『ジョン・ライドン 新自伝 怒りはエナジー』出版記念対談

日高央×小野島大が語る、ジョン・ライドンの比類なき音楽人生「ジョニーは革命を2回起こした!」

 

60~70年代の音楽と決定的に違うのはリズム(日高)

――確かに、この自伝にも「歌声に自負がある」という話は出てきませんでした。

小野島:でも、別にヘタだとは思わないし、声もいいですよね。こっちが慣れちゃったということもあるかもしれないけれど、全然コンプレックスを持つようなボーカルじゃないと思う。

日高:最近のPiLを聴く限り、歌がヘタなわけではないですよね。ただ、ある程度は狙ってやっていたと思います。

小野島:ピストルズの音作りって、ボーカルがスゴい際立つようにしているじゃないですか。これはおそらく、ラジオで流れることを前提にしているんですよね。60年代くらいのロックンロールのレコードはみんなそうだけど、AMラジオで聴いたときに歌がバーンと聴こえるようになっていて。

日高:オアシスなんかも随分参考にしているみたいで。

小野島:そういう意味では、ピストルズもポップスのレコードの伝統的なつくり方を踏襲している感じがあるし、やっぱり、際立たせるだけの魅力がジョン・ライドンのボーカルにはあったんでしょうね。

日高:そうですね。本人はそこに気づいてないかもしれないですけど。結果的に、それがハードコアを生んでいったわけですし。

小野島:たぶん、このボーカルスタイルが出てくることによって、いろいろなボーカルが救われたと思うんですよ。長い金髪を揺らめかせて、ハイトーンで歌う……みたいなロックボーカリストのステレオタイプのイメージを、ジョンが全部更新したというのはありますから。

日高:デカいですよね。ジョー・ストラマーなんて、ジョンがいなければ出てこなかったかもしれない。当時、新人バンドとしては老けちゃっていたし。声のコンプレックスをちゃんとシャウトすることで凌駕していく、というのがパンクロックの条件なのかもしれない。パンクの功罪の“功”はそこなんだなと。

小野島:ちなみに日高さんは、ピストルズのコピーをしたことがある?

日高:俺は中学校の謝恩会でやりました。先生たちへの嫌がらせだったんですけど、英語でよく分からなかったのか、めちゃくちゃ褒められたんですよね。「卒業生を送り出す最高の音楽じゃないか!」って(笑)。そこで逆に挫折しちゃって、そのあとすぐに「ラフィンやろうぜ」と。もともとやりたかったんですけど、その時は難しすぎたんです。

小野島:ラフィンのほうが難しい?

日高:ツービートが難しいと思いました。「ツッタン ツッタン」というのが。でも、ピストルズの「ジャン ジャン ジャン ジャン」なエイトビートならイケるって。当時はエイトビート、ツービート、フォービートみたいな、ビートの概念が一番おもしろく感じられた時代だったし、結局、音楽はリズムで変わっていくじゃないですか。そのビートの違いを最初に意識させてくれたのが、ピストルズだったんです。60~70年代の音楽と決定的に違うのはリズムだし、ジョンがレゲエを好きなのもそういうことなのかなと。パンクをやるなら、もっとリズムを気にしなければダメだとずっと思ってきたんです。

小野島:じゃあ、それがどんどん研ぎ澄ましていったのがPiLだったんですね。

日高:まさにそうだと思います。特にメロコアなんて、ただでさえ全部同じに聴こえがちだから、よりいろいろなリズムを知って吸収していかないと、バリエーションが作り出せないというか。小野島さんもたくさんインタビューをしていて、「うちはメロディーを大切にしているんです」みたいなバンド、いっぱいいると思うんですけど(笑)。

小野島:ありますね。

日高:メロディーを大切にするなんて、当たり前じゃないですか。俺はもっとリズムを意識しないと、日本のバンドは良くならないと思うんですよね。やっぱりジョンは常にリズムに自覚的で、そういう意味では、ラップやヒップホップの元祖と強引に言ってしまえなくもない立ち位置だったと思いますし、アフリカ・バンバータと組んだタイム・ゾーンなんて、本当にカッコよかったですし。もっとベタベタなヒップホップの人とやっても合うような気がします。いずれにしても、日本のバンドももっとリズムを頑張ってほしい。

小野島:リズムもそうだし、今回の本では「バンドに余計な物語は必要ない」みたいなメッセージもあるように思いました。

日高:そうですね。ピストルズで散々、いろんな物語がくっついちゃったから。「その物語は嘘で、これが本当のことなんだ」と言いたいがためにこの分厚さになったのかな、と思うとスゴいですね。ジョンはたぶん、『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』のような映画は絶対に、もう一生見返さないでしょうし。

小野島:あれがDVDに全然ならないのは、やっぱりジョンがうんと言わないからかな。

――ちなみに小野島さんは、PiLのアルバムではどれが一番好きですか?

小野島:『The Flowers of Romance』(1981年)が最も完成されていて、あれがピークかな、という気がします。でもやっぱり、出がしらの新鮮さというと、ファースト(『First Issue』)がすごく印象深いですよ。

日高:アートワークもいいですしね。

小野島:うん、モード雑誌みたいで革新的だった。

――当時の日本のロックファンやメディアの受けとめ方は、どうでしたか。

小野島:戸惑いじゃないですかね。当時はニューウェーブもハッキリなかった時代だし、日本人だけじゃなくて、みんなそうだったと思います。イギリスでも「何をやりだしたんだ、コイツは」という反応があって。レゲエやダブに対する理解だって、当時はそんなになかった。ピストルズがそれまでのロックの常識を打ち壊して、いろんなバンドが出てきたように、PiLのファーストがあったからこそ出てきた表現も、たくさんあったはずなんですよ。「何をやってもいいんだな」と。

日高:そうですね。

小野島:要するに、別に売れるためにやっているわけじゃなくて、本当に純粋に自分のやりたいことを突き詰めたらこうなったわけじゃないですか。それがすごく伝わってくるし、それにみんな打たれて、いろんな表現が出てきた。

日高:スゴいですよね。世間的にはピストルズは1回しか革命を起こしていないように思われてますけど、ジョニーは2回起こしている。その2回めが、全然評価されていない気がしてます。これほどの革命のデカさはないですけど、俺もそのつもりで、いまビークルとは全然違うことをやったりしていて。同じことを繰り返したら面白くないじゃん、と。

小野島:でもやっぱり、一時代を作った人というのは、どのみち、その責任を取らなければいけないところがあって。

日高:ジョンはまさに、それをずっと背負っている感じはありますね。

小野島:モリッシーもよく「俺はもうスミスよりソロのほうが3倍くらい長くやっているんだ」と言うけれど、それでも、いつまで経っても「スミスの再結成は」と聞かれるんですよね(笑)。それもかわいそうだと思うけれど、引き受けざるをえないところもあるんでしょうね。

日高:バンドの終わり方にもよるでしょうしね。美しく終われば、また美しく始められるかもしれない。たぶん、ジョンもモリッシーも美しく終わっていないから、いつまで経ってもやりたくないんじゃないかなって演者目線で感じます。俺は一時代を築いたほどじゃないんで、このままビークルやんないで、怒られたいなと思ってますけど(笑)。

 

――さて、今回のお話を聞いて、ジョン・ライドンには音楽でもう一花咲かせてもらいたいという気持ちになりますね。

日高:そうですよね。このぶ厚さの歌詞を書いてほしいです(笑)。たぶん、世界中のミュージシャンが、タダで曲を書きますよ。どんなビッグネームでも書くでしょう。例えばトム・ヨークだって、グリーンデイだって、ランシドだってNOFXだって。クラプトンも曲を書いてきて、「いらねーよ」って言われたりね(笑)。

小野島:優秀なマネージャーがつけば、もっといろいろできそうなんだけど。

日高:そうですね。ジョンに今必要なのは、もしかしたら優秀なブレーンなのかもしれない。もう1回、ちゃんと音楽に向かわせてくれる人がいれば……。

小野島:今は悪い意味で小さく完結してしまっているところがある。要するに、ジョン・ライドンにとって気持ちのいいメンバーとやっているだけで、ピストルズや初期のPiLのように、摩擦がないんだよね。人としては摩擦のあることなんてやりたくないかもしれないけれど、客観的に見たら、そういうなかでこそ、彼の表現は面白かった。でも、それを求めるのは外野の無責任だとも思う。

日高:デヴィッド・ボウイが生きていて、叱ってくれたらなあ。デヴィッド・ボウイは、ちゃんと摩擦を生み出しながら、いい作品を残し続けて、生涯を終えたじゃないですか。ジョンにもあの感じで、音楽に向かってほしい。

小野島:「楽をするな」って。

日高:そうそう。「本を書いている暇があるんだったら、曲を書いてくれよ!」と(笑)。来日することがあったら、日本中からジョン・ライドン好きなバンドマンを集めて、そのままレコスタに連れて行きたいと本気で思うくらい。

小野島:いや、本もめちゃ面白かったからそっちはそっちでどんどん書いてもらって(笑)。ちなみに、ジョン・ライドンのトリビュート・アルバムって、これまでにありましたっけ?

日高:ピストルズはいっぱいありますけど、PiLのはないかもしれませんね。そこからはじめましょうか!

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