱら時間的な制約からだろう。

 内容に関しては、第2章の鼎談がどうしてもメインに見え、第1章で問題にされていた〈SMAP的身体〉の、音楽の側面だけが肥大している印象を受ける。芸人的身体性がむしろ眼目だったはずなのに、こちらは鼎談、対談では追究されないので主題がぶれているように感じてしまうのである。

 という具合に、全体として見るとどうもチグハグで完成度が高いとは決して評価できない本ではあるのだが、じゃあ読む価値がないかと問われれば、それでも読むに値する内容を備えていると答える。理由は、ここまで読んだ方ならわかるだろう。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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